16

「その髪と目の色と耳のしるし、『黒山羊』とお見受けするッ!」


 これで何度目だろうか。実力に自信があるのであろう兵士に目をつけられた。

 剣をあたしに突きつけ、目を爛々と輝やかせながら大声で名乗りを上げている。


それがしは旧ハーゲンベック、現ベッサラビア領はゲバルド! 」

「――ライヒ領エイヒム、『黒山羊』のリン」


* * *


 剣に付着した血液をヒュンと振って吹き飛ばし、鞘に収めた。

 疲労でパンパンになった手足を引きずってその場を立ち去る。


 この世界のルールは色々と面倒臭い。

 名乗りを挙げられたら、戦うか、敗北を認めて逃げるかの二択なのだ。


 戦闘自体は怖くはない。ただただ面倒臭く、体力を奪われるだけだ。

 むしろ弓が怖い。あたしの実力では矢を避けたり切り落としたりはできないからだ。故に、常に矢を気配探知しながら魔力を温存する必要がある。


 余裕があればハーブをそのまま噛んで魔力を補充しているものの、ヴィヒタがない戦場では肉体的な疲労は蓄積していく一方だ。

 数日なら一日走り回っても平気だが、いつ終わるのかもわからない長期戦はガリガリと精神を削り続ける。怪我こそないが、すでに心身ともに限界ギリギリだ。


(森が恋しいなぁ)


 どこかで何かが燃やされているのか、見上げる青空には赤黒い煙がたなびいていた。

 はぁ、とため息をついて加速し、あたしに向かって射られた矢を叩き落とした。

 側から見れば、死角から襲う矢を目視せずに叩き落としたように見えただろう。酷く混乱した気配が伝わってきた。


(仕方ない)

(脅威になるなら殺さないと)


 あたしは矢の射手を目視し、屠るために走り始めた。


* * *


ぇーーーーーーーッツ!」

「第二射隊、ぇーーーーーーーッツ!」

「第三射隊、準備!」


(……チッ)


 まるで面攻撃のような矢襖やぶすまがあたしを襲う。

 時間を短縮してやればどうと言うことはないが、そのうちに伸長のタイミングを見計らって第二射で狙われるようになった。


 どうやら敵はあたしを研究しているらしい。


(敵にも目端の効くやつがいるもんだ)


 こうなると厄介である。

 着々といやらしい攻略を進めてくる。

 あたしは飛んでくる矢を切り落とすような剣技は持ち合わせていない。気配察知と魔力を用いた加速で凌いでいるだけだ。一瞬の硬直が生死をわけることも十分にありうる。

 幸い、あたしとこの能力の付き合いは長い。並列的に発動させたり、事前に伸長しておくことでペナルティをキャンセルしたりとうまくやり過ごしてきた。

 だがそろそろ限界だ。これを繰り返されれば、いつかどこかで破綻する。


 矢の速度は弾丸と大して変わらない。気づいた瞬間にはもう遅い。ハイジほどの腕があれば別だが、事前に察知できない限り避けられないし、能力の持続時間にも限界がある。辻褄合わせのタイミングで狙われれば――あたしなどたった一本の矢で簡単に殺せてしまう。


(よし、全滅させよう)


 あたしは矢で狙いづらいところまで一瞬で接敵する。簡単には狙えないように、同士討ちフレンドリー・ファイヤーを誘うようにかき回し、敵を狩って回る。できれば武器も破壊しておきたかったが、とてもではないがそんな余裕はない。


* * *


 ある瞬間を境に、能力を使うまでもなく相手の動きが遅く感じるようになった。

 どうやら敵を倒すことで得た経験値が形になってきたらしい。

 こうした現象を指して「戦場に順応した」と表現する。

 ありがたい。ずっと気配察知し続けているので魔力の残量がもうギリギリだったのだ。これでまだまだ戦える。

 

「恐れるな! 第二射隊、ぇーーーーーーーッツ!」

「第三射ァーーーーッツ!」


 将校と思わしき男が必死に叫んでいる。

 接敵して殺した。途端に連携が瓦解してうまく動作しなくなる。指導者の有無でこれほどまでに戦力が違うというのだから、いつもの個人戦とは性質が違いすぎる。あたしはかろうじて生き残り、敵の索敵範囲から逃れた。


(はぁ……キッツ……)


 はぁ、と息を吐く。

 このいやらしい攻撃はいつまで続くのだろうか。


(これはひょっとすると生きて帰れないかも)

(ニコと約束したのになぁ……)


 ついそんなことを考えるが、ブルブルと頭を振って弱気を追い出す。


 死ぬことそのものに恐怖はない。

 だけど、それだとハイジと離れ離れになってしまうではないか。


(何を弱気になってるんだ。ハイジが信頼して指示をくれたんだぞ)

(なんとしても生き残り、もう一度ハイジの横に立つんだ)


 あたしは深呼吸で息を整え、再び敵陣に突っ込んでいった。


* * *


 無茶をしすぎて、幾つも怪我をした。


 ズキズキと痛むがどれもかすり傷である。

 だがこの不衛生さだ。放っておくと化膿して、場合によっては大事になる。あたしはお茶用の薬草ハーブを噛み砕き、ぺっと吐き出して傷口になすりつけ、止血効果のある軟膏で覆った。この薬草には大量の魔力が蓄積されていて、直接塗れば化膿止めになるのだ。


(よし、まだいける)


 疲労で痙攣する足に喝を入れて立ち上がる。

 大丈夫、体はまだ動く。


 その時、後ろから鋭い声が聞こえた。


「本部がやられたらしいぞ!」


 あたしにはその声が、敵のものなのか味方のものなのかもわからなかった。

 悪い予感にゾワリと鳥肌が立った。


(本部がやられた? どういうこと?)


 耳をそば立てると、伝令役と他の兵の会話が聞こえてきた。

 やられたのは味方らしい。


「遠方から一斉掃射だってよ」

「数人やられたって話だ」

「食料庫を狙ったらしい。消火されたが、火矢が使われたらしい」


 ならばハイジたちは無事だろう。ほっとしたが、それでも楽観はできない。矢の有効射程はおよそ三、四百メートル、弓なりに攻撃する矢襖でもせいぜい六百メートル程度――つまりそんな位置まで敵が潜り込んできたということだからだ。


反乱軍あちらはすでに降伏を打診してきたって聞いたぞ?」

「降伏条件の交渉中だって話だったのに」

「どうせ負けるなら一か八かってことじゃないか?」

「これまで順調だったのに、なんで今更……」


 兵士たちが手前勝手な意見を言い合っているが、噂なんて当てにならない。

 あたしは一旦本部まで戻ることに決めた。


* * *


 対・黒山羊作戦で仲間に犠牲が出るのを恐れて本部から離れたところで戦っていたのが裏目に出て、あたしが本部に戻れたのは二時間以上もたった後だった。


 事が起きたのは夕暮れ時だという。

 しかし到着した時間はとっくに夜になっていた。


 この世界の夜は墨のような真っ暗闇だ。夜戦もなくはないが、基本的に日が沈めば戦闘は下火になる。

 本部はすでに落ち着いていて、闘争の気配も薄くなっていた。

 攻撃した連中もほとんど打ち取られた後だった。


 それでも自陣で死者が出たということにショックを隠せない。

 これまで戦闘は順調だっただけになおさらだ。

 ハイジとヘルマンニが無事であることは確認済みだが、なぜか二人とも離れたところにいてよくわからない。きっと次の作戦会議でもしているのだろう。


 この強襲の犠牲者は八名だという。

 今日までの時点で、味方の犠牲者数は予想をはるかに下回っている。

 逆に敵の損耗は想定の倍ほどにはなっているはずだ。

 戦争を継続したかった反乱軍の目論見は敗れ、今や恐るべきスピードで決着が付きつつある。

 皆は「さすがは『番犬』だ」と司令官ハイジを讃えていたが、ここに来て敵はなりふり構わなくなってきたらしい。


 さらには敵の中にも離反者が出る。長期にわたる戦争ではよくあることらしい。敵も一枚板ではなく、上層部の命令を無視するような集団もいるということだ。


 つまり、敵対勢力が増えたということ。


 そうした理由もあって、ハイジとヘルマンニも終戦のための最後の一押しに随分と苦心しているようだ。


 あたりを見回すと、男たちが酒盛りをしていた。

 何を悠長なことを……と思ったが、どうやら死者を安置したテントを囲んで、弔いの乾杯をしているらしい。こればかりは仕方がない。戦士の義務みたいなものだ。

 あたしも死んだ仲間を悼むために安置所に向かった。


* * *


「…………え?」


 あたしは間抜けな声を上げた。

 安置所に見慣れた顔が横たわっていたからだ。

 白髪が混じり始めたストレートの黒髪。

 うつろに開かれた瞼から覗く黒曜石みたいな瞳。

 コオロギみたいに痩せぎすの小柄な体躯。


 ユヅキだった。


 その隣には、寄り添うように横たわる半裸の女性の遺体。

 馬車で談笑した娼婦の一人だった。

 二人の女性が物言わぬ骸となって並び、オイルランプの昏い光に照らされていた。


 どう見ても死んでいた。体は冷えて硬直している。半開きの唇には生の気配がなかった。首から肩にかけて血で汚れて黒々としている。矢傷は布で隠されているのか目視できなかった。平坦な胸は一切上下上下しておらず、つまり呼吸をしていない。


 娼婦や楽師は殺さないというルールがあるという話だったのに。

 ユヅキとはようやく気を許せる仲間になれたばかりなのだ。戦争が終わったらもっともっと仲良くなれると思っていたのだ。


 嘔吐した。


 膝から崩れ落ち、地面に手をついて何度もえづく。

 びちゃびちゃと液状の吐瀉物が服の袖に飛び散った。

 胃液で喉が焼け、ゲホゲホと咳き込んだ。


(いけない、偉大な英雄たちを汚してしまう)

(ユヅキを汚さないようにしないと)


 そう思うものの、体が震えて動かせなかった。


 甘かった。

 あたしはこれまで、身近な人間が殺されたことがなかった。名も知らぬ敵を散々屠ってきたあたしだが――友人が殺されるとは斯くも恐ろしい事なのか。

 もしかすると彼女たちも死を覚悟して戦場に来ていたのかもしれない。だけど、そんなことが許されるはずがなかった。


「……かたきを取らないと」


 自然に声が出た。

 自分の声じゃないみたいだった。


 あたしは動こうとしない体に鞭打ち、無理やり立ち上がる。

 口に残る不快な味をベッと吐き出すと、カバンからクソまずい兵站食を取り出して口に運び、水で流し込んだ。

 お茶用のハーブも取り出して口に放り込んで咀嚼する。

 急激に魔力が補充されて頭がクラクラする。


 そしてあたしは敵陣に向かって歩き始め――我慢できず走り出した。

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