19
秋も深まってくるとやることがますます増える。
まもなく冬がやってくると山側には入れなくなるので、今のうちに採取を済ませてしまわなければならない。
山に入ると、ベリーの種類が夏と違う。
ブルーベリーに似た紫色の実は美味しいが、酸っぱくてあまり甘くない。
プチプチつまみ食いしながら集めると、舌が真っ青になる。
だけど、今日の狙いははベリー類ではなく、ナッツ類である。
ナッツは重要な収入源だ。
一番の目当ては胡桃。熟したものではなくまだ実が青いものを集める。
胡桃の他には、ドングリや栗に似たものもある。栗はトゲトゲがないことを除けば、日本の栗とほとんど見分けはつかない。
ナッツは
そのまま食べることは少ないが、挽いて粉にしたものがよく使われる。パンや菓子類だけでなく料理にも使われている。
ペトラのパンケーキも、さまざまな穀類とナッツ粉を使ったものだ。
また、魔物の毛皮をなめすのにもナッツの実が多く使われる。使われるのはナッツ部分ではなく周りを覆う果皮のほうだ。
渋を水に出し、下処理をした皮を浸すことで防腐処理ができるらしいが、詳しいことはわからない。流石のハイジも革なめしまではやっていないので、こうして材料を集めて売ったりしている。
何度かハイジと山に入りこまごまと教えてもらったが、ナッツ類は目利きがキノコと違って簡単だ。今ではあたし一人で山に入らせてもらっている。
キノコの一件で森の味覚にすっかり魅せられたあたしは、疑うことなく言われるがままにナッツを集めて回っている。
なお、山側には大きな魔物がほとんど生息していない。
かわりに
* * *
「大体こんなもんか」
山歩きが楽しくて、ついつい頑張りすぎてしまった。
小屋に戻れば食事やサウナの準備だが、少しだけ休憩して帰ろう。
ポシェットから携帯式の焚き火台――昔、ペトラの店の給金で購入したものだ――をセットし、お茶を沸かす。
少々口寂しいが、獲物がいないのだから仕方ない。
遠巻きに蟹の魔物がチョロチョロしているが、美味しくないらしいので取らずに放置。
ふと、傍にある栗が目に入る。
品種改良されていないからか、少し丸っこくて歪な形をしている。
でも、見たところ栗で間違いない。
(これを焼いて食べれば、いいおやつになるんじゃないの?)
そうと決まれば、焚き火台に二〜三個放り込む。
火力が強すぎるかもしれないが、どうせ殻を剥くのだから焦げても構わない。
思えば日本では、秋になると必ず栗を食べていた。おばあちゃんが作る渋皮煮がとにかく美味しくて、いくら食べても食べ飽きなかった。
だけど母親に「買ったら一個百円以上するようなものをパクパクたべちゃダメ」と止められ、泣く泣く一日一個で我慢していたのを思い出す。
(この世界じゃ、砂糖が貴重すぎて渋皮煮は無理だろうな)
(茹で栗や焼き栗だって美味しいから贅沢は言わないけど)
バチッと音がして栗が弾けた。
顔に向かってくるのをキャッチ……は火傷するので弾き飛ばす。
これが火中の栗ってやつか。今のあたしなら余裕で拾えそう。
地面に叩き落としてしまったが気にしない。アチアチと拾って、もう一度火の中へ。一度弾けたなら、再度弾けることはないだろう。
もうそろそろいい頃合いだろうか。そのままじゃ熱すぎるので、火からおろして冷ます。
冷ましている間に、山からの風景を眺める。
残念ながらハイジの小屋は見えないが、遥か遠くにギャレコの駅逓所が見える。
魔物の領域とそれ以外がくっきり分かれている。
(これだけの広大な土地をハイジが管理しているのか)
(すごいよね実際――女心のわからないバカだけど)
山の影が少しずつ動いているのが見てとれる。
もう少ししたら一気に暗くなるから、少し急いだほうがいいだろう。
栗の殻を剥く。
(く……めっちゃ硬い! やっぱり品種改良されてないからかなぁ)
(ぐぎぎぎぎぎ)
パキ、と殻が取れたが、まだ渋皮が残っている。
確かこれめちゃくちゃ渋いんだよな……と思い出しながら、ナイフで表面を削ると、中から美しい純白の実が現れた。
香ばしくていい香りだ。
パクッと口に含み、シャクシャクと咀嚼する。
口に甘みが広がり――、
「ぶぁーーーーっ!? べっ! べっ!」
なんじゃこりゃ!
めちゃくちゃ渋い!!
この世のものとは思えないくらい渋い!!
「あが、が、が、口の、中、が、しびびび」
もしかして毒?
毒食った?
やばい?
あたし死ぬ?
「ゲホ、ゲホッ」
いつまでも口の中が渋い。
渋みが喉の方まで上がってきて咳が止まらない。
「ゔぁーーー……」
四つ這いになり、唾液が落ちるに任せる。
幸い飲み込んではいない。
青酸カリみたいな強毒でないかぎり、死ぬことはないはず。
もしそんなに強い毒の実があるなら、ハイジが教えてくれているはず。
だからきっと大丈夫。
大丈夫、な、はず。
「しくしくしく……めそめそめそ……」
泣けてきた。
命が危険にさらされているかもしれないという不安もあるが、それ以上に不味すぎて涙が止まらない。
あまりの渋さに七転八倒しながら、あたしは日が暮れる寸前まで動けずにいた。
* * *
「灰汁抜きせずに食ったのか」
目を真っ赤に腫らして小屋に戻った時には何があったのかと驚かれたが、理由を説明したら呆れられてしまった。
「あれは数日間川の水に晒して、木灰水で何度も茹でないと食べられない」
「あんあお、あえー」
何なのあれ、と言いたかったが、いまだに口がひどく渋くて言葉にならなかった。
が、ハイジには伝わったようだ。
「チェストナット(トチ)だ。生で食うとかぶれる。大丈夫か?」
「ひをほおひてはへははは」
「何を言ってるかわからん」
火を通して食べたから、と伝えたかったが、さすがに意味わからなかったらしい。
「はおふほ?」
「ヴィヒタを使え。サウナは準備できてる」
治るの? という問いは、ちゃんと伝わった。
帰るのが遅いあたしの代わりにサウナを沸かしておいてくれたらしい。
ごめんねハイジ、悪いけどそれどころじゃなかったんだよ。
* * *
「はー、ひと心地ついた」
「つまみ食いをするからだ」
「あんなにたくさんあるんだから、ちょっとくらいいいのかと思ったのよ」
食事が済み(用意したのはハイジだ)、お茶の時間になって、ハイジに色々説明を聞いた。
チェストナットは灰汁抜きの業者がいて、そこに卸すのだそうだ。
何日も水に晒したり、木灰水(お皿を洗っているアレだ)で煮たりを繰り返して、ようやく食べられるようになるという。
「さすがのハイジも自分ではやらないのね」
「やったことはあるが、労力に見合わない。業者に任せた方が確実だ」
「そうなんだ。胡桃の実も業者に卸すのよね」
「そうだ。寂しの森の実を使ってなめすと良い革になると評判だ」
「へぇー」
「森で集めるのは食べ物とは限らない。キノコのように毒抜きが必要なものもある。不用意に口にするのはよせ」
「身に染みてわかったわ――チェストナットはもうこりごり」
あたしが突っ伏してそういうと、ハイジが本から目を逸らしてあたしをおかしそうに見た。
「……何よ」
「食べてみるか?」
「何を? え、もしかしてチェストナット?」
「そうだ」
「いらない! ぜぇーったいいらない!」
「だが、本来どんなものなのか知っておくべきだ」
「かもしれないけど!」
「待っていろ」
「えー……」
ハイジはゴツゴツと足音を立てて小屋に向かうと、何かを持って帰ってきた。
そして台所に向かって、何やらゴソゴソやっている。
「何作ってんの」
「チェストナットのパンケーキだ」
「気が進まないなぁ」
「口に合わなければ残せばいい。なに、一口程度だ」
いくつかの粉を混ぜ、溶かしたギーも混ぜて、シューとフライパンに生地を流す。
パンケーキとはいったが、どちらかというとクレープに近い見た目をしている。
ポンと器用にフライパンを振ってひっくり返し、皿に盛る。
これを何度か繰り返し、ギーを塗り、棚の上にある糖蜜の瓶を取り出して上からかける。
いつものジャムも乗せて、出来上がりだ。
見た目は全然可愛くないが、寂しの森ではかなりレアな「デザート」である。
「チェストナットは乾燥させれば数年保つから不作の年に備えて貯蓄しておく。戦闘糧食にも使われる」
「栄養価の高い、飢饉に備えた保存食ってわけね……」
「食ってみろ」
「気が進まないなぁ……」
しかしハイジがわざわざ作ったものを残すのも申し訳ない。
仕方なくあたしはパンケーキを口に運ぶ。
バタ、と突っ伏して叫んだ。
「旨いなぁー! こんちくしょう!」
「何を怒ってるんだ」
初めて食べたチェストナットのパンケーキは馬鹿みたいに美味しかった。
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