20
強烈な違和感の正体を確認するより早く、あたしは体をひねってその場を離脱した。剣が皮膚ギリギリを避けて通り過ぎる。
(あっぶなっ!?)
あまりにギリギリすぎて、剣の風圧まで感じた。避けられたのはただの運だ。その軌跡は鋭く、間違いなく命を刈り取る一撃だった。
(気配がわからない――!)
(こんなに接近されるまで気づかないなんて!)
見れば、ハイジまでもが驚いたように目を見開いている。
その目が追う先には。
(……『はぐれ』?!)
死んだようにドロリとした
剣をだらりと下げ、それを構える様子もない。
手入れのされていないうねるような黒髪の隙間から、まるでそこらに転がる死体と同じような虚な瞳であたしたちを睨んでいる。
「……ッツ!?」
ふっ、と青年が消えたかと思うと、もう目の前に剣が振り下ろされていた。
(加速っ!)
青年の剣技はさほどでもない。
速さも、剣の扱いそのものも大した技能ではない。
そのはずなのに……見失った。
(何なのッ!?)
むしろ無造作に近づいては、乱暴に剣を振るう青年。
避けるのは簡単なはずなのに、気づくと防戦一方になっている。
(……わかった)
(これ、何かの能力だ……!)
相手が『はぐれ』だというのであれば、間違い無いだろう。
あたしの「短縮と伸長」と同じ、何らかの魔術に違いない。
そう、言うなれば……
(魔力を通した世界で自分を隠蔽する力――)
(――魔力遮断といったところか)
あたしやハイジに留まらず、それなりの実力を持つ戦士ならば当然肉眼などに頼り切ったりはしない。むしろ、魔力を通した世界こそ本質だとわかっているからだ。
しかし、この青年は大した技量もないくせに、魔力を通した世界で自分の存在をうまく隠している。
何の気配もない状態で襲い掛かられれば、よほどの戦士であっても避けることは難しい。むしろあたし程度がよく避けられたものだと感心する。
見れば、珍しくハイジが戦いあぐねている――その表情は驚きや困惑というよりも、どこか焦りに似た表情で――。
(ハイジにしては珍しい表情ね)
(……そうか、ハイジにしてみれば『はぐれ』は保護対象だものね。殺すのは抵抗あるか――ならば)
『番犬』。
『はぐれ』の守護聖人。
ならば、ハイジではなくあたしがやるべきだ。
あたしは魔力を通して見るのをやめて、単純な剣技だけで青年と対峙する。
すると、青年は相変わらずのドロリとした目であたしを睨みながら剣を構える。
(ふん……肉眼で見れば大したことはないわね)
(避けられるもんなら避けてみなさい)
あたしはグググ、と足に力を込める。加速して一瞬で刈り取ってやる! ――と、飛び出そうとした瞬間。
「待て、リンっ!」
ハイジが怒鳴った。一瞬ビクッと体が反応したが、すでに発火状態のあたしはやむなく青年に向かう。こうなると自分の意志では止められない。この間合いでは剣を収めると狩られてしまう。静止するハイジの命令に反くことになるが、仕方なくあたしは剣を振り抜いた。
それは確実に首を刈り取る一撃のはずだった――しかし、青年はそれを興味なさげに闇い瞳で追っている――剣は何の手応えもなく青年の首を通り過ぎ、
(避けられた?! いや、そんな様子はなかった!)
(やばい!)
見れば、青年は無造作に剣を振り上げている。このまま伸長がやって来れば、あたしに避ける術はない。
「させんっ!!」
それを止めたのはハイジだ。極限まで圧縮された刹那の時間に割り込み、ドスンと青年を蹴り飛ばした。
ウッ、と小さく声を上げ転がっていく青年。
一瞬の伸長をやり過ごし、慌ててハイジの横につく。
死を意識せざるを得ない攻防にドッと冷や汗が出る。
(た、助かった!)
(今のは危なかった!)
しかし、原理がわからない。
何らかの魔術だとは思うのだけれど、まさかこんな苦戦を強いられるとは。
「……ハイジ」
「リン、逃げるぞ」
「えっ! な、何で?!」
「勝てん。殺されるぞ」
こんな様子のハイジを見たのは初めてで面食らうが、見れば青年が剣を杖にして立ち上がろうとしている。
確かに、種明かしなしでは殺される可能性もある。
それに、あのハイジが「勝てない」とまで言うのだ。あたしごときが意見できるはずもない。
ハイジとあたしはその場を離れることとなった。
幸か不幸か、青年はこちらを見つめるばかりで、追ってこようとはしなかった。
* * *
周りに敵がいないところまで逃げおおせたあたしたちは、木の影に腰を下ろした。
もちろん敵が現れればすぐに対処できるようにしている――しかし先程の不気味な青年のように魔力感知に引っかからないような敵が存在している以上、過信は禁物だ。
「……あたしたちが逃げちゃったら、他の味方が犠牲にならないかな」
「見る限りは問題ないだろう。技量も大したことはないし、アレ自身も不意打ちに対応できそうもない。あえて敵に突っ込んでいくような真似はすまい」
それに、とハイジは少し考えるようにして、
「それ以上に、はぐれであるお前だけが目的なように見えた。おれのことは眼中にないようだったしな」
「え、それってつまり、同じ『はぐれ』であるあたしを敵視してるってこと?」
「わからん。わからんが、からくりがわからないまま戦うのは危険だ。ああした魔力持ちと戦う時には、まずは情報を集めるのが鉄則だ」
ハイジはどこか落ち着かない様子で周りを伺っている。
「でも、確か『能力』は一人につき一つなんでしょう?」
「そうだ」
「なら、あの見えづらさ……魔力で見ても存在が希薄なアレがあいつの能力なんじゃないの?」
「……いや、あれはおそらく違う」
ハイジはため息を一つ吐いた。彼にしては珍しい態度に見える。
「おそらくあれは能力ではなく、ただの技術だ」
「技術?」
「おそらく、人目につかないように必死に生きてきた結果だろう。よほど人から身を隠し続けないとああはならない」
「……なるほど?」
それは、容易に想像がついた。
あたしはたまたまエイヒム近くの森でハイジに保護された。エイヒムでは『はぐれ』に対する偏見が少なく、皆に大事にしてもらえた。幸運と言わざるを得ない。
もし飛ばされたのがエイヒムではなくハーゲンベックの何処かだったりすれば――あたしは身を守るために必死になっただろう。
「……一体どのような人生を送れば、あんなことになるのだろうな」
ハイジはもう一つため息をつく。
それは同情か、あるいは。
だが、ここは戦場なのだ。
相手がこちらを殺しに来ている限り、同情など許されない。
「じゃあ、あたしがあいつを斬ろうとしたときにすり抜けた……あれがあいつの能力ってわけね」
「お前にはそう見えたか?」
「……どういうこと?」
「おれには、お前の剣がアレに届いていないように見えた」
「え、それって……」
あたしは間違いなく隙だらけだったあいつの首を狙って剣を振り抜いた。
その結果があれだ。
剣はすり抜けたように見えたが、そもそも空振っていた?
(もしあの隙だらけの立ち振舞いが能力に裏付けされた自信からくるものなら、認識を改めないといけないかも)
「私の目からは、剣は確かにあいつに届いていたわ」
「ふむ……つまり幻影を見せられたか」
「幻影……」
「そうと決まったわけではないが、それがわかれば対処のしようもあるだろう」
ハイジはこれまでに何度も『能力持ち』との戦いを経験しているのだろう。
「そもそも気配がわからないのが厄介なのよね……かといって肉眼が信頼できないっていうのは面倒だわ」
「気配については意図的にやってるわけではないだろうがな」
「……なぜわかるの?」
「意図的にやってるなら、開戦前に無造作な殺気など飛ばしてこない」
(ああ、なるほど)
(無意識に自分と同じ『はぐれ』であるあたしに殺気を飛ばしてしまったってことね)
「どちらにせよ逃げられはしない。あれはお前に執着しているようだしな」
そう言ってハイジは立ち上がる。
「……ハイジ、あなたならどうする?」
「……」
「と、いうか」
あたしは遠くを見回すハイジの目の前に回り込んで、顔を真っ直ぐに見た。
ハイジはあたしが何を言いたいかわかったらしい。どこか気まずそうにへの字に口を結び、あたしの目を睨んでいる。
「そういえば聞いたことなかったけど」
あたしはハイジに言った。
「ハイジ、あなたは『はぐれ』と戦えるの?」
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