Epilogi
※ 本日は三話更新します。27、28話をまだお読みでないかたはそちらを先にお読みください。
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寂しの森の小屋は、広大な森の奥の奥……「魔物の領域」の突き当たりにある。
魔物の領域の周りには全く樹木が生えていない土地があって、そこが「魔物の領域」の境界となっている。
森の反対側は険しい山となっていて、小屋は山を背に建っている。
山はそう高くはないが、酷く険しい。
人の手が入っていないため荒涼としており、歩くだけでも大変だ。
あたしはふと思い立って、ノアを連れて頂上を目指すことにした。
特に意味はない。
いわば、散歩代わりのちょっとした登山だ。
普段からあまり無駄なことをしないあたしにとっては珍しい行動だと思う。
ただ、この山の向こうには何があるのだろうと思っただけだ。
ゴツゴツとした岩山を登る。
ノアはご機嫌で鼻歌混じりで着いてくる。
小さな頃から鍛え上げたとは言え、大したものだ。
あたしはあまりおしゃべりな方ではないので、普段からあまり会話は弾まないが、お互いにそれが苦になったりはしない。
二人してほとんど無言のまま、穏やかな気持ちで頂上を目指す。
▽
ノアはそろそろ十歳になる。
つまり、あれから十年――はたしてあたしなんかが子供を育てられるのかと不安もあったが、予想に反してスクスクと育ち、もう一、二年もすればあたしの背丈を追い越しそうだ。
顔つきやこの世界に来た時に着ていた
体格ではこの世界出身の人々に負けるものの、すらっとした高身長は日本人離れしている。
食生活か、あるいは『寂しの森』の魔物の領域で生活しているからかもしれない。
あたしはノアの母親を名乗っていない。
両親がいないことは物心がつく頃までに教えている。
そのかわり、エイヒムにも頻繁に連れていき、寂しいと思う暇を与えなかった。
あたしも文字通り死ぬほどの愛情を注ぎ込んだ。
『はぐれ』であることがハンデになるかも知れないと思ったが、そんな心配をよそにたくさんの友人もでき、エイヒムの人々からの愛情を一身に受けて健やかに育っている。
ではあたしは何かというと、ノアの
たまに二人で冒険者として仕事を受け、狩りや害獣駆除、採集なんかもやっていたりする。
ちなみに冒険者ランクはすでに四級。
なかなかに末恐ろしい。
そんなノアの能力は『追従』。
スピードはもちろん、その気になれば操作された時間にまで追従してくる。
さすが『はぐれ』、なかなかの
だからこうして手加減なしで登山していても、遅れたりはぐれたりする心配はない。
今では力仕事以外のほとんどのことはできるようになった。
狩りや採集はもちろんのこと、ノアの作る食事はなかなか美味しい。
そろそろ山での採集についても教えてやらなければ。
蟹の魔物は食べられないことや、
森での生活は厳しいが、その分面白いこと、楽しいことが目白押しだ。
▽
季節は春。
だけど、山の中腹にはところどころ雪が残っている。
植物が少なく、荒涼とした道なき道を突き進む。
もう少ししたらベリーや木の実の季節だが、今はまだ早い。
途中、いつかハイジと一夜を明かした観測小屋を通り過ぎる。
そういえば長らくあの小屋へは来ていない。
あのオオサンショウウオみたいな
次は宿泊セットを持って、ノアを連れてきてやろう。
あの光景を見て、ノアは何を思うのだろうか――だが、前情報を与えて感動を薄れさせるのも勿体無い。
ここは何も触れずに通り過ぎておこう。
観測小屋から上には行ったことがない。
特に用がなかったからだが、もう少し登れば「寂しの森」の全景が見えるだろう。
それはきっと、楽しい。
登山と言えば体力や酸素との戦いが醍醐味だ。
しかし、残念ながら今のあたしとノアにとってはどちらも無縁の話だ。
ちょっとつまらない。
たまには体をいじめてゼーゼー言いたいものだ。
軽く空腹になったので、背嚢からおむすびを取り出し、二人してかぶりつく。
領主夫人となったサーヤが送ってくれたお米である。
サーヤも残念がっていたが、品質は日本のお米とは比べるべくもない。
かなり
今回のおむすびもあまったスープで炊いたピラフのようなものだ。
味はなかなか悪くない。
齧りながら、休憩も挟まず山を登り続ける。
登りながら、あたしは一度も後ろを振り返らなかった。
やっと頂上あたりへ到着する。
どこが
登り切ると、山の向こう側が見えた。
森だった。
かなり遠くに街らしきものが見える。
多分あれがサーヤがいるというオルヴィネリか。
さらに遠くは霧だか
ここヴォリネッリは最北端の国だ。
なら、あの向こうには何があるのだろう。
何もないのか、あるいはハイジのいるというヴァルハラがあるのか。
あたしは一つ深呼吸して、満を辞して後ろを振り返る。
薄暗く、陰鬱な、しかし美しい風景が広がっていた。
あたしは息を飲む。
危険ばかりが多い世界だけれど、こんなにも雄大で美しい。
遥か遠くにはエイヒムがある。
なかなかに広い街だと思う。
目を細めてみれば、城らしき建物が視認できるが、ここからではよくわからない。
エイヒムの周りは森だが、樹木がまばらだった。
視線を少し落とせば、寂しの森の全景が広がっている。
緑が濃い。
エイヒム付近や山の向こう側よりも緑が鮮やかなのは、魔力が満ちているからだろうか。
森には半分に割ったドーナツみたいに樹木がない部分がある。
出会った頃のハイジに連れられて、雪に埋もれながら歩いたことを思い出す。
昔はその先にギャレコの駅逓所があったが、今では来客用の施設となっている。
ドーナツの内側は魔物の領域だ。
一時と比べると数は激減したが、今でも魔獣だらけの危険な土地だ。
あたしとノアの遊び場とも呼ぶ。
魔物の領域を二つに割ったみたいに、一本の通路が見える。
通路の突き当たりがハイジの小屋だ。
残念ながら、ここからだと小さすぎてよくわからなかった。
空を仰ぐ。
相変わらず陰気な空だ。
陰気で、だけど美しい。
湿気を含んだ冷たい風が頬を撫でる。
どんな寂しさも、時が少しずつ溶かしてしまう。
どれほど拒んでも、抗っても、ハイジがいない寂しさに少しずつ慣らされていく。
今では、ハイジの鼓動が止まった瞬間のことを思い出しても、悲しいとさえ思えなくなってしまった。
それでも――愛しさは何も変わらなかった。
あんなに大切にしていた苦痛が、強制的に癒やされてしまっても。
優しくされたことも、大切にされたことも、嬉しくされたことも、その幸せはずっとずっと変わらずここにある。
もはや、一刻も早く会いたいという、あの焦燥感にも似た胸を焦がすような感情も残っていない。
ただ、この人生のずっと先にハイジが待っていることが嬉しいだけだ。
――生きてくれ、リン
――生きているお前が好きなんだ
あの時の声は死ぬまで耳から離れることはないだろう。
――いつものように追いかけてこい
――ヴァルハラで、お前を待っている
なら、あたしは生きて、追いかけるまでだ。
その道がどれほど遠くても。
▽
ノアに視線を移すと、熱心にエイヒムを観察している。
きっと、もうすぐ開校されるエイヒムの学院を探しているのだろう。
学院は冒険者・傭兵・商人見習いなどのランクが一定数を超えるか、十歳になれば身分を問わず入学が許可される。
すでにその資格を満たすノアは、入学が待ち遠しくて仕方ないようだ。
せっかくなのだから、ここから見る風景を楽しめばいいのにと思う反面、時間はいくらでもあるのだから、何度でも遊びに来ればいいとも思う。
「ねぇ、リン」
「何?」
「『番犬』のこと考えてる?」
「……なんでそう思った?」
「リンが変なことを始めるのは大体『番犬』のことを思い出した時だから」
「そう?」
「それに、目を見ればなんとなくわかるかな。リンって、ときどき子供みたいな顔をする時がある。そういう時、だいたい『番犬』のことを考えてるよね」
「生意気な……」
頭をぐしゃぐしゃと撫でると、ノアはケラケラ笑って「やめてー」などと騒いでいる。
「ペトラがさ……リンは死にたがってるんじゃないかって言ってた」
「ペトラが?」
「そんなことないよね?」
「そうだね。そんなことないよ」
むしろ。
「今は、
「そう」
ノアは満足したのか、あたしの頭に手をやって、仕返しとばかりにぐしゃぐしゃと撫でた。
「いい子だね、リン」
「生意気な……」
「よしよし」
「やめろ」
そう言いながらも、好きにさせる。
二人して、黒い髪がぐちゃぐちゃだ。
いや、最近数本白髪を見つけたっけ……。
見れば、随分日が落ちていた。
夕焼けが世界を照らし始めている。
「……帰るか」
「そうだね」
特になんのイベントもなく、今来たばかりの道を引き返す。
足元を小さな魔物たちが這い回って逃げていく。
「今日は、昨日焼いたばかりのパンがあるよ」
「やった。じゃあ暗くなる前に早く帰ろうよ」
言うが早いか、ノアは下り坂を走り出した。
「何も走らなくても……ってもう聞こえてないか」
肩をすくめる。
あたしは空を見上げる。
(ハイジ。見えてる?)
(言われた通り、ちゃんと生きてるよ)
もちろん返事はない。
だけどあたしは満足して、あの小屋を目指して走り出した。
=====
「魔物の森のハイジ・真説」、これにて完結です。
暗い話にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
次は暗くない、痛くない、悲しくない、気軽に読めるお話を書きたいと思います。
それではまたいつかどこかでお会いしましょう。
魔物の森のハイジ・真説 カイエ @cahier
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