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 あたしは冷静を装いつつ、内心では鼻歌を歌っていた。


(お泊まりだ、お泊まりだ)

(嬉しいな、嬉しいな)


 いや子供か。自分がこんなに単純だと思わなかった。

 でも抑えられないものは抑えられない。

 小躍りしたくなるほど嬉しい。


 よく考えれば二人っきりなのはいつものことだし、同じ屋根の下で寝泊まりしているので、言ってみれば寝る場所が変わるだけではある。


 それでも嬉しいものは嬉しいのだ。

 なにせエイヒムだとハイジはユヅキのいる娼館に行ってしまうし(字面だけで見たら酷い話である)、戦時だと大量の兵隊が一緒にいるしで、こうしたシチュエーションは大変珍しい。

 森小屋以外でハイジと二人っきりのお泊まりなんて初めてなのである。

 たとえそれが魔物駆除のためだったとしても嬉しいことに変わりはないのである。


* * *


 小屋には魔物や虫が入り込まないように、入口や窓に木の板が打ち付けてあった。

 煙突は板で塞がれ、針金で止められている。

 ハイジはヤットコみたいなペンチで釘を抜いて回っている。


 ギギギ、と音を立てて小屋の扉が開いた。

 ハイジはなぜか警戒した様子で中を覗いて、何もないことを確認するとあたしを呼んだ。


「見ていい?」

「ああ」


 中を覗く。

 調度品は小さな机と椅子が一つ、あとは薪が積んであるだけだ。

 壁には燭台があるが、あとは窓があるのみ。

 とことん殺風景であった。


「なんでそんなに警戒してるの? 板で塞いでたんだから魔物なんていないでしょ?」

「いや、中にピクシーが巣を作っていたことがあった。気を許すとやられる」

「うわっ、こわっ!」


 ピクシーに幻惑されて死ぬと身体中穴だらけにされるという話を思い出し、ブルリと震える。


「問題ないようだ」

「よかった。荷物持ってくるね」


 あたしは飛び出して外に置いてあった荷物を持ってきて中身を広げる。

 いつもの狩りセットに加え、ちょっとした毛布が二枚。ハイジの荷物がいつもより大きいと思ったらこれか。


 あとはサンドイッチである。

 これは良いものだ。

 いつもなら携帯食は味気ない乾パンみたいなやつだけ。あとは獲物の肉に塩とハーブをまぶして焼く程度だ。それも十二分に美味しいが、たまには目先を変えたい。

 サンドイッチみたいな洒落たものを持ってきたのは初めてなのである。


 あたしは早速外に携帯用の焚き火台を持ち出してお湯を沸かし始める。

 この辺に落ちている枝は湿気ていてとてもではないが火などつかない。

 幸い小屋には乾燥した薪が用意されていたので、それを細かく切る。

 そしていつも持ち歩いている樹皮とほぐした麻布に消し炭を塗した焚き付けに虫眼鏡を使って火を起こせば、あとは火を大きくしていくだけだ。

 今日はやや曇りだが火が起こせてよかった。雨だったりしたら面倒なことになっていた。


 思えば、最初はうまく火を起こせなかったものだ。

 この世界の人たちは火打ち石と鉄片を使って火を起こすのが一般的だが、慣れないと非常に難しい。あたしはいまだに上手くできない。

 ハイジも火打ち石で簡単に火を起こしてみせるが、あれは結構な音がするので森では虫眼鏡を使う方がいいと言われている。

 とはいえ夜や、昼であっても天気が悪ければ虫眼鏡は使えないので、一応は火打ち石と鉄片のセットは備えてある。


 そうこうしているうちに火は大きくなり、炎が安定してくる。

 煙が少なくなってきてから、小鍋を乗せてお湯を沸かす。

 水は近くの湧水だ。見た目は綺麗だが生水のまま飲むのは危険らしい。しっかり沸かしてから飲む。

 

 お湯が沸いたらお茶を入れる。

 今回はたまたまトゥーリッキにもらった紅茶があったので淹れてみた。

 いつものハーブティもいいけれど、サンドイッチなら紅茶の方がいいだろうという判断だ。


 準備ができたら食事だ。

 ハイジと一緒にサンドイッチにかぶりつく。

 あまりの美味しさに思わず声を上げた。


「うわっおいしいっ!?」

「……旨いな」


 普段あまり食べ物の感想を口にしないハイジだが、思わず自画自賛である。

 薄々気づいていたがどうやらこの男、隠れ食い道楽であるらしい。


* * *


 食事が終わり、小屋の周りを探索する。

 エイヒム側と違い、山側の森には採取できるものがあまりない。

 なんでもお茶用のハーブのほかにも傷に効く苔や、燻製に使うと香りと日持ちが良くなる泥(なんじゃそりゃ)など色々あるにはあるというが、食い出のあるサイズの魔物もベリー類もない。

 森の中でなら何日でも自給自足できるようなつもりでいたが、この辺では無理だ。


「そういえば定期的にこの辺を探索するって話だけど、何が目的なの?」

「見た方が早い。夜になればわかるだろう」

「ふぅん」


 こうしている間にも、目線が通った這い虫たちがあたしたちを襲おうとするが、魔力に阻まれてバタバタしている。

 這い虫とは飛ぶことも素早く動くこともできないような小型の魔物だ。戦う術を持たないような一般人でも踏み潰して駆除できるような無害な連中である。


 しかしどんなに小さくとも魔物は魔物だ。目線が通ると無条件に人を襲う。

 ちなみにカニ型のやつがそこらじゅうにいるが、煮ても焼いても食えないらしい。

 残念だ。


 そんなわけで、あまり気は進まないが魔物は見敵必殺サーチアンドデストロイが鉄則である。手の届く範囲の連中を駆除している。

 こんなのでも放っておくと溢れて人を襲うようになるらしい。なんでも物量で押しつぶすような攻撃をしてくるらしい。この辺りの探索は冬の間は難しいので、夏になってから溜まりに溜まった連中を駆除する必要がある。

 しかしハイジ曰くこれがメインの目的ではないらしい。

 一体夜に何があるというのだろうか。


* * *


 そうこうしているうちにあたりが暗くなってくる。

 山のせいだろうか、夏だというのに暗くなるスピードが速い。

 後ろを見れば、遥か遠くまで続く白樺の森が見通せる。いつの間にやら結構な標高まで登ってしまっていたらしい。

 遠くはまだ日が落ちていない。この辺が暗いのは山が太陽を隠してしまっているかららしい。

 

「そろそろ戻るぞ」

「暗くなるから?」

「いや、冷えるからだ」

「えっ?」

「この辺は暗くなるのが速いが、完全な闇になるにはまだまだ時間がある。それよりも一気に気温が下がる。今の装備ではきついだろう」

「……夏でも寒いのか、この世界」


 とりあえず否はない。ハイジと山小屋に戻る。

 

 残しておいた火種で火を起こす。

 ハイジが「焚き火は小さくていい」と言うので薪数本の小さなキャンプファイヤーである。

 二人で小さな火を挟み、サンドイッチの残りと、塩漬け肉を水で戻しただけのスープをいただく。

 ハイジの作るパンは時間が経っても硬くなりづらい。サンドイッチはまだ瑞々しく、そこにじんわりと旨味の広がるスープが加われば、十分に上等な夕食になる。

 食後のハーブティを啜っていると、ハイジが「見ろ」と言ってあたしの後ろを指し示した。


 小さな緑色の光が一つ、ふわふわと頼りなく飛んでいた。


「……蛍?」


 よく見ると、光は一つだけではなかった。小さく、弱々しい緑色の光は目につきにくく、薄暗い中では気をつけないと見逃してしまう。


「撤収だ」


 ハイジはそう言うと、まだ燃えさしの焚き火を踏んで消してしまった。

 意味はわからないが、とりあえずそこらにあるコッヘルやらマグやらをまとめて小屋に運ぶ。


 ハイジは小屋に入り、閂をかけると椅子とテーブル、部屋の隅にある薪の束を窓際まで運ぶ。


「……何が起きるの?」

「いいから見ていろ」


 そう言ってハイジは薪に座り、あたしに椅子に座るよう促し、ほら、と窓の外を指し示した。


 真っ暗な部屋から見ると空はまだうっすらと明るく青い。ゴツゴツとした岩場は濃淡がなくなって見える。黄昏時だ。なるほど暗くなり始めるのは早いが、真っ暗になるまでにはまだ時間があるらしい。


 そんな薄暗い世界に、ふわふわと緑色の光が飛んでいる。

 座ってよくよく観察すると、光は地面から生えるように発生している。

 目が慣れてくると、窓の外には沢山の光の粒が漂っていることがわかった。


 東京育ちのあたしは一度も蛍を見たことがなかったのだが、まさか初めての蛍を異世界で見ることになるとは。


「綺麗……何あれ」

「魔物だ」

「危険なの?」

「いや、小さすぎて害を与えるほどの力はない」

「ふぅん……やっぱり綺麗」


 そんな話をしているうちに、光の粒はどんどん増えていく。

 緑色の小さな光の粒が飛び回る姿は、とてもファンタジーに見えた。


「これ、虫の魔物?」

「わからん」

「わからんのか」

「何度か捕まえようとしたことはあるが、消えてしまう。瓶の中に入れても、封をした途端に消えて、何も残らない」

「へぇー……これがハイジが見せたかったものなのね」


(朴念仁の唐変木のくせに、ロマンチックな真似をしてくれるじゃない)


 と思ったら、ハイジはそれを軽く否定した。


「これも見せたかった。だが本命は違う」

「え、違うの?」

「これだけのためなら、わざわざ小屋まで建てて一泊するまでもないだろう」

「……そう?」


 いや、こんな幻想的な風景が見られるのなら十分に値打ちはあるだろう。

 やっぱりハイジの感覚はどこかずれている。

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