24
二日後、ハーゲンベック/リヒテンベルク連合軍が降伏した。
ハイジの読み通りだった。
まぁリヒテンベルクにしてみればもともとハーゲンベックから戦費をむしり取る算段だったのだろうし、ハーゲンベックにしてもこれ以上の出費は領の政治基盤を揺るがしかねない。他の選択肢はないだろう。
戦勝に沸くライヒだったが、あたしとハイジは早々に寂しの森に帰ることにした。
エイヒムのギルドにその旨を報告すると、ミッラが慌てたように立ち上がり、
「ちょ、ちょっとハイジさん!……はもう諦めたけど、リンちゃんだけでも受勲式には出てちょうだい!」
と、必死にあたしたちを引き止めようとした。
なんでもギルド長から「逃すな」と厳命されているらしい。
「ごめんねミッラ」
「謝らないで! お願いだからまだ帰らないで!」
「悪いけど、森に帰るわ」
「そんな……!」
ミッラにも立場があるのだろう。必死になってあたしを引き止める。
だが、悪いけれどあたしに登城の意志はないのだ。
確かにミッラには世話になっている。個人的にミッラのことは好きだし、ミッラの頼みなら多少無理してでも言うことを聞いてあげたいとも思う。
ただ、どうしても無理なのだ。
受勲式はダメだ。
それに……
性格が悪すぎるのだ、あの人は。
それでも嫌いじゃないというか、憎めないキャラクターではあるけど。
ミッラに事情は話せない。
でも、とにかく今は勘弁してほしい。
「あたしが
「ハイジさんは、その、言っても無駄というか……そ、そう! ハイジさんはライヒ伯爵の個人的な友人でもあるから許されてるだけなのよ!」
「あたしもライヒ伯爵と友達だけど」
「……は?」
ミッラが目を丸くするが、本当なのだ。
前回の受勲式の時にあたしの
「ハイジの相棒というなら俺の友も同然だな。何かあったらいつでも顔を出せ。暇があれば相手しよう」
などと言っていた。冗談かと思ったが、ヴィーゴさんが「あれは本気だ。厄介なのに気に入られたな」と嫌味な口調で言っていたから、本当に本当なのだろう。
「それにサーヤとも友達だし、無礼討ちされるようなことはないでしょ」
「……うっ」
「あとミッラ。あの時はよくも笑い転げてくれたわね」
「うぅ……っ」
「ハイジが死んだと思って泣き喚くあたしを死ぬほど笑ってくれたこと、忘れてないから」
「ううぅ……っ!」
あたしに譲る気がないことを理解したミッラが頭を抱えている。
「そんなわけで帰るわ。またねミッラ」
「リンちゃぁん……」
ミッラは泣きそうな顔で引き止めようとするが、あたしはヒラヒラと手を振ってギルドを後にした。
* * *
ギルドを出て、あたしはハイジと連れ立ってペトラの店にも顔を出した。
店に着くとそれはもう馬鹿みたいに混んでいて、ニコが走り回っていた。
「あ、リンちゃん! ハイジさんも!」
大量のエールを運ぶニコがあたしたちに気づいて声をかけてくれたが、その声でお客たちがあたしたちの存在に気づいて騒ぎ出した。
「おおっ!! 英雄様のご登場だ!」
「今回も『番犬』は大活躍だったらしいな!」
「『戦乙女』の活躍もとんでもなかったらしいぞ!」
「『戦乙女』てなぁ『黒山羊』のことか? へぇ、こんなちっこい娘っ子がなぁ」
「その『戦乙女』っての、やめてくれない?!」
不名誉な二つ名にあたしが悲鳴をあげると、奥から
「リン! 喧嘩なら別のところでやっとくれ!」
とペトラの怒鳴り声が飛んできた。
「喧嘩なんかしないわよ」
「そうかい。だけどすまないね、戦争が終わってからというもの連日この騒ぎさ。席が空いたら一杯ご馳走させとくれ!」
「ううん、二人の顔を見にきただけだから、すぐ帰るわ」
「つれないねぇ、と言いたいとこだけど、こりゃあしょうがないね」
ペトラがお祭り騒ぎの店内を見回して肩をすくめる。
「それにハイジも。次は奢らせておくれ」
「ありがたく馳走になろう」
ハイジが笑って答える。
と、ペトラが少し怪訝そうな顔をした。
「なにかあったかい? 随分と機嫌が良さそうだ」
「そうか? いやなに、おれも戦争が終わってほっとしてるだけだ」
「ふぅん?」
「ペトラ! 五番さんポトフと
「はいよっ!」
あまりの繁盛っぷりに、あたしとハイジは顔を見合わせて笑った。
「じゃあまた来るね」
「悪いね、また来ておくれ!」
「リンちゃんまたね! ハイジさんも!」
「ああ」
エールの入ったマグをぶつけ合いながら「英雄たちに乾杯!」などとやっている酔っぱらいどもに愛想笑いを振りまきながら、あたしたちは喧騒から離れる。
広場まで行けばギャレコが待っているはずだ。
戦争は終わった。
森へ帰れば、また過酷で静かな日常が始まる。
(森が恋しい)
(ハイジと二人だけのあの世界が)
戦争では辛いことや悲しいこともたくさんあったけれど。
忘れ難い出来事もあったけれど。
もう――きっと人を殺す前の自分には永遠に戻れないけれど。
あたしたちはこれからも何も変わらずに静かな森で生きていく。
ハイジが一緒なら、何も怖くない。
あたしの手は人の血に塗れているけれど。
ハイジが許してくれるのなら、あたしはこんな自分も愛することができる。
そう思った。
* * *
森へ帰るとハイジは早速いつもの生活に戻るための準備をし始める。
虫眼鏡を使って火種を用意したり、酸っぱくなり過ぎてしまったパン種を処分して新たに作り直したり(パン種の完成には最低一週間ほどかかるので、しばらくはエイヒムで買ってきた市販のパンで生活することになる)、当たり前の生活に戻るだけでもやらなければならないことは山積みだ。
あたしも埃っぽくなった部屋を掃除したり、いつの間にか入り込んでいた虫たちを追い出したり、顔中を真っ黒にしながら煙突を掃除したりと忙しい。
長期間留守にするときは虫が入り込まないように煙突を塞ぐのだが、そうすると内側の煤が水分でふやけてしまい、そのまま火をつけると家中煤だらけになる。
年に数回の煤落としは何気に重労働なのだ。
掃除が終わって風呂に入ったらお湯が真っ黒になってしまった。
最低限の生活基盤を取り戻し、いつものスープを作る。
エイヒムのパン屋で買ってきた柔らかいパンにナイフを突き刺すと、ようやく森に帰ってきた実感が湧いてきた。
今日は芋とチーズもある。
ここしばらくは戦地で与えられた戦闘糧食生活だったから、少しだけ贅沢をしようというわけだ。
戦闘糧食ははっきり言ってまずい。湿気て歯切れの悪い硬い薄焼きパンと、なぜか黒い角砂糖が配られるのだが、どうにも口に合わない。炊き出しのスープ(というかただの水っぽいごった煮だ)があればまだマシだが、ハイジのスープやペトラのポトフを食べ慣れて口が肥えてしまったあたしにとって、あまり美味しいとは感じられない代物だ。いや、戦地で暖かい食事にありつけるだけありがたいのだ。文句を言っては罰が当たる。
チーズは薪ストーブで軽く焦げるまで焼いて、茹でた芋にかけて食べる。
しばらく留守にしていたせいで固くなり過ぎた干し肉も早めに処理したい。食べやすくするために軽く炙ってガジガジと齧ると、塩気と旨味が口に広がってそれなりに美味しい。
市販のパンはまぁまぁだ。美味しいことは美味しいが、柔らか過ぎて少し頼りない。干し肉にはハイジの焼いたどっしり固くてもっちりした酸味のあるパンがよく合う。
イーストなど存在しないこの世界でパンを作ろうとすると最低一週間程度はかかる。ハイジのパンはしばらくはおあずけだが、まぁたまにはこういうのも良いだろう。こんな手抜き感もたまにはイベントとして楽しい。
普段は訓練だのなんだのと忙しく、慌ただしく食べるのが常だが、今日は二人でゆっくりと食をした。
相変わらず会話がないが、穏やかで優しい空気が流れる。
言葉にしづらい静かな喜びが湧き続けている感覚。
(ああ、帰ってきた)
やっとひと心地つくと、いつもどおり読書の時間だ――と思ったら、ハイジが妙なことを言い出した。
「明日からは剣の訓練は不要だろう。自主訓練だけで十分だ」
「……え、うそ、免許皆伝ってこと?」
驚いた。
「今回の戦でわかった。単純な戦闘力だけで言えば、お前はもう十分強い」
「ほんと?」
「ただ、生き残る知識や勝つための知恵が足りん。教えていないのだから当然だが」
「知識と知恵、かぁ……確かに足りてないわね」
ハイジは「そうだろう」とうなづく。
自覚も実感もある。
あの黒髪の青年との戦いでは色々工夫したが、結局勝つことができなかった。
自慢ではないが単純な剣技だけで言えばあたしのほうが圧倒的に強いはずだ。
負ける理由がなかった。
一方的に刈り取れる相手だった。
それなのに――
(それなのに、結局勝つことはできなかった)
(ハイジに――『はぐれ』を殺させてしまった)
いや、後悔はよそう。
あたしの知識と知恵が足りていなかった。ただそれだけだ。
ならば、それを手に入れれば良い。
簡単な話だ。
ハイジを見れば、まったく気にした様子はない。
むしろ、何かを吹っ切れたようなさっぱりとした表情をしている。
ならば、あたしもあの青年のことで思い悩むのはやめよう。
「明日からは戦で生き残る方法を教える」
「ありがとう。なんとしても食らいついて、習得してみせるわ」
「うむ」
ハイジはうなづいて言った。
「心配はしていない。お前なら間違いなく大丈夫だろう」
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