23

 この冬初めての吹雪がやってきた。


 本格的な冬を迎える準備が間に合ってよかった。

 なにせ、半年もの間雪に閉ざされるのだ。保存食や燃料が大量に必要だ。特に燃料の確保が一番重要だ。これを怠ると死ぬ。しかも最近はサウナを沸かすことが増えたので、薪が大量に必要になる。


 幸い、薪の準備ならあたしも手伝える。魔力を流した細剣レイピアでサクサクと量産する。


 その間にハイジはキッチンコンロの煙突掃除である。

 コンロの構造はダンパーやら空気量の調節やらでストーヴよりも複雑だ。その分掃除するところも多いため作業が遅れていたが、思ったより早い吹雪の到来で、今日済ませてしまうことにしたらしい。


 本当は掃除の仕方を教えてもらうはずだったのだけど……まぁいい、機会はまたすぐに訪れるだろう。


* * *


「そういえば、ニコがめちゃくちゃ強くなってて驚いたよ」


 小休止となり、お茶をしながらハイジ(鼻の頭に煤がついているけれど黙っておこう)に教会での一件を話す。


「ヤーコブたちも随分できるようになったし、エイヒムも安泰よね」

「そうか」


 そっけない返事ではあるが、雰囲気で喜んでいるのがわかった。

 これでもっと顔に出せれば弟子たちも喜ぶだろうに。


「今のところは負けることはないだろうけど、あたしもまだまだだと実感したよ……ニコは純粋な技術だけで「打点ずらし」ができる訳でしょ? すごいなぁって」

「ペトラの技術だな。ペトラは魔力がなかったから、かわりに苦労して身につけたようだ」

「若い頃のペトラってどんな感じだったの?」

「踊り子のようだった」

「踊り子……」


 先日の醜態を思い出して思わず俯いて顔を隠す。

 あまり思い出させてくれるな。


「ねぇハイジ。久しぶりに稽古をつけてくれない?」


 あたしが言うと、ハイジは少し眉間に皺を寄せた。


「断る」

「なんでよ」

「一人で訓練できるだろう」

「そりゃそうだけど」


 今もあたしは自主訓練を続けている。

 日々、強くなっている自覚はある。もともとあたしは自分を追い込むタイプだ。陸上時代にもコーチに「少しは休め」と叱られたっけ。


「そう言わずちょっと付き合ってよ。今の実力を見せておきたいし、


 強めにお願いすると、断る理由を思いつかなかったのか、ハイジは仕方なく立ち上がった。


* * *


 ハイジは新調した剣を抜き、調子を確かめるように軽く二、三度振り、軽い感じであたしに向けた。

 あたしも細剣レイピアを抜いてそれに対峙する。


「いつでもいいぞ」


 完全にリラックス状態のハイジだが、どこをどう見ても隙がない。

 ただ剣を向けているだけなのに、どこから攻めていいのかわからない。


「……厄介な」


 意識を集中する。

 思い切り殺気をぶつけて威圧する。

 ブワッと髪が逆立つ。

 風が起きたかのように足元の木の葉が舞う。


 チィイイン!…………


 剣が弾かれる。

 目一杯伸長してからの超加速の一閃。にもかかわらずハイジはそれを悠々と受ける。

 ハイジの剣技には一切の魔力が使われていない。なのにこれだけ魔力を込めたあたしの攻撃をものともしない――相変わらず途轍もない技術だ。


 しばらく休まずに打ち合い、離れて体制を整える。

 ハイジがコキコキと首を鳴らした。


「前より速くなったな」

「そう? ありがと」


 自覚はある。訓練に手を抜いたことはない。

 だが、ハイジにはあたしをする余裕があるらしい。


(こんちくしょう)

(そのすました顔に一発食らわせてやる)


 加速。

 しかしハイジはそれを軽い調子で弾く。


「ッ………!!!」


 軽く弾かれただけなのに、とんでもなく重たい衝撃が返ってきた。

 剣が手から離れそうになるのを必死に抑える。衝撃に備える癖がついていなければ、この一撃で勝負がついてしまっていたところだ。


(――


 ハイジもできたのか。

 なんて器用な男だ。


「びっくりした。そんなことまでできたのね」

「ペトラの弟子とやりあうなら慣れておいた方がいいだろう?」

「そうね。でもハイジにが使えることを、今の今まで知らなかったわ」

「使い勝手が悪いからな。それにペトラほどうまく使えん」


 いいからかかってこい、とハイジが剣先を軽く動かす。


 思い切り飛び込む。

 なに、死にさえしなければどれだけ斬られようが問題はない。死に物狂いで剣を振る。体格に劣るあたしに鍔迫りは向かない。腕力で勝てるわけがないし、そもそも剣が折れる。手数で勝負だ。ハイジはこう見えてスピードも半端なくある。パワータイプではあるが、技術とスピードも尋常ではない。それでもハイジに打ち勝とうとすれば、あたしに他の道はない。とにかく少しでも翻弄できるように、いろんな角度から数を打ち込む。


 それを軽く受け流すハイジの剣はいちいち重たい。どういう理屈か、打ち込んだ力をそのまま返されている。次にニコとやり合うときのためにも体に教え込んでおこう。


「スピードに頼りすぎるな。雑になっている」

「アドバイスありがとッ!」


 ビュビュッ、と突きを繰り返す。

 この男に追いつくにはスピードだけではダメだ。

 もっと工夫しろ。


「良くなった」

「そう、ありがと、ね!」


 全身全霊の力を込めて、工夫して、意表をつくことを考えながら打ち込む。

 見れば、ハイジは最初から一歩も動いていない。あたし程度、突っ立ったままでも相手ができると思っているらしい。


(こんちくしょう!)


「らぁっ!!」

「む」


 ハイジがうめいて一歩足を引いた。


(やったぜ)

(歩かせてやった)


 ふ、と笑って距離を取った。


「どう? 多少は強くなってるかな」

「十分だ。だが能力に頼りすぎだ」

「そうね、自覚はあるわ」


 ふー、と息を吐く。


(いいタイミングだ)

(言え。今しかない)


 これでも、この程度で汗をかかない程度には鍛えているつもりだ。

 だけど、鼓動はこれまでにないほど速まっていた。


 あたしは無理やりに笑顔を作って、にっこりと笑いかけた。


「ハイジ、一つ賭けをしない?」

「賭け?」

「もしあたしが勝ったら、一つだけ言うことを聞いてほしいの」

「なんだ、言ってみろ」


 声が震えそうになるのを必死になって抑えながら、あたしはそれを口にした。



 その途端、辺りがドバッと濃密な殺気に満たされた。

 バサバサと鳥たちが飛び去った。


 あたしは涼しい顔を作って、軽い調子で言った。


「ハーゲンベックはもういないのよ? もうすぐ学校だってできる。他にすべきことがいっぱいあるでしょ」

「おれは戦うことしかできん男だ」

「そんなことない。現にハイジに頼っている人がいっぱいいるじゃない」

「傭兵が戦わなくてどうする」

「だから傭兵をやめてってお願いしてるんじゃない」

「できん相談だ」

「あたしに勝つ自信がないの?」

「己惚れるな。安い挑発だ」

「自信があるなら受ければいいじゃない」

「メリットがないな」

「もし勝てなければ、同じことは二度と言わない。約束する。だから」


 泣くな。

 笑顔を崩すな。


「昔のように、


 だけど、あたしは声が震えることを止めることができなかった。

 笑った顔のまま、涙がこぼれるのを必死に堪えた。


 その様子を見たハイジは冷たい表情であたしを睨む。

 ハイジの周りの空間がぐにゃりと歪む。

 ――それは怒りか、それとも違う感情か。


「……良かろう。挑発に乗ってやる。」


 そしてハイジは、あたしの願いに応えた。

 剣をあたしに向ける。


「かかってこい」

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