22
※ リンの一人称視点に戻ります。
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あたしを倒しうる敵には未だ巡り会えていない。
強敵は先の大戦でほとんど死んでしまったのか。
だからと言って手を抜いて殺されるような真似はできない――ヴァルハラに招かれなければ、二度とハイジに会えない怖れがあるからだ。
次にハイジに会った時は、思いつく限りの恨み言を聞かせてやろう。
そして死ぬほど甘やかしてもらうのだ。
* * *
森に帰っても、あたしの生活はほとんど何も変わらなかった。
ハイジと二人暮らしだった頃はそれぞれ分担して回していたが、それを一人で回している。
燻製とパンだけは同じものが作れなかった。
燻製については、ペトラと訣別した今となっては量産する必要はない。自分で食べる分を作るだけなら不出来でも構わない。
問題はパンのほう――一応なんとか食べられるパンが焼けるようにはなったが、口にするたびにハイジの焼く香ばしくてみずみずしい風味を思い出して悲しくなる。
サウナに入ることもなくなった。
大戦から戻った時は流石にヴィヒタの世話になったが、それ以来一度も火を入れていない。普段は水浴びかお風呂を使っている。
魔獣を駆除し、トナカイの世話をし、スープを作り、掃除と洗濯を片付ければ、あとは読書して過ごす。
本はハイジの部屋から持ち出した。
部屋はできるだけそのままにしておきたかったので、普段は立ち入らないようにしている。
もともと完璧に整理整頓されていたこともあり、本箱から本を運び出すと本気で何もない部屋になった。
壁に武器があるのと、でっかいベッドの下に籠があり、そこに着替えが入っているだけだ。
部屋にはハイジの匂いが残っている。
部屋に入らないように努めたのは、匂いに慣れたくなかったからだ。
入るのは心が挫けそうになった時か、褒めて欲しくなった時だけと決めた。
読書が終われば自室に戻って目を閉じる。
目を閉じると前よりもずっと鮮明に世界を俯瞰できる。
満点の星空にドーナツ状の天の川。
その中心だけは石炭のように真っ暗だ。
きっとその向こうにハイジがいる。
真っ暗なのは、あたしにはまだ向こうを覗く資格がないからだろう。
眠りに落ちるまで、あたしは胸の痛みを抱き締め続ける。
(寂しいよ、ハイジ)
(いつかこの痛みもなくなるのかな。寂しさが薄れてしまうのかな)
それは嫌だ。
この痛みも、荒れ狂う寂しさも、全てが愛しい。
どうせ半径数キロメートルは無人である。
あたしは誰に憚ることもなく、わざと「うあーん、うあーん」と声を出して泣いてみたりする。涙もこぼし放題だ。
もちろん返事はない。
離れたところで魔獣たちが遠吠えをしているだけだ。
その声がまた寂しさを募らせる。
自分を追い込むように寂しさを増大していく。
終いには体の感覚もなくなり、孤独感の海を漂い始める。
(寂しければ寂しいほどいい)
(それだけハイジのことを強く想うことができるから)
誰もいない森の中でポツンとたった一人。
痛みに耐え、独り涙を流しながら、思う存分孤独を味わう。
どこかの誰かの慰めなんかで癒されるなどごめんだった。
* * *
「また一人も殺さなかったらしいな」
戦地から帰り、ヴィーゴに報告をすると、ヴィーゴは顔も上げずにそんな嫌味を言った。
「必要性を感じなかったので」
「お前からすればそうかもしれないが、反抗勢力は潰しておけ」
「嫌です。ちゃんと無力化はしてるし、そもそもあたしはもう英雄役は降りてるんで、従う理由がないです」
イチ傭兵としては十分に役に立ってるでしょう? と言外に伝えるとヴィーゴは老眼鏡を外して顔をあげた。
(……老けたなぁ)
(嫌味なトカゲ男でも、親友が死んだのは堪えるとみえる)
「……今何を考えた?」
「ギルド長老けたなーと」
正直に堪えるとヴィーゴはフン、と鼻を鳴らし、余計なお世話だと呟く。
「お前が苦労ばかりかけるからだ。ハイジが死んで少しは素直になったかと思ったが、ヤツが死んだ程度では堪えないとみえる」
(マジか)
すごいことを言うなこいつ。
しかし聞き捨てならないので言い返しておく。
「死んだ、ではなく殺した、ですね」
「つまらん。悪ぶるな愚か者。お前ごときにヤツを殺せるものか。第一継承は正常に行われたんだろう?」
「まぁ……」
あたし自身は悪ぶっているつもりはないし、むしろそれはヴィーゴのほうだろう。
だけど言い返すのも面倒臭くて、あたしは曖昧は返事を返した。
「身の程を知れ。言葉は正確に使え。殺した、ではなく殺させられた、と表現しろ」
「チッ……」
「今、舌打ちしたか、お前!?」
「舌打ちくらいしたくなりますよ。ヴィーゴさんとヘルマンニは苦手です」
あたしの言葉にヴィーゴは「ハッ」と吐き捨てるように笑うと立ち上がり、戸棚を開けて、一本の酒瓶を取り出した。
グラスも二つ取り出してソファに座る。
「一杯付き合え」
「えっ嫌ですよ、どうしてヴィーゴさんと酒なんか飲まなきゃいけないんですか」
アルハラですよ、というと「なんだそれは」と怪訝そうな顔をされた。
あたしはお酒に弱い。それにあまり美味しいとも思えないのだ。
「いいから座れ」
「……なんなんです?」
「この酒は俺たちの師匠の形見だ」
「じゃあ貴重なものじゃないですか」
ますますもらうわけにはいかないと思う。
「ハイジといつか一杯やろうと約束していたのに、先に逝っちまったからな。付き合うのは弟子の義務だ。ほら」
「強引な……ヘルマンニは呼ばなくていいんですか?」
「それは次の機会だ。酒はたっぷりある。強い酒だしな。今日一日じゃなくならんよ」
注がれた酒は黒砂糖のような甘い香りがした。
口に運ぶと馬鹿みたいに酒精が強い。
ケホケホと咳き込んだ。
「
「知ってるか? ハイジはああ見えて下戸なんだ」
「詳しく聞きましょう」
あたしが食いつくと、ヴィーゴは「お、おう」とちょっと引いた様子だったが、それでもハイジとの思い出話を聞かせてくれた。
「魂の継承については知ってるか?」
「言葉くらいですね。詳しくは知りません」
「どの程度知ってる?」
「そうですね……儀礼戦を行うと戦場が祭事場となり、そこで死んだ戦士の経験値は殺した者に継承され、魂はヴァルハラに招かれる、でしたっけ」
「それは通常の継承だ。ただの経験値の奪い合いにすぎん」
と、その瞬間ヴィーゴの姿がぶれて見えた。
目にも止まらぬ速度でナイフを突き出すヴィーゴ。避けられない。頬を切り裂かれる鋭い痛みが迸る――と、その瞬間時間が巻き戻ったように、たった今体験したのと同じ軌跡でナイフが迫ってきた。切り裂かれたと思ったのは幻想か。ナイフを避けて弾き飛ばす。間違いなく頬を切られた感触があったが、そこには傷ひとつなかった。
ヴィーゴが「フン」と鼻を鳴らして、グラスに口をつける。
「ちょ、なんです?」
「『キャンセル』は無事継承されているようだな」
「ああ……ハイジの能力ですね。ちょっとあたしには使いこなせませんけど」
戦場で試してみたくはあるが、それはちょっと難しい。
なにしろ普通に痛いのだ。
頬くらいならなんとか我慢できるが、喉やら胸をやられたら痛みで体が硬直する。
同じ攻撃が繰り返されたとしても、避けられなければ痛みの感じ損なのである。
返す返すもこれを使いこなしていたハイジは頭がおかしいと想う。
ヴィーゴはなぜか、あたしに触れたところを布で拭きながら言った。
「通常の継承では経験値しか奪えん。特に魔力を帯びた能力は絶対に継承されん――お互いの合意と強い信頼関係がない限りはな」
「……」
「これを指して、魂の継承という。――お前、やりきったんだなぁ」
「……ちっ」
わかったようなことを……とヴィーゴを睨む。
変に理解しょうとしないところがこの男の美点だと思っていたのに、随分と踏み込んでくるじゃないか。
だけど、その後に続くセリフを聞いて、あたしは目を丸くした。
「ハイジも、自分の師匠を殺した」
「は?」
「他ならぬ師匠自身の頼みでな。だが、結局あいつは一人では殺しきれなかった」
「……どうなったんです?」
「俺とヘルマンニ、あとはペトラが手伝った。あいつは最後まで師匠を殺すだけの勇気を持てなかった」
「……」
「お前がハイジを想う気持ちは、ハイジが師匠に抱いていたそれよりも上まわる。手に掛けるのは並大抵のことではなかっただろう」
「わかったようなことを……」
「だから俺はやりきったお前を尊敬する。貴様は度し難い馬鹿ではあるが、たった一人でやりきったことだけは評価してやる」
「……ちっ」
「チッ、お前、舌打ちが多いぞ!?」
自分でも舌打ちしながらヴィーゴは続けた。
「まぁだからどうしたという話でもないし、ぶっちゃけお前の気持ちなんてどうでもいい」
「なら……」
「たが、この酒はお前に飲まれたがってるだろうよ」
ヴィーゴは「乾杯」と言ってグラスを挙げる。
あたしも仕方なくそれに答える。
「ペトラもそのことは理解してるはずなんだがな。……だから女は度し難い」
呟くような小さな声でヴィーゴは言って、自分のグラスに口をつけた。
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