12

「狩りについて行っていい?」


 最近別行動が増えているので、ハイジにそんなことを提案してみた。


「かわまない」


 ハイジが言うのであたしは嬉しくなって狩りの準備をする。

 狩り用の服装はいつもの軽装の上から革の手甲をつけ、剣を腰のベルトに下げ、矢筒を背負う。

 ナイフは三本。一本は解体に使う大きめのもので、二つは投げナイフを兼ねた予備だ。

 ピカピカに手入れが済んだ革のブーツを履くと、夏の狩りの装いである――といっても肌は露出させない。虫や草にやられることもあるのでしっかりと防御しておく必要がある。

 それでも冬と比べると軽装で動きやすい。

 冬ならばさらに首元や顔半分を寒さから守るストール、毛皮のジャケット、腰にもスカートみたいに毛皮を巻く。もこもこだ。


 外に飛び出してみると、外で待っているハイジはあたし以上の軽装だ。

「ちょっとそこまで」といった出立ちで、手甲すらつけていない。

 まぁ、この男の腕なら「ちょっとそこまで」は間違いではない。


「お待たせ」


 ハイジは軽くうなづくと、いつもの安定した足取りで森へ向かう。


「あ、イタチだ」


 遠くに気配を感じて言うと、ヒュン、と耳の近くを矢が通り過ぎて行った。

 当然のように急所ど真ん中に命中。あいかわらず凄まじい腕だ。


 イタチとは言ったものの、要は魔物である。ツノは短くて、サイズは普通のイタチの何倍もある。

 ちなみに肉は臭くて食えたものではない。

 それでも目線が通ると襲ってくるのは同じで、駆除はしていかなければならない。

 毛皮は売れるが、あまり値段がつかないのでできれば増えないで欲しい。


「弓を変えても腕は変わらないのね」

「むしろ精度は上がった。距離を犠牲にした分早撃ちが楽だ」

「へぇ、負けてられないわね」


 気配探知するとそこらじゅうに生き物の気配がある。

 あきらからに冬よりも多い。


「夏だと魔物が増えるのね」

「冬が少ないだけだ」


 そう言って矢をつがえて放つハイジ。

 矢は一直線に飛んで行き、ジャッカロープを二匹、樹に縫い付ける。


「ちょ、あたしも射つから」

「好きにしろ」


 そう言いながらピュンピュンと獲物を倒していくハイジ。

 あたしの出る幕がない。


 あっという間に積み重なる魔獣たち。

 確かに冬と違って、夏は数を打ちやすい小型の弓のほうが向いていると納得させられた。


「結局ほとんど狩れなかった……」


 がっくりと肩を落とす。

 別に競争しているわけではないのだが、狩りの訓練中のハイジならもう少しあたしに射たせてくれたように思う。

 つまりあれは徹底的に手を抜いていたと言うわけか。


「このくらいでいいだろう」


 そう言ってハイジは弓を背にしまい、獲物の処理に取り掛かる。

 ジャッカロープなどの肉にして食べられる獲物はすでに血抜き済みだが、ほとんどは食肉に向かない獲物なので、積み重なっているだけだ。

 それでも毛皮は取れるし、体温が冷めると剥ぎ取りが難しくなるので手早くする必要がある。


 あたしは少し離れたところで焚き火台をセットする。

 肉の処理は見た目も含めて血生臭いので、匂いが届かない距離をとっておきたいところである。

 近くに湧水があるので水を汲み、お湯を沸かし始めると、処理を終わらせたハイジがやってきた。


 マグにハーブを突っ込んでお湯を注いで差し出す。


「お茶どうぞ」


 ハイジは軽くうなづいてそれを受け取り、ずずずと啜る。


「夏は獲物が細かいわね」

「ああ」

「種類も数も多いし……よく魔物の領域を小さくできたと感心してる」

「いや、夏の間は広がらないようにするのが限界で、狭めるのは冬の間だけだ」

「へぇ」

「……ほら」


 マグを手渡される。


「ありがと」


 ずずずとお茶を啜ると、じんわりと魔力が回復するのがわかる。

 はぁ、と息を吐くが、冬と違って息は白くはならない。


 ライヒ領はヴォリネッリ北端に位置する。

 だから夏であっても暑くなるようなことはない。

 雪が降らないだけでちょっと肌寒いくらいの気温だが、それでも四季ははっきりしていて、冬と夏では大きく違う。


「ところでハイジ、ちょっと弱くなった?」


 あたしが言うと、ハイジは軽く肩をすくめて


「そうか?」


 と言った。


「剣を軽くしたり、弓を変えてみたり、ちょくちょくそんな気がするんだよね」

「そうか。自分ではわからんが、歳かもしれんな」

「えっと、四十六だっけ」


 この世界は数え年だ。つまり元の世界アースガルズでいえば四十五歳ということになる。


「てっきり三十代半ばかと思ってたわ」

「そうか」

「というか、その見た目で四十代ってのはちょっと信じ難いわね」


 肌は傷はあれど張りがあるし、顔は厳ついが三十そこそこに見える。

 ヴィヒタか。ヴィヒタでアンチエイジングしてるのか。


 中つ国ミズガルズでは、平均年齢は五十代で、六十まで生きれば大往生である。

 だからだろうか、街で見かける四十代の人はもっとずっと老けて見える。

 ギャレコが五十五と言っていたから、ハイジと一回りしか変わらないと言うことになるが、ぶっちゃけヨボヨボのおじいさんにしか見えない。


 聞けばヴィーゴさんやヘルマンニと歳が近く、ペトラだけが少し下だという。

 ペトラに言ったら叱られそうだけど、ハイジが一番若く見える。

 まぁ、歳からすれば全員若く見えるんだけど、現役の戦士であるハイジは別格に若い。


「正確な年齢はわからんが、アンジェが言っていたのだから大きくは間違っていないはずだ」

「ふぅん……あたしが二十五歳くらいのはずだから、二十歳差かぁ」


(そりゃあ女扱いされないよな)

(というか、出会った頃のことを思い出して腹が立ってきたぞ)


「ていっ」


 手刀を差し出すと、パシッと止められた。

 あたしの行動の意味がわからないようで、ハイジは怪訝そうに眉間に皺を寄せた。


「たまにするそれはなんだ?」

「いや、不意打ちなら一撃入れられるかなーと……」

「当たるわけないだろう」


 ハイジが呆れたような顔をするが、これには意味があるのだ。


 つまり、ハイジが弱くなってないか確認しているのだ。

 剣を細くしたことも、弓を変えたことも、聞けば理由があって、その理由に納得できた。

 こうして一緒に狩りに出てみれば、弓を変えたことによる効果も実感できた。

 つまり、その理由に嘘はないのだろう。


 凄まじいスピードでの狩り。

 死角からの不意打ちにも余裕を持って対応する隙のなさ。

 全てが人間離れした練度だ。

 今も、あたしを含めてこの世界にハイジに勝てる敵などいないだろう。


 だけど――――。


(なんとなくわかるんだよね)

(ハイジが自分の体を持て余してるのが)


 側から見た分には、その力はいささかも衰えていない。

 相変わらずのパワーとスピードとセンスを見せつけてくれているが、ハイジがのだ。


 つまり――剣や弓を軽くしたのも、そのせいなのではないか。


 だが当のハイジは「弱くなった?」という問いに気を悪くした様子もない。


「歳……ねぇ」

「だが、魔力だまりで生きていれば寿命が伸びると聞く」

「誰が言ってたの? それ」

「師匠だ。百まで生きた者もいると言っていた」

「へぇ!」

「そんなに長生きしたいとは思わないがな」


 そう言ってマグを受け取り、お茶を啜るハイジ。


「あたしも特別長生きしたいわけじゃないけど……ハイジって普通だったらあと十年かそこらで死んじゃうわけじゃない?」

「そうだな」

「それは流石に短いというか……寂しいというか……」

「傭兵なら、自分も含めて誰がいつ死んでもいいよう心構えはしておけ」


 そう言ってハイジはお茶を飲み干し、パンパンと服を払いながら立ち上がる。


「それはわかるけどこう……もうちょっとだけ一緒にいてくれると嬉しいな」

「ふむ……一応考慮はしておこう」

「ほんと?」

「あまり長生きするのも考えものだが、早死にしたいわけではないからな」

「ならいいんだけど。いやよあたし、ハイジのお葬式とか」


 まぁ、この世界の葬式はお酒飲んで歌って騒いで泣いて、穴掘って埋めて終わりなのだけれど。


 ふとハイジが死んだと思い込んで号泣したことを思い出す。

 ちゃんと生きていることを確認したくなってそっと触ろうとしたら、パシッとそれを掴まれた。


「いや、これは攻撃じゃないんだけど……」

「違いがわからん」


 ハイジが呆れたような顔であたしを見た。


* * *


 先ほどまでハイジが獲物の解体作業をしていたあたりに魔物の気配が濃い。

 見に戻ると、そこにはひときわ巨大な魔物が待っていた。

 どうやら獲物寄せに撒いておいた血肉の匂いに誘われてやってきたらしい。


 ツノが根本から折れた、三メートル近くある巨大な熊だった。


「――熊ッツ?!」


 すぐに戦闘モードに切り替えるが、それより早くハイジが弾かれたように走り出した。


(速っ!?)


 しまった。出遅れた。あまりの巨大さに一瞬キョトンとしてしまった。

 熊は大きく顎を開いて凶悪な牙を見せて威嚇するが、ハイジは構わず接敵。振り回される熊の腕を掻い潜り、まるでなぞるかのように滑らかに魔獣の首を剣で撫でた。


 熊も何が起きたかわからなかっただろう。首はそのまま胴体に乗っかっている。それでも物理的に首が胴体と離れれば体を動かすことは叶わない。斬られた瞬間に固まったように動かなくなり、口だけはパクパクと動かしながらゆらゆらとしている。


 ――真新しい剣だというのに、完全に使いこなしていた。


(――くっ)


 あたしが攻撃準備をするより早く、戦闘が終わってしまった。

 魔物がドウと斃れるが、ハイジは血の一滴すらも浴びていない。

 剣をヒュヒュンと振ると、チンと鞘に収める。


「何もできなかった……」


 思わずがっくりと呟いて俯く。


(今ならあのくらいの魔物、敵じゃないのに……)

(剣を抜く暇もなかった……)


 チラリとハイジを見ると「誰が弱くなったって?」という顔であたしの顔を見ていた。


「……何よ」

「なんでもない。帰るぞ」


 ハイジが獲物をまとめ始める。

 

(……大丈夫)


 なぜか、そんなふうに思った。

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