21

 定例会議にあわせて、売り物を運ぶ。

 冬と違って種類が多い。その分毛皮は少なくなるが、総容量としては冬よりも荷が多くなる。毛皮はギルドに卸すが、木の実や肉はそれぞれ別の場所に卸す。

 納品すると、商店の奥さんや小僧さんたちがワーっと集まって、値札をつけ始める。


 ふと思いついてハイジに訊く。


「ねぇこれ、孤児たちに売らせたらどうかな」


 孤児たちには仕事がないし、いつもお腹を空かせている。

 戦い方を教えたりしているが、体を動かすのが苦手な子供や、栄養失調で足に障碍がある子もいる。誰もが冒険者になれるわけではない。向き不向きがあるのだ。


 なら、自分で稼ぐ手段を教えてやれば、自立につながるんじゃないだろうか。

 しかし、ハイジは首を縦に降らなかった。


「だめだ」

「なんで?」

「与えたものを売らせるだけではただの施しと変わらない。それなら採取を教えるべきだ」

「うーん、近くの森でもそれなりに危ないし、それだと戦える子が必要になっちゃうか。でも、ただお金を恵むよりは売り子をさせたほうがマシじゃない?」

「それだと足元を見られる」


 どうも、寂しの森産のさまざまはかなり良い値で売れるらしい。

 それなら子供たちに売らせたらと思ったが、そうすると半値以下で買い叩かれるのが落ちなんだそうだ。


「孤児を食い物にする連中を富ませるわけにはいかない。高値で売って孤児院に使った方がいい」

「なるほど」


 エイヒムの浮浪児たち――孤児がほとんどだが、捨て子も混じっている――の仕事といえば、郵便配達だ。

 といっても、この世界にはそもそも字が書ける者が少ない。手紙のやりとりもほとんどない。貴族なら専任の配達員がいるし、商人たちなら丁稚の小僧を遣いにする。

 つまり仕事自体が少ないし、命の危険がない配達は給金が低い。

 だから稼ぎも少ない。


「必要なのは雇用創出かぁ……」

「エイヒムはマシなほうだ。他の領だと浮浪児は奴隷になるか死ぬしかない」

「……確かに、冒険者として独り立ちできるだけエイヒムはいい街よね」


 トゥーリッキが「ヤーコブ君は希望の星だ」と言っていた意味がよくわかる。


「あまり背負いすぎるな。餓死や凍死の心配がないだけいいだろう」

「そうね」


 うん、これ以上はあたしの仕事ではない。

 できることは限られているし、あたし程度の小さな手から溢れた子供たちのことをいちいち気に病んでいては身が持たない。


 教会の子供たちことを考えると胸が苦しくなるけれど、深く考えるのはやめておこう。


* * *


「で、これが『掛け算の歌』ですか」

「はい、どうでしょう?」


 ユヅキと共同で作った九九(九九では意味がわからないと言われたので、掛け算の歌と呼ぶことにした)をトゥーリッキ氏に提出する。

 何度も作り直し、覚えやすいかどうかを確認しながら作った自信作だ。


「オオカミがウサギを追って穴にはまる、月が落ちて池になる……」


 トゥーリッキはブツブツとそれを読み上げる。


 ちなみに日本語だと意味を成さないが、カスティ語(中つ国ミズガルズの言語)の語呂合わせになっている。「一本でも人参」みたいな感じで、例えば「オオカミ」ならこの世界の「二」に音が近い。その要領で「オオカミ(二)」が「ウサギ(四)」を追って「穴(八)」にはまる、という感じで覚えやすくした。

 口ずさんで気持ちの良い響きとリズムも意識した。


「どうでしょう?」

「素晴らしい。いくつか気になるところもありますが、概ね問題ないでしょう」

「よかった」

「ちなみに何ですか、この「女が大男の頭を殴る」っていうのは」

「ダメですか。七の段は語呂合わせが難しくてそうなっちゃったんですけど」

「覚えやすいのは良いのですが、血生臭いのが気になります」

「あー」


 貴族の子弟も使うものだから、その辺も気にしなくてはならないらしい。


「ただ、覚えやすいのは間違いなさそうです。多少調整は必要ですが……実際に試してみたいですね」


 その言葉を聞いてピンと来た。


「それなら、文字も書けないような子供で試してみましょう」

「子供?」

「はい」


 つまり、孤児院を実験台にしよう。


* * *


 というけで、早速教会に出向き、ニコとヤーコブに「掛け算の歌」について説明した。

 だけど、二人は困ったように顔を見合わせた。


「だめかな」

「うーん、難しいと思う」


 ヤーコブが難しい顔でそう言った。


「どこが難しいかな」

「ていうか……まずあいつら、数なんて数えらんねぇぞ」

「え」

「多い、少ない、程度しかわかんねぇ。食い物を分ける時でもめちゃくちゃ揉める」

「えええ」


 あたしが驚くと、ニコが苦笑して言った。


「一応、大きな子は十くらいまでは数えられるよ。でもそこから先になると分からないと思う」

「そもそもそれが語呂合わせだってことも理解できねんじゃね?」

「そうかぁ……」


 がっくりと項垂れる。

 せっかく孤児救済にもなって一石二鳥かと思ったのに、うまくいかないものだ。

 しかし、ニコが助け舟を出してくれた。


「でも」

「ん?」

「あたしもペトラに拾われた時はそんな感じだったけど、今は帳簿だってつけられるよ。っていうかペトラより得意だもん」

「おお」

「だから、時間をかけてちゃんと教えてやれば大丈夫じゃないかな」

「じゃあ……!」


 ニコの発案に思わず立ちあがろうとしたが、


「ダメだ」


 と、ヤーコブがそれを止めた。


「……ヤーコブ? 何を……」

「待ってニコ、話を聞こう」


 ニコが目を釣り上げて何かを言い返そうとするのを止める。


「なんでだめなの? 理由を聞かせてくれる?」

「ガキどもが危険だからだ」

「危険?」


 あたしが首を捻ると、ヤーコブはハァ、とため息をついた。


「まず、あいつらは孤児だ」

「そうね」

「だから市民権もねぇ。それはわかるか?」

「うん」

「つまりあいつらには価値がねぇ」

「……そんな言い方……!」

「待って。ヤーコブ、続けて」


 ニコが言い返そうとするが、あたしは先を促した。

 ニコは不満そうに口をモニョモニョしているが、ヤーコブは冒険者として独り立ちできるだけの腕があるのに、稼ぎのほとんどを孤児院に入れ、孤児たちと一緒に生活している。

 孤児たちのことを一番理解しているのも、大事に思う気持ちが強いのもヤーコブなのだ。その意見は尊重しなければならない。


 ヤーコブはもう一度小さくため息をついた。


「なのに、そんな高等教育を受けてみろ。あいつらにが付いちまうだろ」

「……良いことなんじゃないの?」

「わかってねぇな。があるとわかれば、奴隷商に狙われるだろ」

「は!?」

「市民権がねぇってことは、勝手に奴隷として売り飛ばしても罪に問われねぇってことだ。俺一人じゃあいつら全員を守りきれねぇ。だからダメだ」

「なんっじゃそら!」


 あたしは頭にきて叫んだ。


「人の命を何だと思ってんだ!」

「落ち着いて、リンちゃん」


 今度はニコがあたしを宥めた。

 さっきとは逆だ。


「それが現実なんだよ……だから、数学とやらを教えることに、オレは反対だ」

「……わかった」


 ヤーコブのいうことはもっともだ。

『掛け算の歌』の実践ができないことも残念だけど、それ以上に子供たちの現状の過酷さが想像以上だった。

 ここでいくらゴネたところで、何もいいことはない。


「仕方ない。諦める」

「そうしてくれ」

「うん……教えてくれてありがと、ヤーコブ」


 あたしが項垂れていると、ヤーコブは頭を掻きながら申し訳なさそうに言った。


「リンがガキ共のためを思って言ってくれてことはちゃんとわかってんだよ」

「気を使わなくていいよ。むしろヤーコブがいてくれて助かった。ありがと」

「え、いや、ナニ、えーっと」


 お前もお礼言われるのダメなタイプなのか。

 ひょっとしたらヴィーゴさんと相性がいいんじゃない?

 いや、むしろぶつかり合って犬猿の仲になるかもしれない。


* * *


「その心配はないだろう」


 教会での出来事をハイジに話すと、ハイジは問題ないと言った。


「でも、計算ができるようになると奴隷商に狙われるって……」

「間違いなく狙われるな」

「じゃあ……?」

「計算ができないままにしておけばいい」

「ちょっと意味がわかんないんだけど……」

「孤児には『語呂合わせだと理解できない』のだろう? ただの歌として覚えさせればいい」

「おお」


 なるほど、『掛け算の歌』が覚えやすいかどうかの実験には役立つか。


「それはいいね! でも、せっかくなら子供たちの将来のためになって欲しかったなぁ……」

「貴族が使うような語呂合わせを覚えた子供をライヒ伯が手放すわけがない。間違いなく保護に動く」


 インテリが好きなお方だしな、とハイジは言う。


「ライヒ伯は徹底的な合理主義者だ。与えられるだけで働けないような孤児に市民権は与えない」


 市民権というのはそんな安いものではないからな、とハイジは言う。


「……厳しいね」

「だが、利益を逃すような真似も絶対にしない。現に冒険者として名を上げたヤーコブは市民権を持っている」

「つまり?」

「働かない孤児は荷物だが働ける人材は財産だ。孤児とはいえ何十もある『掛け算の歌』を暗唱できるようになれば、市民権を与えてでも保護しようとするだろう。本格的な勉強は市民権を得てから始めればいい」

「やった!……むぎゅ」


 思わずハイジに抱きつこうとしたが、手で遮られた。

 鼻を押さえながら唸る。


「……むぅ」

「ライヒ伯への進言はおれがやろう。卿には貸しがある」

「貸し?!」

「おれのたまの頼み事を断わったりしないだろうよ。筋が通っていればだが」

「ありがとう! ハイジ、大好き!」

「そうか」


 どさくさに紛れて告白してみたが、見事にスルーされた。

 ……朴念仁め。


「ところでハイジはこれ、どう思う?」

「『掛け算の歌』か」

「そう。覚えやすいかな」

「どうだろうな。すでに記憶しているからか、少しまどろっこしく感じる」

「記憶してる? え、マジで?」

「一桁同士までならな。ヘルマンニやヴィーゴなら二桁同士までは覚えているはずだ。ペトラは苦手なようだが」

「うぇええ」


 この世界の知識はほとんど全てが経験に基づいている。

 決して馬鹿ではない――むしろ膨大な知識を持っていて、それを生活に生かしている。

 単に頭の使い方が違うのだ。


 故に、暗算ができる程度であってもこの世界ではインテリの部類に入る。


(二桁同士の掛け算ってあたしでも暗記してないぞ)

(ヴィーゴさんはともかくヘルマンニまでもインテリなのか)


 納得できない。

 だったらあの二人が数学を教えればいいのに。


* * *


 孤児たちに「準市民権」が与えられ、奴隷売買や労働搾取が禁止されたのは、それからたった一週間ほどのことだった。

 なんというスピード感だろうか。流石は君主制である。

 そのかわりに条件として、戦闘訓練か基礎学問のどちらかが義務付けられたが、実際は今までと大きく変わることはない。むしろ体を動かすのが苦手な孤児たちにとっては福音でしかない。


 ヤーコブとニコは飛び上がって喜んだが、あとでヴィーゴさんやトゥーリッキ氏から聞くところによるとライヒ伯爵は、


「穀潰しの浮浪児どもでも、働けるようになれば税収カネになる」

「文句を言う親がいないのは都合が良い。多少の無茶は許される」

「泣こうが喚こうが構わない、何がなんでもモノにしろ」


 などと言ったそうだ。


 ドン引きである。

 この世界には偽悪的な人間しかいないのだろうか。

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