5

 たくさんの小さな光が飛び交う。その姿は蛍のようだが、蛍なら地面から生えてきて空に消えていったりしない。

 しかしハイジ曰く、本当に見せたかったのはこれではないらしい。


 薪に座るハイジはいつもより目線が近い。

 部屋はほとんど真っ暗だが、青白い光に照らされてうっすらと顔が見える。

 普段あまりジロジロと顔を見ることはないが、せっかくの機会なのだ。じっくりと観察してやろう。


 ハイジの顔。

 無精髭。太い首。眉間の皺。一直線に結ばれた口。……それだけ聞けば不機嫌そうな顔のようだが、慣れてくればわかる――これはどちらかと言うと機嫌がいい方の顔だ。というかこの男、明確な理由がない限り機嫌が悪くなったりしない。どちらかと言うと穏やかな性格をしている。暴力装置のくせに。


 太い首と繋がる胸板は異常に厚い。緑がかった濃いグレーのシャツがパンパンに膨らんでいる。何度か殴ったことがあるからわかるが、脂肪が異様に少なくて、まるで巨大なタイヤみたいに硬い。身長も馬鹿みたいに高い。二メートルくらいはある。体重も二百キロ近いのではないだろうか。

 この大きくて硬い肉体がスピード特化のあたしよりも速い速度で動くのだから、敵にしてみたら理不尽の権化のようなものだ。


 なのに本人はいたって静かな、怒りとは無縁な男。

 この男が感情を露わにしたのは、あたしがピエタリ一味に襲われた時、その後あたしをエイヒムに置いていった時、サーヤとの関係を疑われた時、そして先日『はぐれ』の青年にあたしが襲われた時――要するに自分のためではなく誰かのためだ。そのほとんどがあたしのためなのだから、あたしの存在はハイジにとってかなりの負担になっているに違いない。


「どうした」


 彫像みたいにじっと外を眺めるハイジが、首一つ動かさずにそんなことを言った。

 人の視線も含めて気配に敏感なハイジ。

 あたしがじっと見ていることにも当然気づいているはずだ。


「ううん、なんでもない」

「そうか。……それより見ろ」

「うん? は?!」


 窓の外に何かがいた。

 オオサンショウウオによく似ている。

 大きさは二メートルに届くか届かないか。

 それがまだらに緑色の光を放っている。おかげで立体感がない。古い3D映像のようだ。たまにチロチロと舌を出していて、それも緑色に光っている。

 

 よく観察してみると、周りの光の粒が集まって、オオサンショウウオの周りを飛び回っている。まるで歓喜の踊りのようだ。


 小屋からは十メートルも離れてはいない。

 思わずあたしは気配遮断をかける。

 しかしオオサンショウウオはこちらに興味がないようで、のそのそと動いている。


「あれ、なに?」

「サラマンダーだ」

「……危険はないの?」

「ない。それに斃せない」

「斃せない?」

「昔挑んだことがある。必死になって駆除しようと努めたが相手にされなかった」

「えぇ……」

「斬っても潰しても平気で、こちらを見ようともしなかった。そのうち鬱陶しくなったのか身じろぎして口を開けたところまでは覚えている。その瞬間意識を失った」

「ハイジが!?」

「目を覚ますと朝だった」


 つまり、ハイジが負けたということだ。しかもその後に目を覚ましたということは命を刈り取る価値もないと思われたということだ。


「あとで文献を調べてサラマンダーという存在を知った。おれがやられたのはブレスというものらしい」

「なんとまぁ」


 どおりで魔物は見敵必殺サーチアンドデストロイを信条とするハイジがじっと観察するに止めているわけだ。


「で、倒せないと」

「ああ。サラマンダーはドラゴンの一種とされている。人間には斃せない。正確には魔物と区別される存在なのだそうだ」

「……ドラゴン……」


 まさか生きたドラゴンを目にする機会があるとは。


「それから年に数度、観察しに来ている」

「じゃあ見せたかったのは……」

「害がないとわかれば美しいだろう?」

「うん」

「それに、この森に住むなら知っておくべき存在だ」


 この光景を見せたかった、とハイジは言った。

 確かに美しいと思った。


* * *


 夜も深けて気温が下がってきた。

 ハイジに毛布を差し出されたのでそれをすっぽりと被る。

 ハイジは同じように毛布を被ると、ゆっくりと話し始めた。


「おれの能力ちからについて説明しておく」

「……結局戦い方の話になるのよね」


 まぁ単なるデートを期待していたわけでもない。


「これはヨーコやヘルマンニにも話していないことだ」

「それは光栄ね」

「皆、おれの能力ちからをキャンセルなどと呼ぶが、あれは間違いだ」

せんせんだっけ」

「うむ……だがあれは攻撃を先に感じているわけではないんだ」

「あれっ、昔は攻撃を事前に感じる能力だって言ってたような」


 昔能力について質問した時には、確かにそう教わったはずだ。


「それも嘘ではない。だが感じているのは攻撃ではなく、正確にはだ」

「痛み?」

「斬られれば斬られた痛みを、矢で射られればその痛みを事前に感じる。ヨーコあたりは命やそれに類するものに危険があった時に発動すると思っているようだが」

「……それはキツイわね……」

「感じるのは体の痛みだけでなく心の痛みもだ。だが、痛みは必ず間に合うように襲ってくる。間に合わないよりはよほどいい」

「それはそうかもしれないけど……」


 つまり、ハイジは結果的に斬られていないというだけで、感覚的には戦っている最中はずっと斬られ、矢で射られ続けているわけだ。

 あたしなら頭がおかしくなりそうだ。

 しかしハイジはそれを否定した。


「ここ数年はほとんど発動することはないな」

「それって、そもそも斬られるような未来がないってこと?」

「おそらく。斬られるまでもなく斃せてしまうからな」

「それは凄まじいことなのでは……」

「だが、お前の剣は届いた。斬られたと感じたのですぐさまその未来をキャンセルしたつもりが、その未来に追いついて剣がおれに届いた。あれには驚かされた」


 あんなことは初めてだ、とハイジは言った。


「つまり今のハイジは痛い思いをせずに済んでいるわけね」

「そうだ」


 ホッと胸を撫で下ろす。

 いくら命に別状がないからと言っても、延々と斬られつづけるような感覚を味わうのはごめんだ。

 ハイジがそんな目に遭っていなくてよかった。


「なぜそれをあたしに?」

「うん? 知らないよりは知っているほうが戦いの幅は広がるだろう?」

「それはそうかもしれないけど……ハーゲンベックはもういないのよ?」

「だからと言って、おれたちが傭兵であることに違いはない」

「…………」


 たしかにそうだ。

 なんとなくこのままずっと森で過ごしていくような気がしていたが、ギルドから要請があれば戦いに赴くことになる。

 ならばいっそ傭兵をやめれば……とも思ったが、ハイジやあたしの存在はライヒの抑止力になっているのだ。下手をすれば戦いを挑んでくるような敵もいるだろう。


「戦いたくなくとも、それがあたしたちの宿命ってわけね」

「そうだ。それしかできないしな」

「……そんなことはないと思うけど」


 ハイジの作る干し肉や燻製は評判だし、毛皮だって良い値で売れる。

 最近はマスタードなんかにも手を出しているようだし、できることはたくさんあるはず――というか、生活するだけなら一生遊んで暮らせるだけのお金を持っているし、なんなら自給自足の生活にも問題はない。

 それでもハイジが魔物を駆除しなければ、少しずつ魔物の領域は広がって人々の生活を脅かす。

 戦いに赴かなければライヒを襲う人間も出てくるだろう。


 ハイジがそれをよしとするはずもない。


* * *


 その晩はそのまま毛布に包まって眠ってしまった。

 目を覚ますとなんだか胸のつっかえが取れたような不思議な気持ちだった。

 なぜか目元が濡れている――覚えていないが、泣くような夢でも見たのだろうか。


 見ればハイジは既に起き出していて、お湯を沸かしている。まだ湧いていないということは、さっき起きたばかりなのだろう。

 冬と違い、既に空は明るい。

 昨晩見た光景が嘘であるかのような白けた空気。まるで手品の種明かしの後みたいだった。


「おはよ」


 あたしが挨拶するとハイジはうむとうなづき、


「夢は見たか?」


 と妙なことを聞いてきた。

 なんでもサラマンダーを見た夜には夢を見るらしい。そしてその夢の内容はすっかり忘れてしまうとも。


「確かに夢は見たっぽいけど、覚えてないわね」

「そうか」


 どんな夢か思い出せないが、きっと悪い夢ではなかったと思う。

 多分。

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