#6

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 おかしい。

 ハイジが優しい。


 パッと見はさほど変わらない。

 意思疎通できるだけ随分マシにはなったとはいえ会話は少ない。

 というか相変わらずぶっきらぼうの朴念仁ではあるが、随分と穏やかになったような気がする。


 生活リズムは相変わらずだ。


 早起きして魔物を狩り、塩漬けや燻製を仕込む。

 燻煙時には毛皮も防腐処理のために燻す。

 小屋やサウナなどの拠点の掃除、洗濯。冬に備えて薪を割って乾燥させる。

 そしてささやかな食事。

 昼にも魔物の巣ができていないか確認のため、弓と剣を引っ提げて狩りに出る。

 夜になると狩を終え、またささやかな食事のあと少しの読書時間。


 その繰り返し。

 

 でも、いつも険しい顔をした狩りロボットみたいだったハイジが、あたしのことを仲間として認めてくれている感じがあるのだ。

「後ろをついてくることを許している」のではなく「二人で行動している」という感じ。


 狩りの休憩中、お茶を啜りながらちょっとした雑談をしたり、たまにフッと笑ったりもする。


 これが夏のハイジなのか。

 これだけ長い時間一緒にいたはずなのに、全然知らなかった。


* * *

 

 ハイジに傭兵として認められたあたしは雪解けのあとも森に滞在することを許可された。


 狩りの行き先は毎日違う。

 夏は冬と比べて行動範囲が大きく広がるのだ。

 何せ寂しの森は広い。馬鹿みたいに広い。

 そのうち魔物の領域は四分の一程度だが、平坦な歩きやすい場所ばかりではない。

 エイヒムへの方向はそれなりに開けているが、反対の山側(その向こうはマッキセリだ)はもう少し険しい環境だ。

 登り降りもあるし、崖のようになっている場所もある。

 岩が多いところには濡れた苔が生えていて、ブーツが滑る。

 足場が悪いと狩も難しくなる。

 それに見慣れたジャッカロープやマーナガルムだけじゃなく、見慣れない魔物も多い。

 エイヒムの周りの森とは随分と違う。あちらは乾いているが、寂しの森は濡れていて、生命の気配が何倍も濃い。

 バークスライム(樹皮に擬態して人を襲う粘菌の魔物)が多いので、なかなかに気を遣う。


 そうした広大な魔物の領域の全ての場所をハイジは把握しているという。


 山側には薬草ハーブやベリーなども多い。いつも飲んでいるハーブティもこちら側で採れる。狩りをしながら採集して、戻ってから乾燥させたり煮詰めたりして日持ちするよう加工する。


 あたしは夏の森を学ぶ。

 同じルーチンを繰り返しているくせに、目まぐるしいほどの変化についていくだけで必死である。


 季節は初夏。

 といっても極北の国ヴォルネッリのこと。暑さとは完全に無縁で、夜にはショールが必要になる程度には寒い。

 さほど高くもない山にも雪が残っている。いわば常冬だ。

 それでも冬と比べるとはるかに気候は穏やかで過ごしやすい。

 あたしは夏の森のことも大好きになった。


 人の気配、一切なし。

 人ならざるものの気配、押しつぶされそうなほど。

 大自然は過酷で美しく、圧倒される。


 こんな生活を送っていると、この世界にはあたしとハイジしか人間がいないような気がしてくる。

 そんな寂しく広大な森で、あたしたちはポツンと二人で生きている。


* * *

 

 そういえば、いくつか小さな変化はあった。


 例えば、いつも通りのパンとスープの食事に芋やベリーが登場するようになった。

 芋は冬でもたまに食べることはあったが、自分で育てることも採取することもできない芋はエイヒムで買うしかない贅沢品だ。

 それが頻繁に出てくるようになったのは嬉しい。茹でてチーズをかけて――というのは本当の贅沢で、いつもはただ茹でただけだったり、軽く潰して食べたりする。

 だいたいはトナカイの乳脂肪を乗せて食べる。トナカイの乳は脂肪が多く、香りが良くて癖がない。その上澄みを攪拌機で混ぜてバターを作り、痛まないように火を通して水分をとばしたものを使う。これが謎だった「ちょっとチーズみたいな香りのする脂」の正体だった。

 めちゃめちゃに美味しいが、脂肪なので食べ過ぎに注意である。


 ベリーが登場したのもとても嬉しい変化だ。

 冬の間もベリーは煮詰めてジャム状にしたものを肉に乗せて食べていたが、あれはビタミン不足を補うためのものだったようだ。

 生のものは雪解け後にしか食べられない贅沢品だ。

 種類もいろいろあり、見た目にも鮮やかだ。

 それを生のまま口にぽいと放り込む。

 鮮烈な酸味と優しい甘味がとても美味しい。


 もう一つの小さな変化は、サウナの回数が増えたことだ。

 冬の間は薪の節約のために、怪我をしなければ火を入れることは稀だった。

 薪を大量消費するサウナは健康状態を維持するためのもので娯楽ではないのだ。


「おまえのおかげで薪に不自由しなくなったからな」


 ということだそうだ。

 確かにその気になれば、あたしは木を剣でバターみたいに斬れる。おかげで薪割りは重労働というほどのものではなくなった。本来は日々の生活の中でも特に体力を使う作業らしいので、その分サウナにして還元してくれているらしい。


 訓練が減って多少の時間の余裕ができたので、サウナはハイジと別々に入ることが増えた。

 あたしとしては一緒でも別に構わないのだけれど(というかハイジも気にしてない)、とはいえ薪と時間の節約が不要ならば、なにもわざわざ男女で裸になる必要はない。燻製の日など時間が足りない日には一緒に入ることもあるけれど、基本的にはプライベートタイムである。


 怪我なんてどこにもないけれど、そんなこととは関係なくサウナは気持ちが良い。

 あたしもハイジも肌がひりつくほど熱めなのが好みだ。

 薪を潤沢に使えるようになったことで、熱々にできる。


 水分をゴクゴクと補給しながら限界まで入り、水風呂に飛び込む。

 水風呂はキンと冷えているが、それでも冬場と比べると幾分か冷たさはマシだ。というか冬場はお湯を足さないと水が凍る。ゼロ度ギリギリの時もあって小さな氷が肌に当たるとふざけるなと言いたくなる。それと比べると夏の水風呂の冷たさは最高に心地よい。

 

 水風呂のあとは外気浴だ。

 どうせ誰も見ていないのだ。すっぽんぽんのまま前を布で隠すだけで十分だ。

 椅子にだらしなくもたれて、体いっぱいに森の風を感じる。


(ああ、世界は素晴らしい)


 外気浴は冬の間はなかった習慣だ。

 というかあの吹雪のなかで外気浴などしたら凍え死ぬ。夏でよかった。


 体が冷えてきたら、もう一度サウナへ突入する。これを体験するともうやめられない。


* * *


 冬と夏の違いなのか、それとも『はぐれ』の青年との一件が関係するのか、ハイジは随分と雰囲気が穏やかになった。

 初めて出会った時に感じた濃厚な暴力のにおい。

 傭兵の持つ死のにおい。

 そうした危険な雰囲気は形を潜め、今のハイジは静かで優しい雰囲気を纏っている。


 だが、あたしに言わせればこれが本来のハイジなのだ。

 英雄だの番犬だの物騒な呼ばれ方はしているが、ハイジの素顔はただ日々を丁寧に生きる静かな男なのだ。


 そんな伝説の傭兵さんとあたしだが、今では剣を交わすことはほとんどなくなった。

 戦闘においてはもはやこれ以上は必要ないからだ。

 自主練は続けているし、感覚を忘れないようにたまに模擬戦くらいはしているが、ハイジと剣を交わすことは少なくなった。


 あの極限の緊張状態が嫌いではなかったあたしは少し寂しく感じたが、体を動かすかわりに知識を蓄え、知恵を身につけるための勉強がメインとなった。


* * *


「じゃあ、あの『はぐれ』の能力は幻覚とかじゃないってこと?」

「おそらく「距離」を変化させたり見誤らせるといった類だろう」

「なぜそう思うのか聞いていい?」

「お前の能力と似た印象を受けたからだ」


(おっと、そう来たか)


 どうやら『はぐれ』独特の雰囲気があるらしい。

 しかしあたしには判別がつかないのだ。

 それでは困る。

 なぜならあたし自身が『はぐれ』だからして。


「あと、戦っているところを見ていくつか気づいた点がある」

「聞きたいわ」

「お前と戦っているところを見ていると、アレの姿が何度もブレて見えた。初めは気づかなかったが、ふとした拍子に位置が変わる時があった」

「そういう幻覚なのでは?」

「幻覚なら戦っている相手しか騙せないはずだ。周りの戦士全員に別の幻覚を見せるなど到底不可能だろう」

「なるほど」

「できたとしても無駄だしな」


 確かに、立つ位置の異なる周りの戦士たちに矛盾なく幻覚を見せようとすると、一人一人別に対応する必要がある。

 それに、幻覚を見せられたとしても、本人の位置が変わるわけではないのだ。一斉にかかられるとどうしようもない。


「側から見ると何が起きているのかわからん。不気味だ。だが戦いに有利な良い能力だ」


 その辺りもお前の力に似ているな、とハイジは言う。

 不気味というのはともかく、戦いに有利なのは間違いない。

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