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※ご注意
本日は二話更新します。
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しばらくぶりの寂しの森は変わりなく、しかしどこかよそよそしく感じた。
季節は冬、ただしもうすぐ雪解けである。
あたしとハイジはいつものように、生活拠点を整え直す。
冷え切った小屋を温めるべくストーブに火を入れると、慌てたようにワラワラと虫たちが這い出してきた。悲鳴をあげて一匹残らず外に追い出した。
季節柄、煙突掃除が難しかったのでそのまま薪をくべると、家中が煤だらけになってしまった。
煤が落ち着けば二人して拭き掃除だ。
ハイジの巨体でゴシゴシと雑巾掛けしている姿はどことなくユーモラスだった。
腐ったパン酵母は処分し(一つ瓶が破裂していた)、新しいものを仕込む。
パンが焼けるのは一週間後くらいになるが、今は食材が不足しているので街でパンは買えなかった。しばらくはパンなしの生活になるだろう。
それでも、中断していたパンの焼き方講座を再開してくれるらしく、「不恰好でもいいなら、次の戦までに焼けるようになるだろう」と言ってもらえた。
できれば自分で焼くより、ハイジのパンを食べたい。
口には出さないけれど。
預けていたトナカイは引き取って厩舎に入ってもらっている。たっぷりの水と乾草、半乾燥の苔を与えてブラッシングしてやると、嬉しそうにぶるぶると体を揺らして喜んだ。
トナカイの乳はとても濃くて美味だが、残念ながら量が少ない。
昔は足りない分、ギャレコや街で仕入れることができたが今はそれどころではない。むしろできるだけ街へ出向くのはやめておきたい――気分的な問題ではなく、ハイジとあたしが出向くと歓迎ムードになってしまうのだ。色々と不足している昨今、そんなことに大事な食材を使わせたくはない。
そんなわけで乳はほんの少ししか取れないので、トゥーリッキ氏に分けてもらった紅茶を使ってミルクティを淹れてみた。
やはり牛乳とは違うというか、うっすらと脂が浮いてバターティーみたいになってしまったが、ハイジはいたく気に入ったらしく、お代わりを所望された。
残念ながらミルクが足りないのでまた今度、と言うと、珍しくしょんぼりして見えた。
ちょっと可愛いと思ってしまった。
* * *
「じゃあ、毛皮は取らなくていいの?」
「ああ。肉は食うために取るが、それも最低限でいい」
「じゃあ、一ヶ月間本当に森から出ずに生活するのね?」
「そうだ。多少不便だが……」
「やったぁ!!」
あたしが飛び上がって喜ぶと、ハイジは眉に皺を寄せた。
これは不機嫌になったのではなく、単に驚いている顔である。
「不便だぞ?」
「不便だから何よ。これぞ我が春。できることならずーっと森で過ごしたいくらいだわ」
「街で買うしかないようなものも多いから無理だ。第一エイヒムには友人がたくさんいるだろう」
「だったら友達と会うためだけに遊びに行けばいいわ。あとは、そうねぇ……食生活がちょっと貧しくなるかもしれないけど、一月くらい平気かな。っていうか、あの不味い兵站食! モソモソして飲み込むのに苦労したわ」
「あれでも随分ましになった方だ。昔はもっと酷かった」
「へぇ、どんな?」
「カンパンと、黒砂糖のカケラだ」
「へぇ……ちょっと美味しそう……と言ったら失礼?」
「カンパンは、そのままでは噛めないほど硬いぞ。口の中で湿らせて、ようやく食える。黒砂糖で唾液を増やすが、量が少なく足りなかった」
「うあ、ちょっとしんどそうね」
「ヨーコなど、戦いよりも食事のほうが辛かったと言っていた」
「あはは、言いそう」
天敵ヴィーゴの話題が出たが、あたしは上機嫌だった。
一ヶ月間、森で生活できる。
ハイジを独占できる。
素晴らしい。
「じゃあ、これから一ヶ月間は少し暇だね」
なにせ、狩りはあくまで駆除になり、毛皮も取らないならそのまま放置となる。
駆除して回るだけなら、数倍の速度で回れるし、そこまで躍起になる必要もない。
「そうだな……薪の節約も不要になったし、サウナでも沸かすか」
「いいね!」
「先に水風呂の掃除が必要だがな」
なんだろう、ただ「忙しくない」と言うだけなのに、この充実っぷり。
人間、やはり多少は余裕は必要ということなのだろうか。
* * *
食事当番は交代制となった。
ハイジは「お前も少しは休め」などと言っていたが、自分も料理がしたいだけのような気もする。
当番日になるとハイジはいそいそと出かけていき、ハーブやら、木の芽やらを採取して戻ってくると、キッチンで奮闘し始める。
間違いなく趣味の領域だ。本来の森生活に必要なことだとは思えない。
せっかくなので真似できるように横目で観察していたりする。
料理ができると、雑に盛り付けられてテーブルに並べられる。
パンにナイフをブッ刺すと、食事の始まりだ。
「これはまた……随分と凝った料理を」
「野菜不足になると力を発揮できないからな。冬でも採取できるものは色々ある。そのままでは苦くて食えんが、きちんと処理すれば問題ない」
川魚にくすんだ緑色のソースがかかっているが、これはなんとか言う植物の芽なんだそうだ。
そして相変わらず添えられているジャム。
肉でも魚でもパンケーキでもジャム。
口に運ぶ。
「……うめぇなぁ……!」
「ふむ……まぁまぁだな。悪くない」
これは、自分が食事当番がちょっとプレッシャーだ……。
* * *
「失敗した……!」
ふぐぅ!……と泣きべそをかきながら、失敗作の料理を並べる。
おハイジ様に対抗意識なんぞ燃やしたのがよくなかった。
よく考えたら日本時代にだって手打ちパスタなんて作ったことないんだよ!
「……これはなんだ?」
「パスタ……もどきです」
パン用の小麦があるのだから、麺くらい作れるだろうと思って手を出したのがよくなかった。
エイヒムでも麺は見たことがない。
『はぐれ』がいる以上、麺が存在しないなどということはないのだろうが、とにかくこのあたりでは小麦、イコール、パンやパンケーキ、薄焼きパンなのである。あとはせいぜい玄麦をふやかしてスープの具にするくらいか。
そもそもパスタの知識はないわけだが、粉を練って一本一本伸ばせばいいと思って始めたら、これが何をやっても細く伸びない。頑張っても太めのうどん――いや、長い芋虫みたいになってしまうのである。
仕方ないので茹でてみたら、表面はドロドロに溶けて、なのに芯があるというどうしようもない状態になってしまった。
仕方がないので、とりあえず燻製とギー、干しキノコとそのもどし汁で味付けしてみたが、なんとも妙竹林な団子炒めが出来上がった。
どう考えても人様にお出ししていいような代物ではない。が、食材を無駄にするわけにもいかない。
今は食材が不足していることもあるが、そもそも食材は大切な命綱なのだ。わずかでも無駄が出ないように細心の注意を払う必要がある。
「うぅ、おいしくない……」
ごめんねごめんねと言いながら、メソメソと団子を口に運ぶ。
そういえば、肉じゃがで失敗したなぁ……と、ハイジと出会った頃のことを思い出す。
思えば随分と仲良くなったもんだ。
相変わらず会話は少ないが、お互いがお互いを必要としていて、隣にいることが自然に感じるまでになった。
当時なら考えられないことだろう。
「……なるほど、やりたかったことはわかった」
しばらく団子を観察していたハイジは、皿を持ち上げてガツガツと口に放りこみ、もぐもぐと食べきってしまった。
「アーサーのところで似たようなものを食べたことがある。小麦の生地を細く切ったものだろう?」
「そう……作り方がわかんないまま挑戦したけど、うまくいかなかったや」
「確かにこの団子はよくわからんが、発想は悪くない。それに味もなかなかいい。そんなに凹むほどではないと思うが」
「そうねぇ……でも、せっかくだから美味しいスパゲティを食べてもらいたかったんだよ」
あたしがしょんぼりして言うと、ハイジが珍しく笑顔になって「その気持ちはありがたく受け取ろう」などと言う。
「……リン。おれは人の気持ちを汲み取るのが下手だ」
「な、何? いきなり。そんなのわかり切ったことでしょ?」
「だから、気を悪くさせるかもしれないが……明日はおれがこれを作ってみていいだろうか」
「えっ」
「気に触るようならやめておくが……」
「それって、あたしが失敗したものをハイジが成功させたら、拗ねるんじゃないかとか思ってる?」
「まぁ、そうだな」
「怒ったりしないわよ。子供じゃあるまいし」
「だが、お前が野菜の水煮を作った日、作り方を教えようとしたら、ショックを受けたような顔をしていた」
「? ……あっ」
思い出した。
見よう見まねで野菜スープを作ったら、ハイジがいきなり自分でも作り始めたんだった。
たしかに、恨めしそうに睨んでいた記憶がある。
「気づいてたんかいっ!」
「誰でも気づくだろう。飛びかかってくるかと思ったぞ」
「そんなことしないわよ!」
「まぁ、怒らないならそれでいい。明日はこれをヒントに作るとしよう」
* * *
「で、出来上がったのがコレと」
「そうだ」
「ハイジ……あんたって本っ当に器用なのね……」
テーブルの上には、見事に麺らしい麺が並べられていた。
作るところを見ていたが、硬めにこねた生地を半日寝かして、手で薄く伸ばして折り畳んでから包丁で切るという手法だった。
綿棒がないから分厚くて、太さはまちまち。断面も四角くてスパゲティとは違った食感だが、まごうことなき麺である。
さらに、スープにも小麦粉で作ったコイン状のひらべったい団子が入っていた。
こちらはふわふわもちもちとしている。
「どうだろうか。お前の故郷の味に少しは近いか?」
「そんなこと考えてたの? そうね……全然違うわ」
「そうか……」
「あたし、こっちの方が好きだわ。うん、すごく好き」
「そうか」
あたしが麺をスババと啜ると、ハイジがほっとした顔をした。
……ちなみにこの世界には麺がない、つまり音を立てて啜っても下品だとは思われない。
元・日本人としては、麺を啜る感触も味のうちなのである。
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