3

 遠征に出るとしばらくの間はハイジと二人きりになることはなくなる。

 他の兵隊さんたち――傭兵だけでなく予備兵や農兵なども含まれる――たちとの共同生活となるからだ。


 ハイジ(とあたし)は名が売れてしまっているため目立つ。

 何なら別行動でも構わないのだけど、どちらも無駄なお金を使うのは好きじゃない。他の兵士たちと団子になって、軍用馬車でガタゴトと運ばれるのが常だ。


 なにせ遠出には金がかかるのである。

 荷物の運搬や水と食料の問題でなく、単純に公共交通機関がないのだ。


 ライヒ領内であれば馬車の定期便があって、道だって整備されている。

 経済の根幹を支えるのは流通だというのが伯爵の考えだからだ。

 将来的には他領との接続も何とかしたいと言う考えではあるが、未だライヒ領はそこまでの発展を遂げていない。

 だから領から一歩出れば、悪路が当たり前だ。

 魔物や野生生物が出ることもあるし、追い剥ぎや盗賊などの犯罪者もいる。


 つまり旅は決してのどかなものではなく命懸けのものなのだ。

 お金で解決しようとすると大金になるし、自分達だけでどうにかしようとすれば手間が膨大になる。


 そんなわけで、あたしとハイジは大人しく荷物となって戦場まで運ばれている。


 数日かけて遠征となれば、衛生状態は劣悪になる。故に洗濯や水浴びも必須だ。

 ちなみにこの場合、男も女もない。

 本来なら一緒になって裸になるのが一般的なのだけれど、あたしはなんとなくハイジ以外の男たちに肌を見られることに抵抗があるので、ハイジの後ろに隠れてこっそりと体を拭いたりしている。


 まぁ、この世界にはボンキュッボンな美麗な娼婦さんたちがいくらでもいる。

 男たちにしても、あたしみたいなチンチクリンが裸になったところで食指は動かないだろうけど、そういう問題ではないのである。


* * *


 遠征には金貨が払われる。だから通常はただ運ばれているというわけには行かない。荷物の積み込みやら、配られる酒や食料――生水を運ぶのは危険なのでだいたいは安酒である――を巡って喧嘩にならないように配ったり、掃除だって必要だ。


 これまでの功績のおかげでそういった面倒を免除され――というか、手伝おうとしたら「士気が落ちる」みたいな理由で叱られる――移動中はなかなかに暇である。


 これまでは目立たないように二人並んで気配遮断して運ばれていたが、今回からはそんな気遣いも無用だ。

 理由は『黒山羊』が英雄役だからである。


 嫌なもんは嫌だけれど、役目は役目なのだ。文句を言っても仕方がない。


 だから開き直ったあたしは、ハイジを背もたれにして本を読みながらダラリと過ごしている。少し前なら「あまりくっつくな」とか言ってベリリと引き剥がざれたものだが、今は「英雄役」の好きにさせてくれている。

 

 そう、驚くべきことにこの空間では、あたしはハイジの上司なのである。


「似合わねぇー」


 思わずつぶやくと、ハイジは怪訝そうに灰色がかった瞳であたしを見た。


「何がだ」

「いや、あたしの「英雄役」もそうだけど、ハイジが一般兵だってのがもう違和感しかないわ」

「おれは元からただのイチ傭兵だ」

「だれも納得しないからね、それ」


 ずるずる、と背もたれから膝枕に移行する。

 が、ハイジの脚が太すぎて枕には不向きだった。

 なんだこれ。丸太か。


「寝心地が悪い……」

「無茶を言うな」

「むぅ」


 ちょっとくらい甘えてみたかったが、体格差は如何ともし難い。


「まぁ、背中を貸してくれるだけでいいわ」

「好きにしろ」


 ゴソゴソと体制を整える。


 側からみたらイチャイチャしているように見えるかもしれないけれど、実際問題として、この乗り心地の悪さは切実な問題なのだ。

 これが何日も続けば間違いなく体のどこかを痛める。戦いに差し支える。

 距離とは、それだけで脅威なのである。


 周りの兵隊さんたちは誰も生暖かい目で見ていたりはしない――というか、なんだか猛獣を遠巻きにみているかのような、戦々恐々とした眼差しだった。


(緊張させちゃってすみませんね)

(こう見えてハイジもあたしもめちゃくちゃ穏やかなんですよ)


 あまり気軽に話しかけられるのも鬱陶しいが、もっとリラックスして欲しい。


「前はくっつくと嫌がったのに、平気になったの?」

「いや、ベタベタしたのは好かん」

「ふぅん……じゃあ嫌だけど許してくれてるってことか」

「……止める手段がないだけだ」

「またまたぁ」


 あたしが言うと、ハイジはこれ見よがしに一つため息をついて、ニヤリと笑った。


「次にお前と本気でやりあえば勝てるかどうかわからんしな」

「光栄だけど、あんまり口にしていいセリフじゃないからね、それ」

「事実だ。それに初めての英雄役だろう。おれを手玉に取るくらいのところは見せておけ」

「あ、そういう意図なんだ」


 多分戦場じゃ、あたしの鼓舞なんて何の役にも立たないだろう。

 そうすればヴィーゴも貴重な金貨をあたしに放出する必要もなくなる。

 あたしも戦いに専念できる。


 いいことづくめである。


* * *


「戦えッツ!」

「「「「うぉぉおおおおーーーー!!!!」」」]


 杞憂だった。

 さほど大きな戦争ではなかったせいもあるのかもしれないが、兵士たちの間で『黒山羊』の名前は完全に知れ渡っていて、戦意高揚プロパガンダで舞台に立った途端に大騒ぎになった。

 英雄役なんて絶対にこなせないと思っていたのに。


 あたしがたった一言、抜いた剣を掲げて「戦え!」と叫んだだけで、兵たちは狂喜乱舞した。


「「「「「黒山羊! 黒山羊! 黒山羊!!」」」」」

「うるさいよ!?」

「「「「「わぁぁぁあああああーーーーーッ」」」」」

「なんで喜ぶ?!」

「「「「「戦乙女!!」」」」」

「「「「「崖の王!!」」」」」

「やめて、その名であたしを呼ぶな!!」

「「「「「わぁぁぁあああああーーーーーッ」」」」」

「だからなんで喜ぶ?!」


 ……なんだこれ。


 なんだかどっと疲れて舞台から降りると、ハイジが待っていた。

 目が笑っている。


「大した人気だな」

「そりゃどうも……」


 ぐったりしながら軽く手を上げてそれに応える。


「まぁ「こんなチビには戦わせられないから頑張らないと」とでも思ったんでしょうよ」

「だといいがな」

「なによ」

「そんな理由なら、あんな騒ぎにならないだろう」


 後ろでは未だに「黒山羊! 黒山羊! 黒山羊!」と歓声が聞こえる。

 頭がおかしいんじゃないのか、あいつら。


「今から儀礼戦だってのに……命がかかってるってわかってんのかしら」

「だからこそ英雄役が必要だ。人は、殺すことにも殺されることにも抵抗があるからな」


 特に、初めての参戦だと敵を殺すことができる兵はほとんどいないと言う。

 だいたいはオロオロと敵と会わないように歩き回って終わる。

 仮に敵を倒すチャンスが巡ってきたとしても、剣を振り下ろすことには強い抵抗がある。止めを刺すとなると尚更だ。


 そんな中、英雄が一人いて鼓舞するだけで、最後の壁を打ち破るものも出てくる。


 ――ハイジがいるだけで勝率が上がる。


 とギルドの酔っぱらいたちが言っていたが、本当のことなのだ。


「まぁ、要するに「人殺し」をあたしのせいにして良心の呵責を感じないようにしてるってことでしょ」

「そう言うな。人殺しではなく討伐だ」

「同じ……ではないか。うん」


 たしかにあたしも意味なく人を傷つけたりはしない。

 守るべきものがあり、その役目がなければ、一切の暴力に反対だ。


「……ハイジ」

「なんだ」

「大丈夫よね?」

「当然だ」


 ハイジは気負うことなくポンポンと剣を叩いてみせる。

 そう、大丈夫なはずだ。

 弱体化したとはいえ、今はまだ英雄の名に恥じない力を持っているのだから。


「そろそろ昼だ。――法螺貝が鳴るぞ」


 そして高らかに法螺貝が鳴らされ、鼓舞するための太鼓が叩かれ始めた。


「はぁ……嫌だなぁ」


 強敵に当たれば、殺さなければならない。


 しばらく戦場から離れていたからだろうか。

 人を殺すという事実が重くのしかかってきた。


 それでも、あたしは役割を忘れたりはしない。


「行くわ」


 英雄としての義務を果たすため、あたしはハイジを置いて戦場に躍り出た。

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