20
寂しの森からエイヒムへは基本的にギャレコの牽く馬車を使っている。その気になれば歩きでも行けないことはないが、時間がかかし、山積みのキノコや木の実など嵩張る荷物がある時は、人間が運ぶことはほぼ不可能になる。
つまり、ギャレコの馬車は寂しの森の重要なインフラなのである。
しかしある日、ギャレコが大変なことを言い出した。
「え、引退するんですか?」
「そうなるなぁ、すまんがもう歳でな」
「あー、それはしょうがないですけど……」
だけど、ギャレコがいなくなると寂しの森とエイヒム間の移動手段がなくなってしまう。
「どうしようかな……」
「代わりと言っちゃ何だが、トナカイたちを譲るで」
「え、そうなんですか?」
いやいやいや。
「トナカイなんて飼えないですよ、領域に入ったら魔物の餌食だし、戦争が始まったら留守がちになるし……」
あたしがオロオロしていると、ハイジが言った。
「前から決まっていたことだ。無理を言うな」
「えっ、そうなの? 全然知らなかった」
「荷物を運ぶのに馬車がある方が便利だったので契約した」
曰く、本当ならもっと昔に契約は切れていたそうだ。
エイヒムがまだハーゲンベック領だった頃、ギャレコは軍人だったという。
戦争で足を悪くして引退し、その当時はまだ魔物の領域に飲み込まれていなかった寂しの森などいくつかの辺境に駅逓所を作り、御者として生きていくことになった。
しかし、領主がハーゲンベックからライヒに変わった途端、生活が苦しくなった。
ギャレコはハーゲンベックの軍人だった経歴もあり、ライヒの都市計画に参加させてもらえなかったのだ。
そんな折、寂しの森に魔物の領域が発生。
ほぼ同時にこの辺一体がハイジの土地となった。
当然寂しの森を追い出されるはずのギャレコだったが、ハイジに御者としての腕とその誠実な人柄を買われて、御者として雇われることとなった。
それからと言うもの、ギャレコはライヒの交通網から溢れたいろいろな土地を周るようになった。
すなわち雇い主はハイジで、これまでのかかった諸々の経費もハイジが出している。
「財産なんてトナカイだけでいい」というのがギャレコの口癖だが、トナカイを手放し、仕事も失くしたこれからどうやって生きていくつもりなのだろう。
「なに、ハイジが退職金を出してくれたし、これからはのんびりと生きるさね」
「そうなのか……寂しくなるね」
「ほっほ」
ギャレコは笑って、
「どれ、馬車の操作を教えてやろう、横に来なさい」
「うん」
こうして、あたしは馬車の操作を教えてもらった。
あたしの魔力が怖いからか、トナカイたちはよく言うことを聞く。
本当はもっと心を通わせて、威圧せずに御せるようになるのが理想なのだそうだ。
ギャレコがいなくなる。
もともと三の曜日にしか来なかったわけだが、完全にいなくなるわけだ。
となると、いよいよあの広大な寂しの森に、あたしとハイジの二人だけになる。
これまで細く細く繋がっていたエイヒムとのつながりも断たれるようで、文字通り寂しい森になってしまう。
だけれど、もともと寂しの森は孤独な場所なのだ。
もうすっかり白樺も木の葉を落とし、夜になれば凍えるような湿気た風が吹くようになった。
冬がやってくる。
* * *
ギャレコが完全に引退するのは冬の終わりということで、それまでにトナカイの世話の方法を色々教わることになった。
ハイジに聞けば全部わかる、などと言っていたが、天涯孤独なギャレコは人にものを教えるのが嬉しいらしい。端から端まで細かいことを全部教えてくれた。
トナカイの世話は楽らしい。
今は厩舎で餌やりをしているが、本来なら森に放てば勝手に生きるという。
魔物の領域に入らないように教えてあるので、あとは一日に一度簡単な世話をすればいい。
長く留守にする時はギルドで預かってもらうこともできる。
つまり、仕事は増えるがギャレコがいなくなる穴はそれほど大きくはないようだ。
また仕事が増えるだけで。
「うあー、あの距離を毎日往復するのかぁ……うちとギャレコの家、どんだけ離れてると思ってんのよー」
「なら家のそばに厩舎を建てるか」
「そんなことできるの?!」
そこでふと気づいた。
「よく考えたらあの小屋って誰が建てたの?」
「この森をもらった時にライヒ伯が用意した」
「そうなんだ!」
あそこは魔物の領域の中心だ。
今でこそ周りは開けているが、昔は凶暴な魔獣がそこらじゅうにいたはずだ。
そんな中、あんな立派な小屋を立てるのは並大抵のことではない。
エイヒムで見るような建築物ではなく、ログハウスっぽいのは少しでも工数を減らそうとした結果か。
「当時は今より魔物がうようよいたんでしょ? どうやって建てたの……?」
「建築中はおれが警護した。それでも時間はかかったが」
「でしょうね……」
魔物に襲われながら建築させられた大工さんたちに同情する。
「だが、厩舎くらいなら人を呼ぶまでもない。白樺は腐って不向きなので、木材だけは購入する必要があるが」
「なら、ギャレコがやめちゃう前に運ぶといいね」
考えてみれば、小屋の周りには魔物は来ない。というか小屋から目の届く範囲には、ハイジの気配で魔物が寄ってこないのだ。
だから狩りをする時には気配遮断が必須になるわけだが、家でリラックスするだけで魔物避けになるならそれに越したことはない。
まぁ、トナカイが襲われる心配はないだろう。
* * *
善は急げということで、定例会議のついでに木材を購入した。
大工が怪訝な顔をしていたが、魔物の領域に厩舎が必要になったと説明すると、慌てたように色々教えてくれた。
どうやら現地へ赴くのは嫌であるらしい。
道具も貸してくれたので、早速作業に取り掛かる。
建築といってもただの厩舎だ。
風で飛ばされず、トナカイが逃げない程度の強度があれば十分だし、風を完全に防ぐ必要もない。
雨や雪についてはある程度防いでやる必要があるが、要するにスカスカでいい。
ハイジは器用に道具を操り、あっという間に厩舎ができていく。
三日もかからずあらかた完成してしまった。
あまり格好はよくないが、必要十分な機能を持った丈夫な厩舎である。
飼えるかどうかお試しで、とりあえず一匹トナカイを借りてみた。
放牧するなら餌の心配はなかったのだが、厩舎で飼うのであれば別である。
といっても乾草や苔を中心に適量をやるだけだ。やりすぎないようにちょっと少ないくらいの餌を与え、たまに散歩に連れて行った時に、勝手に森で食べ物を見つけて食べさせるのが良いという。
ただ、糞が少し臭う。
草食動物なので、肉食動物に狙われないように臭わないと聞いていたが、近くに寄ればそれなりに臭い。
家の中に臭いを持ち込みたくないので、できるだけ入口から離してもらった。
これで、あとはトナカイの世話がルーティーンに組み込まれるだけだ。
うまくいくだろうか。
* * *
ギャレコが引退し、正式にトナカイが二頭やってきた。
本当は三頭いたのだが「飼いきれない」と一匹は別の業者に買い取ってもらった。
残った二頭はやたらと仲が良く、引き離すのは忍びないとセットで引き取った。
しばらくは小屋から離れないようにしつけなければならない。
口笛を吹けば寄ってくるので、昼は小屋に慣れてもらうために放し飼いにして、徐々に慣れさせる。
ちなみにこの世界のトナカイは、ヘラジカみたいにでっかい。
じゃあヘラジカじゃん、と思ったらヘラジカはヘラジカで別にいる。
この辺じゃ見かけないが、トナカイの一.五倍くらいはある巨大な姿をしているらしい。
なにそれ、見たい。
とはいえ、うちのトナカイたちも立派な姿をしている。
たった二頭であたしと重量級のハイジ、そして荷物も運んでくれるのだ。
大切にしてあげなければ。
「名前を決めないとね」
片方はここに来てすぐにツノが落ちた。
もう片方は半分ツノが生えている状態だ。
「何で生え変わる時期が違うんだろう」
「冬にツノがあるのはメスだ」
「そうなの?!」
なんと、トナカイはメスでもツノが生えるらしい。
じゃあ、ツノがないほうがオスか。
オスとメスなのか。
カップルか。カップルなのか。
「……増えたらどうしよう」
「雄の方は去勢している。その心配はない」
「あ、そうなんだ」
気づいたら群れになっている、みたいな心配はいらないらしい。
「不憫だねー、お前」などといいながらトナカイを撫でる。
しかしトナカイは「何か問題でも?」と達観した顔でもぐもぐやっている。
「立派な厩舎ができたけど、しばらくは夜だけ使って、昼は一緒に行動だね」
撫でながら話しかけるが、わかっているのかわかっていないのか。
* * *
ただ、サウナ中に外気浴していると寄ってくる。
素っ裸なので追い払う術がない。
せっかく汗をかいたのに、鼻を押し付けてくるので何だかなぁという感じ。
あと、風呂に入っていると風呂水を飲みにくる。
ツノが当たって痛いし、最初はギャーと悲鳴をあげてしまった。
できればやめてほしい。
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