28
※ 本日は三話更新します。27話をまだお読みでないかたはそちらを先にお読みください。
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病室に、赤ん坊を胸に抱いたペトラがやってきた。
気まずいのを隠すように、勝ち気な態度で――でもまったく隠せていなかった。
どこまでも真っ直ぐで、正直なペトラ。
いつかこうなりたいと願った女性。
――あたしなんかがこうなることは、もはや不可能だろうけれども。
ドアの前で黙ったまま、なかなか近づいて来ないペトラにあたしは声をかけた。
「久しぶり、ペトラ」
ペトラは一瞬口籠り――スッと胸を貼って虚勢を貼って見せた。
「ミッラの顔を立ててやるために来ただけだ。――何の用だい? 『黒山羊』」
――『黒山羊』、とペトラは言った。
ああ、距離置かれちゃってるな、と感じて少し悲しくなった。
だけど、悪いのはあたしの方だ。
ペトラがハイジのことが好きだったことくらい、鈍感なあたしでもわかる。
そのハイジを殺したあたし。
その時何があったのか一切説明する気のないあたしに、ペトラはどういう感情を抱いただろうか。
「その赤ちゃんのことなんだけど」
「ああ。面倒を押し付けられていい迷惑だよ、まったく」
「あたしが育てようと思うんだ」
あたしがそう言うと、ペトラは驚く様子もなくフンと鼻を鳴らした。
「……お前みたいな奴に、子育てなんて出来るわけないだろ」
「だよね。だから……ペトラ。あたしに育て方を教えてくれないかな」
今度こそペトラは驚いた様子を見せた。
「えーっと」などと呟きながら、目を泳がしている。
「……じゃ、まぁとりあえず……抱いてみるかい?」
「……う、うん……」
ペトラが偽悪的に笑って、しかし恐る恐るあたしに近寄ってきた。
手を差し出そうとしたが、左手がまともに動かない。
右手だけでも、と差し出そうとすると、ペトラは邪魔そうにそれを振り払い、赤ん坊をあたしの胸にゆっくりと押し付けた。
初めてまじまじと見る『はぐれ』の赤ん坊。
瞼を閉じているので目の色はわからないが、間違いなく黒髪――赤ん坊らしく毛は薄くてふわふわしている。
光り輝くような美しい子供だった。
東洋的の顔つき。
おくるみから推測するに日本人だろう。
名前のわかるようなものは身につけていなかったのだろうか。
月齢はどのくらいだろうか?
健康そうに見えるが、この世界の死産率は高いし、生まれてきても5年以内に死んでしまうことが多い。
なんとか死なせずに大人にしてやりたい。
「……かわいいね……」
言葉が勝手に口をついて出た。
じわりと、言語化し難い感情が胸に広がる。
甘いような、切ないような、悲しいような、でも幸せな感情。
「本当に、可愛い」
「……本気で自分で育てる気かい?」
ペトラがどこか呆れたような雰囲気で言った。
あたしは力を込めて返事をした。
「うん」
「なら、一個だけ答えな」
「……何?」
「もし答えられないならこの話は無しだ」
ペトラはたっぷりと間を置いて、あたしに言った。
「あんた、
ああ、ペトラはあの時何が起きたのか、もう理解しているんだ。
その上で黙ったままのあたしのことを、どうやって許せばいいか迷っている。
だから、あたしは一言だけ答えた。
「本当は、連れて行って欲しかった」
「……それだけ聞けば十分だ」
ペトラはそう言うと、躊躇い気味にあたしの頭を抱いた。
立派なお腹と大きな胸に挟まれる。
ペトラは震えるような小さな声で呟く。
「ありったけの勇気を振り絞って手に入れたモンだもんな。おいそれと人に教えてなんかやれないよな」
あたしは返事をしたかったが声にならず、「うん」とうなづくだけだった。
「……母乳の代わりには、トナカイの乳を飲ませな」
「ああ、たぶん粉ミルクなんてないもんね……そっか、トナカイの乳でいいんだ。でもうち、メスは一頭しかいないしなぁ」
「足りない分はあたしが届けるさ」
「森まで来てくれるの?」
「ああ。そのかわりにサウナを貸しておくれよ。
「へぇ、知らなかった」
道理であたしがいつまで経っても成長しなかったはずだ。
でも、ペトラが来るならきちんと掃除しておかないと。
ペトラは不器用に笑って見せてくれた。
「そのときにはさ。一緒に入ろうよ。裸の付き合いだ、リン」
* * *
「開けてぇー」
「リンちゃあん!」
「来たよ! リン!」
「姫さま、危険です! まだ馬車から降りては……」
小屋の外から賑やかな声がする。
いつもはペトラが一人でやってくるのに、今日は大所帯のようだ。
ドアを開けると、戦斧を担いで堂々と立つペトラと、ニコとヤーコブ、そして異様に立派な馬車から顔を出すサーヤがいた。
馬車の周りには革鎧をつけた騎士らしき護衛が四名――何故かはわからないがめちゃくちゃビビりまくっている様子。
「なに? これ」
思わずつぶやくと、ペトラが答えた。
「サーヤが来るって聞かないから連れてきた」
なぜかペトラが得意げだ。
多分、『寂しの森』の魔物の領域で思う存分暴れることができたのだろう。
横で剣をしまう冒険者風の出立ちのニコも笑顔だった。
「あたしとヤーコブは野次馬。赤ちゃん見にきただけだよ」
「じゃあ何なの、その立派な馬車は」
あたしが言うと、騎士たちが止めるのも聞かずに馬車の扉をバーンと開けて、サーヤが飛び出してきた。
「リンちゃん久しぶりー! 来たよー!!」
「帰れ!!」
あたしが怒鳴ると、護衛たちとヤーコブがギョッとする。
ペトラは平然としており、ニコは苦笑気味だ。
「えーっ! 何でそんなこと言うのよぅ!」
「ハイジのベッドは絶対使わせないわよ……!」
「シーっ! きょ、今日はそんなんじゃないわよぅ」
ダバダバと暴れるサーヤとそれを冷たい目で見るあたし。
どうやらベッドの一件は騎士たちに知られてはいけないことである様子。
騎士たちは「無礼な」などと呟いているが、騎士ならまずその引けた腰をどうにかしろ。
「で、何しに来たの?」
「今日は……赤ちゃんに服とかおもちゃとか、いーっぱい持ってきた!」
「えっ? それは助かる!」
ペトラに聞いて色々用意はしたけれど、よく考えたらペトラだってこんな小さな子供を育てた経験はない。
だから色々買い忘れたものもあり、こうやって届けてくれると非常に助かる。
あたしはサーヤに冷たく当たるのをやめた。
ベッドの一件はいまだに根に持っているが、実利優先である。
「ありがとう、サーヤ。嬉しい」
「後ろの馬車にパンパンに入ってるよ! 遠慮せずに受け取って!」
後ろを見ると、騎士たちが馬車から次々と大きな箱を運び出している。
「な、何が入ってるの?」
「こっちと、それと、その箱は全部服だよ! これが赤ちゃん用の食べ物で、あとは全部おもちゃ!」
アホみたいな量だった。
「こんなにいらん! 持って帰れ!」
「えーっ! 粉ミルクとか、お米のフレークとかもあるのに」
「うっ、それはありがたいけど……こんな大量のおもちゃどうすんだ!」
「遊ばせたらいいじゃない」
「置き場所がないだろ!」
「ハイジの部屋に置けばいいじゃない」
「なっ……!」
なんてことを言うんだ、と思ったが、サーヤの顔を見て次の言葉が出てこなくなった。
サーヤの顔は笑っていたが、どこか真剣さを感じる表情だった。
どうやらこの量は
「どうせリンちゃんのことだから、あの部屋をずーっと保存しとくつもりだったんだろうけど、赤ちゃんだってすぐ大きくなるよ」
「それは……そうだけど」
「部屋が足りなくなったらどうするの? 日本と違って、この世界じゃ三歳にもなれば親と一緒に寝たりしないよ」
「え、そうなの?」
あたしなんて、自分の部屋があるのに中学に上がるまで両親と寝てたけど……。
「なら、ハイジの部屋を使うしかないじゃない?」
「……まぁ、それはそうかもしれないけど……」
「だから、あの部屋をおもちゃでいっぱいにしようよ」
「いや、それはいらん」
サーヤは思惑が外れたらしく「なんでー!?」と騒いでいるが、あたしはこの子に贅沢を覚えさせる気はない。
と言うよりは――街では味わえないような本当の豊かさを味わわせてやりたいと思っているのだ。
ニコが恐る恐る声をかけてくる。
「リンちゃんリンちゃん」
「なに? ニコ」
パッと機嫌良く返事すると、サーヤが「あたしと随分態度が違う……」などと唇を尖らせるが、あんたには前科があるからな。変態め。
「あたしもサーヤさまから赤ちゃん用の食料をもらったんだ」
「はいっ! ニコさんにもプレゼントしましたー!」
「へー。っていうか、ちびリンはどう? 元気してる?」
「うん、今はミッラさんに見てもらってるよ。もう固形食が始まってるんだ」
「はいはーい! あたしも話に入れてー!」
「うるさいなぁ……聞こえてるってば」
ちゃんと返事してるじゃないか……。
いつも注目を浴びて生きてるからか、自己主張が激しいサーヤである。
「お米のフレークがね、すごーく便利だよ。お湯で茹でて食べさせるんだ」
「お米なんてあるんだ。長いこと食べてないなぁ……あっ」
その時、部屋の奥から「うあーん」と鳴き声が聞こえてきた。
全然夜泣きしない上によく寝る扱いやすい子供だけれど、さすがにこの喧騒では寝ていられなかったらしい。
あたしがすっ飛んでいくと、みんなガヤガヤと部屋に入ってくる。
おお、過去最高の人口密度だ。
騎士の人たちが「姫! 危険です!」とか言ってるけど、危険なのはむしろその姫の方だ。こいつは危険だ。ハイジの部屋に入られないように目を光らせておこう……。
残念ながら小屋には椅子が二つしかない。
一つはあたしが赤ちゃんを抱いて座っている――もともとはハイジのものだった大きい方の椅子だ――が、もう片方には当たり前のようにサーヤが座っている。
まぁ、領主夫人を立たせて椅子に座れるような人間はなかなかいないだろう。
「その子が
「似ててたまるか。血のつながりはないっての」
あたしの返答に騎士たちが額に青筋を立てているが、気にしたら負けだ。
どうせ
巷であたしがどんな風に思われているか知っているなら、あまりこんなことはしない方がいい。騎士様たちもご苦労様である。
「サーヤ……旦那さんに心配かけちゃダメだよ。あんた仮にも領主夫人でしょうが」
「えー、でもダーリンは「そんなサーヤが好きだ」って言ってくれるもん」
くねくねしながらサーヤが惚気る。
マジか。
「……サーヤがサーヤなら旦那も旦那だね」
「そんなに褒めなくても」
「褒めてない」
サーヤは顔を赤くしてニヤけている。
気持ち悪い顔だなぁ……。
あたしの態度に後ろで騎士たちが殺気立っている。
邪魔だなぁ……。
「ね、たまには遊びにきていいよね」
「……後ろの騎士さんたちが嫌がってるじゃん」
「じゃあ、あたしが警護してやろう」
ペトラが胸を張って言った。
まぁ、元祖戦乙女が警護するなら安心だろう。
それなら、あたしはあたしで頼みたかったことがある。
ことのついでにお願いしておこう。
「ねぇ、ペトラ。あたしが戦いにいくときは、この子を預かってもらっていい?」
あたしの言葉に、賑やかだった部屋がシン、と静まった。
ニコが困ったように言う。
「リンちゃん……まだ戦うつもりなの?」
「もちろん。死ぬまで傭兵のつもりだよ」
みんなが気まずそうに顔を見合わせているが、別に死にに行くわけじゃない。
むしろ――
「いいよ」
あたしがどう説明すべきか逡巡していると、ペトラが返事をしてくれた。
「その代わり、絶対に生きて帰ってきな」
「……わかった」
力強くうなづく。
「ところでこの子、洗礼はいつ受けるんだい?」
「来月かな。教会には届けを出してるよ」
「そうかい。で、名前は決まってるのかい?」
「うん」
ハイジ・ノア・リーン。
この子の名前だ。
その名前を口にした瞬間、全員が気味悪そうに顔を見合わせたが、別に狂ったわけでも、この子を
ただ、ハイジは「全部持っていけ」と言ったのだ。
しかし、二つ名は勝手には引き継げないし、通称も使い所がなかった。
だからこの子に使ってもらおうと思ったのだ。
この世界では 名前 - 通称 - 育ての親の名前、という構造で名前が決まる。
あとは所属する領や都市、街、里などをつける。
つまり名前はハイジ、通称ノア、育ての親はリーン。
所属は魔物の森。
魔物の森のハイジだ。
* * *
今も、死の瞬間を夢見ている。
ハイジに会えるその日を、今か今かを待ち望んでいる。
でも、今は生きよう。
この子の成長を見届けるために。
こうしてあたしは、ようやく「生きたい」と自然に思えるようになったのだ。
=====
次で完結です。
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