第46話 教えて   ~天音~

 とうとう、お別れしてしまった。


 苦しいよ! 息ができない! 


 助けて 助けて 助けて


 誰か


 瞬にもう会えない。私には、そんな資格なんてない。知ってた。汚れた女は側にいちゃいけないって。


 ごめん、瞬。わかってたんだよ? 瞬が傷ついているのはわかってた。


 でも自分からお別れが言えなかった。弱くてダメな私は、たとえウソであっても、いくら瞬のためだって思っても「あなたのことが嫌いです」って言えなかった。それだけはできなかった。


 弱くて、ごめんなさい。「愛してない」っていうウソだけは、たとえ命を引き換えにしても言えなかったの。


 だから私は自ら望んでを降りようとした。冷たい彼女を瞬が振ってくれるように。


 だって「捨ててください」なんて言えるはずない。言ったら瞬は絶対に理由を探してしまう。


 ズルいけど、これしかなかった。そうじゃないと優しい瞬のことだもん。きっと何とかしようと頑張る方を選んじゃうから。


 そして、その作戦なら、健との約束の中ハーフ&ハーフでもできることだった。


 だから「これ以上頑張らないで。私を早く捨てて」って、ずっと思ってた。


 自分から、フラれる女になると決めたのはかなり早かった。たぶん、どうしてもハーフ&ハーフを続けなきゃいけなくなったあの頃だ。


 汚れきった、バカな女が側にいたら瞬の迷惑だもん。でも、ホンの少しだけ「私がこうしていれば瞬を守れるかもしれない」って思ってしまったことがある。瞬が辛いのを知っていたのに、自分に言い訳しちゃった。離れたくなかったからだ。


 ごめんなさい。


 ボイスレコーダーを持たされて、お部屋にも仕掛けられて、ゲンリーを入れられちゃった。スマホの中身も全部調べられる。


 もう逃げ道なんてなかった。


 できるのは「瞬の便利な使い捨ての女セフレ」になること。それなら、私の位置はお部屋の中になるし、ボイスレコーダーさえ下の押し入れの布団の隙間に押し込んでしまえば、声もバレない。


 もちろん誘うときが問題だけど、その時だけポッケから出しておけば良い。何度か責められたこともあるけど、それだけは通した。


 それが健に決められた約束の、たった一つの抜け穴だったから。


 ハーフ&ハーフの約束は私を苦しめた。なぜかわからないのだけど、どんどんルールが厳しくなっていく。「ウソをつく度にやめる日を延ばす」という約束までしてしまった。瞬を誘うためにボイスレコーダーの空白が出来ると、決まって、日を延ばされてしまった。


 確かに脅されたけど、心のどこかで「瞬を守るために」って思った。

 

 どんどんと深い沼の底に引きずり込まれてる気分だ。ただズブズブと沈んでいくだけ。


 だから、どんなことがあっても瞬を受け入れることだけが私の希望だった。こんな汚い身体でも男の人は欲望を放出することに使えるんだもん。


 でも、私は知ってた。


 身体だけの女なんて、お誕生日におめでとうも言えない彼女なんて側にいちゃダメだってこと。


 瞬の心がどんどん離れていくのがわかった。それは私の願っていることのはず。だけど、自分の心の悲鳴を消せなかった。


 お誕生日に瞬から何もなかったのも当たり前だよ。だってあの日はパパに呼び出されてお食事していたんだから。


 とっても高級なレストランに連れて行かれた。でも、お店の人には悪いけど、味なんてわからなかった。ドブの汚水のようなニオイしか感じなかった。パパのニヤけた顔を見ると気持ち悪さしかなかった。


 一秒でも早く帰りたかった。そして、お家に着いたとき、ホンの少しだけ、ほんのちょっぴりだけ期待してしまった。お家の前に、ううん、郵便受けにカードでも何か入ってないか確かめた。何度もだ。もちろん、あるわけがない。


 あの時に「ああ、ホントにダメなんだな」って覚悟が出来たのかもしれない。あたりまえだよ。自分が願ったことだもん。ガッカリする方が悪いの。


 傷ついたのは私じゃない。瞬の方だ。自分が被害者みたいなことを考えちゃダメ。


 ごめんなさい。


 パパと温泉に行った後から、ただでさえ食事が喉を通らなくなっていた。皮肉だよね。ううん、当然の報いだ。


 瞬のお弁当だけが「食べたい」って思える唯一のモノになった。


 だけど、そんなことは言えるわけない。


 健を通じて部員にはトレーニングメニューのアドバイスのメモが渡されてる。4月頃からは「ダイエット禁止」と書かれることが多くなった。


「ダイエットなんてしてるんだ? 確かに痩せたもんな、オレのためか?」


 健は嫌な笑いを浮かべて嬉しそうに言っていた。でも、瞬は本気で心配してくれていた。


 わかってるよ。三月から、お弁当の中身がガラッと変わったよね?


 今までとは真逆な「高カロリー」で、しかも、それとはわからないように工夫されてた。


 こんなオンナのために、なんて優しいの。


 あのお弁当に気付いた日、私は泣きながらトイレで食べた。


 全てを話したくなってしまった。


 でも、それだけはダメだ。勝手に堕ちた私のせいなのだから。私のワガママで真実を喋ったら、瞬は私をもん。


 そして……


 気付いたの。瞬を見つめる優しい目に。


 あの時、並んで歩いてた二人。


 大丈夫。


 瞬には陽菜ちゃんがいるよ。きっと幸せになれる。あの子はウワサなんてちっとも耳を貸さずに瞬だけを真っ直ぐ見つめてた。


 とっても良い子だと思う。


 私とは違う。あの子には陰なんてない。あの子となら瞬は幸せになれる。瞬を傷つけることなんて、きっとない。


 あの子は瞬の味方だからね。だって、瞬の代わりに私のことをあんなにまっすぐ非難の目で見てきたんだもん。

 

 世界の終わりの日になっても、陽菜ちゃんは瞬の味方だよ。私も味方でいたいけど、そばにいたら傷つけちゃう。


 針だらけのヤマアラシが抱きついてはいけないんだ。だから、私は捨ててもらう。


 だけど私は幸せだよ? 好きな人が幸せになれるって思えるんだから。


 私だって悪いことはしたくなかった。ただ、いろいろな人を傷つけたくなくて、傷ついた人を何とかしたくって、選ばなかったからこそ人を傷つけてしまった。


 それが私の罪。だから、誰も助けてくれない。わかってる。私が悪いんだ。


 小さい頃から、いつもそうだった。


 小学生の時、パパがパパでなくなった。あの時「ママに知られたら、パパは殺されちゃうからね」って言葉が怖かった。


 ううん、違う。


 私が物心ついた頃からママとパパはケンカばかりしてた。今、思えば、お仕事って言って帰ってこなかったママも悪いんだけど、子どもの頃は、パパがいつも怒ってるイメージが強かった。


 パパの機嫌さえ治ればママと仲良くしてくれる。お家の中でみんなが笑顔になる。


 どうしたらいいの?


 子どもなりに何とかしたいと思った私は、ママのいない晩、一緒のお風呂で聞いて見た。


 あの頃は胸が膨らみかけていて、それを見られるのはすごく恥ずかしかったけど、お風呂を拒否ると途端に機嫌の悪くなるパパが怖くて、それすら言えなかった。


 今考えてみたら、お風呂でを聞いたのは、子どもなりに「答」がわかっていたからなのかも。


「パパのご機嫌が良くなるには、どうしたら良いの?」

「天音は本当に良い子だね。じゃあ」


 そこで記憶が歪んでる。思い出そうとしても思い出せない。でも、覚えてる。ううん、身体に刻まれて忘れることなんて許されない記憶になってしまった。


 それでも、小学生のウチは、まだ良かったのかもしれない。男性が欲望を吐き出すだけだったのだから。


 私の身体が大人に近づくウチにパパを受け入れられるようになってしまった。容赦なくパパは私の身体を使った。でも、妊娠だけは気を遣ってくれた。それが優しさではなくて、自分の愚かさを隠すための仮面に過ぎないってわかったのはもっとずっと後だった。


 でも、結局、それは破綻した。家族というカタチは私のせいであっさりと壊れてしまった。


 ママが帰ってこないことに慣れてしまった私たちは、リビングで繋がっていた。


 不意に帰って来たママに気付かなかった。今思うと薄々わかっていたんだよね。だから確かめようとしたんだと思う。


 叩き出されたパパは玄関で土下座してから、逃げるように出て行った。


 ママは言った。


「父親に身体を許すなんて! お前は汚れてしまったんだ! いや、元から汚い女だったんだ!」


 鬼のような形相だった。そう。パパとママのためと思って我慢していたら、私のせいで家族が壊れてしまった。


 私のせい。私は悪い子だもん。幸せなんて来るわけない、あってはいけないと思ったのは事実。


 瞬。私、どうしたら良いの?


 このままじゃダメなことだけはわかっているのに、抜け出す方法がわからないの。


 ねぇ、教えて。


 誰か! 教えて!

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