14
やるべきことが決まって解放されたユヅキとあたしは、戦々恐々としているギルドを抜け出して娼館に向かった。
ユヅキに「一緒にテキストを作ろう」と誘われたからだが、日本にいた頃だって「一緒にテスト勉強をしよう」と誘われて本当に勉強をすることはあまり無い。
要するにただの遊びのお誘いだと理解している。
娼館に到着すると入口に立っていたべっぴんさんに声をかけられた。
「あっユヅキさま、おかえりなさい」
「はい、ただいまエンマ。おつとめ頑張ってね」
「はぁい」
手をヒラヒラさせつつ、クネッとポーズを取って微笑むエンマさん。
思わず赤面してしまった。
「い、色っぽすぎる……」
「そう? エンマはまだ新人だから、これからって感じだけど」
「ふ、ふぅん、そうなんだ……」
さすが上役だけあって、ユヅキの評価は厳しい。
なるほど、これが仕事中のユヅキの顔かぁ……。
と、ふと視線を感じてそちらを見ると、知らないおじさんがサッと目を逸らした。
ユヅキもそれに気づいて、フッと顔を暗くした。
「あー、ごめんね。こんな場所であたしと一緒のところ見られたら、リンちゃんも変な目で見られちゃうかも……」
「なるほど?」
あたしはエイヒムではまぁまぁ目立つ存在だ。
そのあたしが娼館前でユヅキとたむろしていたら、気になる人もいるだろう。
「いや、どうでもいいなそれ」
「そうなの? なんなら他の場所でも」
「せっかくいい場所があるのに、使わない手はないでしょ」
そういえばハイジも、ギルドの男たちに「ハイジも男だ、やることやってるに違いない」などと言われていたっけ。
「誤解を解こうとしないのは認めたのと同じ」って言葉があったような気がするけれど、ハイジにしてみれば『はぐれ』であるユヅキの保護や、その報酬を受け取ることに恥ずかしいという認識が無いのだ。
つまり誤解もくそもなく、そもそも問題だと認識していない。
かくいうあたしは、たまたまハイジに拾われて、そのまま戦士として生きる道を与えられたが、初めは娼婦か奴隷になるしかないのかもと思い始めていた。
他にできることがなければ、生きるためにそうなってしまうのかもしれない、と。
つまり、運がよかったわけだ。
だけどエイヒムに出てきて、ギルドやペトラの店で働き始めて、娼婦のお姉さんがたをちょいちょい見かけるようになって、その印象は一変した。
彼女たちはあたしと同じ戦士だ。
戦う場所が違うだけで、女が生きづらいこの世界で強く逞しく生きている。
隣にいることを恥じなければならないような存在では、断じてない。
「行こう」
「リンちゃんがいいならいいんだけど……」
それに、娼館の離れは
ユヅキという同志と会うには良い環境だと思う。
* * *
「こ……この香りは!」
「んふふ。珍しいでしょ?」
ユヅキが淹れてくれたお茶は緑茶だった。
「うわぁ、これだけでも来てよかったと思えるわ」
「ここだと本当は烏龍茶とかのほうが似合うと思うんだけど、見つからなかったのよね」
「ん? ユヅキってこの世界に来たのは子供の頃って聞いたんだけど」
「そうよ? まだ十八の頃だったから」
「ぶっ」
あたしと同じかよ!
ハイジは「ユヅキが拾われた時はまだ子供だった」と言っていたけど、童顔な日本人は十八でも大人には見えないってことか……。
制服姿で気に入られようと頑張っていた、あの頃の自分の滑稽さよ……。
「なるほど、子供の頃の知識だけじゃやっていけないか」
「そうね。でもこの世界って数学……っていうか、算数が全然だめなのよ。小学生の頃に来たとしてもなんとかなるレベル」
「さんすう……」
「ちょっとした方程式どころか、四則演算もままならないって感じ」
「うへぇ……」
(なるほど、あたし程度の人間に「教師になれ」なんて言うはずだ)
(ペトラの帳簿も見せてもらったけれど酷かったしなぁ……前途多難だ)
ずずずと緑茶を啜る。
日本茶とはちょっと違う風味だけれど、間違いなく緑茶だ。
「ふー……美味しい」
「あはは、リンちゃんおばあちゃんみたい」
「失礼な!」
さて。
「じゃあ、どんなテキストを作るか軽く話し合おうか」
「そうね。でもリンちゃん、その格好窮屈じゃない?」
「これ? 動きやすいよ」
「ハイジさんもそんな感じだけど……ブーツ脱いでもいいのよ?」
「あ、それはありがたいな。これ、めちゃくちゃ蒸れるのよ」
ヴィヒタのおかげか臭くなったりはしないが、行軍中とかは汗で蒸れてふやふやになるのである。
ポイポイとブーツを脱いで素足になると、開放感がすごい。
なにしろ靴を脱ぐ習慣のないこの世界では、お風呂やサウナの時くらいしか靴を脱がないのだ。
あとは寝る時くらいか。
遠慮なく椅子の上で胡座にならせてもらう。
「服も着替えたら?」
「それはいいわ。遠慮しとく」
「ふぅん。ベルトとか邪魔そう……」
「まぁ、慣れかもね。もうこれじゃないとしっくりこないもの」
「女の子なのに同じ服ばっかりっていうのもつまらないなぁ……ねぇ、よかったら違う服を着て見せてよ」
「え、そんなのいいよ、やだよ、要らないよ」
「いいからいいから」
「ちょっと、ユヅキ」
止めるのも聞かずに、ユヅキはウキウキと立ち上がって、どこかへ行ってしまった。
ちょっと嫌な予感がする。
「ユヅキ、要らないってば」
「遠慮しないでー」
「遠慮とかじゃなくて……あと、あたし娼婦の格好とか絶対無理だからね」
「『はぐれ』にそんな格好させるわけないでしょ」
「要らないって言ってんのに……」
「まぁまぁ。ほら、これ見て」
「ん、これって……えっ、すごい」
ユヅキが差し出したのは、いかにも現代日本って感じの服だった。
ちょっとデザインが古臭くて野暮ったいのはユヅキの知識が十八で止まっているからか――でも、間違いなく久しぶりに見た「ごく普通の日本の服」である。
この世界では珍しい薄青に染色されている。
ツーピースではなくワンピースなのと、肌をしっかり隠すデザインなのは、ギリギリこの世界に合わせてのことだろう。
「んふ。懐かしい感じでしょ? 作ってもらったんだ」
「本当だ。ユヅキのその格好も?」
そういう前提で見ると「妙に色っぽい」と思った服装も、日本でよく見るごく普通の服に見えてくる。
というか
なるほど、この服装は
「半分はそうかな。こっちの人の体格が良すぎて、普通の服をあたしが着るとみっともないってのと、あとはやっぱり娼館だからそれなりの格好をしないと舐められるってのもあるけど」
「似合ってるよ。黒い服とか他であんまり見ないし」
「生成りか、草木染めしかないもんね、この世界」
そういうことならしょうがない。ちょっと着替えさせてもらおう。
「ああ、やっぱりよく似合う!」
「ちょ、ちょっと恥ずかしいね」
「……完全に感覚がこっちの人になってるじゃないの」
確かに日本だったらどうということもない平凡な格好(ただしややダサめ)だろうが、雰囲気が全然違う。
そもそもあたしは普段スカートを履かないし、せいぜいペトラの店のおばさんぽいカボチャ袖の服くらいだ。
いや、あれはあれで可愛いけど。
とはいえ、普段女の子っぽい格好など全くしないので、なんとなく気恥ずかしい。
「でも、すっごい楽」
「でしょうね。そんな硬くてゴワゴワな服で生活するなんて、あたしだったら考えられない」
「ありがたく借りておくね」
まぁ、たまにはこういうのもいい。
普段男しかいない環境で生きているのだ。
貴重な機会だ。どうせなら女子会を楽しもう。
* * *
日本ぽい服を着て、日本ぽい格好のユヅキと一緒に東洋風の部屋で緑茶を啜る。
なんとも懐かしい雰囲気である。
「あー、こういうのもいいなぁ」
「これからちょくちょくおいでよ。お茶だけじゃなくて、日本風のお菓子も用意しとくよ」
「へぇ、そんなのあるの?」
「ないから作るの。この世界のお菓子ってスパイスが効いてたりしてちょっと口に合わないんだよね」
「慣れると美味しいけどね」
特にペトラの作るパンケーキは美味しい。
香ばしく焼けたぺったんこなパンケーキは、スメタナ(サワークリーム)とジャムを乗せて食べると最高。
そしてやっぱりスパイスが効いている。
「ユヅキは、日本に帰りたいの?」
「そりゃそうだよ。リンちゃんは違うの?」
「うん。あたしはこの世界が自分の居場所だと思ってる」
「へぇ……いいなぁ。あたし、ずっと自分のこと部外者っていうか、この世界じゃ異物なんだなって感じてるもの」
「そうなの?」
まぁ、お互いちょっと浮いてる感は否めないが。
「でも、もう十五年近く経つし、どのみち帰れないよ」
「そうだね」
「それに、この世界のことが嫌いじゃないから。
「居場所があるってのはいいことだよね」
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