10
また夜が明けた。
戦闘が始まる。
あたしは目を閉じ、手を合わせ、祈るように世界を俯瞰する。
そこには相変わらずドーナツ型の天の川。
満点の星空のように輝く人々の魂。
この世界の本質。
そんな中――たった一粒の異物たるあたしは、ゆっくりと瞼を開ける。
死屍累々の光景――しかし、そこには間違いなく戦士たちの生き様、その輝きが満ちている。
もうだいぶ長い間戦っているような気がする。
時間の間隔などとうにない。
今日も三十人ほどの敵を倒した。
能力を使わなくとも勝てる程度の敵だったが、死ぬ瞬間は「まさかこんな子供に」と驚きを隠せない様子だった。
その眼差しが目に焼き付いて、あたしの精神を磨耗させる。
こう見えてもすでに二十代も半ばなのだ。この戦争に参加する兵の平均くらいの年齢であるはずなのだが、そうは見えないらしい。
幼く見えてしまう日本人の血が恨めしい。
見た目だけで同情されてしまうのは、アンフェアだ。
中には――あたしの姿を見て思わず攻撃の手を止めてしまう者もいた。
きっと「いい人」なのだろう。
だけど、あたしは迷わず斃した。
(ごめんね)
涙は出ない。
ただ、祈るように周りの戦士たちを尊敬するのだ。
あたしのように不純な目的で戦っているわけではなく。
ただ、戦うために戦い、死ぬために死んでいく兵たち。
なんて純粋なのだろう。
なんて力強いのだろう。
なんて美しいのだろう。
全てが眩しすぎて、何もかもが逆光になってよく見えない。
* * *
そして長く続いた戦いがやっと集結した。
たくさんある戦いのうちの一つにすぎないが、それでも兵士たちにとっては一区切りではある。
周りの兵たちは喜ぶよりもどこかキョトンとした様子で、「え、本当に終わったの?」「もう戦わなくていいのか?」などと呟いている。
どちらが勝ったのだろうか。
なんのための戦争かすら知らないあたしだが、ライヒは中央政府方に付いたのだ。
もし敗戦していたらややこしいことになるだろう。
そんな中、あたしはもう一度目を閉じ、一つの輝きを探索する。
それは一等力強い輝きを放ち、すぐに見つけ出すことができた。
(ハイジ)
(ハイジに会わせて)
体の疲れはさほどでもない。多分。
心は疲れていたが、それだって周りの兵士たちとは比べるべくもない。
なにせあたしは自分のわがままのためだけに戦っているのだ。
彼らとは背負っているものが違う――比べるのも烏滸がましいではないか。
それでもどこかよろよろと頼りない足取りで、十キロほど離れたところにじっと存在している男の元へ向かう。
わがままでもなんでもいい。
今はハイジに縋り付いて甘えたかった。
(こういうところが「所詮は女」と言われる所以なんだろうな)
(まぁ……男たちの戦場に勝手に紛れ込んできたわけだから、何を言われても仕方ないけれど)
男には男の、女には女の戦いがある。
わざわざ肉体的に不利な世界に飛び込んできたあたしの方が異物なのだ。
どんなに後ろ指を刺されも、甘んじて受けよう。
そう思った。
(森へ帰ろう)
(帰って、ハイジと一緒に本を読むんだ)
足を引き摺るようにして、あたしはハイジの元へと急いだ。
と――視線を感じた。どうやらハイジの方でもあたしを探しているらしい。
たったそれだけのことで――途端に抗い難い歓喜が湧いてきた。
グッと喜びを噛み締める。
つい顔がほころびそうになるのを必死に抑えた。
泣いたり笑ったり――どうやらあたしは情緒不安定であるらしい。
* * *
ハイジが居たのは、中央政府の司令室近くだった。
いつもと何も変わらない様子で、倒木に座っている。
「ハイジ」
「リン」
話しかけると、すぐに返答があった。
あたしの動向を追っていたらしいが、そのことには触れずに横に腰掛ける。
「終わったね」
「ああ」
「えーと、勝った、のかな?」
「圧勝だ。よくやったな」
「よかった。……疲れたわ。ようやく休める」
そのままハイジに体重を預ける。
肩あたりに頭を置ければ様になるのだが、サイズ差がありすぎて届きそうもない。
しかし、ハイジが珍しくポンと肩に手を置いて、体重を支えてくれた。
「休め」
「そうする」
目を閉じると、途端に巨大な安心感が襲ってきた。
うぐ、と喉が鳴る。
なんだか泣きたくなったが、必死に我慢する。
「ハイジは? 休まないの?」
「不要だ。さほど疲れてもいない」
「そう」
「それに、終わったと言っても、この戦いは全体から見れば一部だ。次の戦場が待っている」
「そう」
ずず、と鼻を鳴らす。
いいんだ。
少しくらい泣かせろ。
あたしは所詮女なのだ。場違いは今更だ。
自分でもどういう涙なのか理解できていないけど。
「ハイジは強いね」
「『弱くなった』んじゃないのか?」
「んー、そう言うことじゃなくて」
ハイジに追いつこうと必死になっている時には、戦うことにも、殺すことにも麻痺していたのだ。
それどころではない激情があたしを支配していたから。
でも、そんな激情を持ち合わせておらず、いつも穏やかなハイジは、もう何十年も戦場に身を置いている。
戦えば、あたしはハイジに勝てる。
でも、ハイジの強さは肉体的な強さではないのだ。
無邪気で、幼いほどに無垢で純粋なハイジ。
冷酷で優しい、宿命に忠実なハイジ。
彼はすべきことを間違えない。
傷つくことを恐れない。
一体なぜこんな獣のような野蛮な男のことを好きになったのだろう――と、初めはわからなかった。
今ならわかる。
どんなにたくさんの敵を倒しても、少しも穢れない気高い魂。
一人でも凛と立つ美しすぎる姿に、あたしはやられてしまったのだ。
(戦場では隣に立つことを許された――でも)
(まだだ。まだあたしはハイジの横に立つには、弱すぎる)
彼の横に堂々と立てるように、あたしはもっともっと強くならなければならない。
そう心に誓った。
* * *
エイヒムに戻ると、英雄たちの凱旋で街が沸き立っていた。
何人かの男たちは
その中には、顔見知りの男もいる。幸いと言っていいのかわからないが、特に親しい人はいなかったが、それでも遺体が故郷に戻れず、髪だけ、あるいはギルド章だけといったものまで混じっている。
ギルドでお決まりの派手な葬式をして、あたしは生まれて初めて
誰もが酔っ払い、涙を堪えながら笑い、大声で歌っていた。
あたしも歌った。
一般的な日本人と同じく酒にあまり強くなかったあたしは早々にぶっ倒れてギルドの床に転がされた。
ぶっ倒れながらも、皆と同じように大声で死んだ英雄たちの勇気を讃えた。
この日、ようやくあたしは本当の意味で「この世界の一員」になれたような気がした。
* * *
ギルドで目を覚ますと、そこらじゅうに酔っぱらいがぶっ倒れていた。
「うあー、いててて……」
ひどい頭痛でまともに目が開けられない。
ふらふらと頭を振って、ようやく体を起こす。
水。水が欲しい。
「よぅ、リン」
声がしたので振り返ると、ヘルマンニだった。
「……おはよ」
「なんでぇ、二日酔いか? 『はぐれ』は酒に弱いやつが多いって聞いてたけど、お前もか」
こうなると『崖の王』も形なしだな、などと言って、平然と迎え酒を飲むヘルマンニ――その服装は、冒険者の装束ではなく、どこから見ても軍人だった。
「ヘルマンニも参戦してたの?」
「おぅよ。といってもおりゃあ本部に詰めてたけどな」
「ヘルマンニが本部に? ……なんの役に立つってのよ」
「おれの『能力』は参謀向きでな。作戦本部で補佐に回ってた」
「ふぅん」
「お前のことも見てたぜ。目立たないようにしてたつもりだろうが、大活躍だったのは丸わかりだ」
「そうでもないよ、それに今回はあたしらしく戦うことができなかったから」
「そうだなぁ……それはまぁしょうがねぇだろ」
ヘルマンニはへらりと笑って、グイとマグを煽る。
「きつかったな」
「別に……大したことないよ」
「嘘つけ。だいぶ消耗してるの、わかってるんだぜ」
「はいはいありがと、ヘルマンニ。……で、ハイジは?」
「さっきまでヨーコんとこにいたけどな。今は多分ユヅキちゃんとこにいるんじゃないかな」
「そ。――ヘルマンニ、ハイジに頼まれてここにいるんでしょ?」
「よせやい! そういうのは気づいても気づかないふりをするのがマナーだぜ?」
どうせ、ヘルマンニはハイジに言われてここであたしを守っていたのだ。
まったく、この世界の男たちの優しさは分かりづらい。
「じゃ、行くわ」
「あ、待てよ。悪いが帰る前にヨーコんところに顔を出してくれ」
「呼び出し?」
「おぅ、すっぽかすなよ、俺のせいになっちまうから」
「わかってるよ、じゃあちょっと行ってくる」
そう言って、なんとか立ち上がる。
すれ違いざま、あたしはヘルマンニの頭を軽く撫でて、
「ありがと、ヘルマンニ」
そう言って、まずは水をもらいに行くことにした。
ヘルマンニは少し困ったように、ガリガリと頭をかいていた。
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