第6話 理由
保冷バッグを受け取りながら、目を見開いた天音の可愛らしい唇はオーの形に開いた。嬉しさと感動と、そして感謝で声が出なかった。
「もしも、口に合わないものがあったら後で教えてくれ」
ワタワタと受け取ったバッグを震わせて、天音がペコンと頭を下げる。
「ありがとう!」
天音は最高の気分だ。「彼氏の作ってくれたお弁当」というだけでもポイントが高いのに、わざわざアスリート用にと高タンパク低カロリーの工夫がされているのだという。
思わず抱きついてしまった。
「こんなことしてもらえる彼女なんていないよ! 最高の彼氏だよ!」
大勢が見ている。瞬が振りほどこうにも、どうしたら良いのかわからない。告白は数え切れないほどされてきたが、バスケ一筋できた瞬に女の子の経験値はゼロなのである。
「いや、ついでだよ。それに、今日は妹も手伝ってくれたし」
ドキドキしながら、そっと身体を離した。柔らかなものが当たっていたのを惜しむ気持ちが出るのは男の子だろう。
「ごめんね。美紅ちゃんにまで迷惑をかけちゃって」
毎晩、いっぱい話をしてる。まだ会ったことのない瞬の家族のことも目に浮かぶようだ。
『美紅ちゃんは、中学の女バスのキャプテンなんだよね』
なんだかんだと妹思いの瞬は「ぜんぜん仲良くなんてないよ」と言いながら、ちょくちょく話題に上らせる。試合も見に行っているらしい。
『瞬のことだもん。きっとアドバイスなんかもしちゃってるんだろうな。お父さん、お母さんも優しいみたいだし』
『でも、私は自分のことを、あんまり話せてないよ』
話せているのは父と母が離婚したという「事実」だけ。聞かれれば、勇気を出して正直に答えようと思っているが、瞬は優しさゆえに、それ以上聞いてこようとはしなかった。
『まだ、話せないけど、いつか話せたら良いな』
瞬のことだ。きっと偏見なく、今まで通りに付き合ってくれるはずだと天音は切なく想う。
しかし、今は切なさを浮かべている場合ではない。幸せすぎる。手の中の「愛情のかたまり」であるお弁当の嬉しさがすべてなのだ。
「迷惑なんかじゃないぞ? 手間をかけたのは事実だけど、好きでやってることだ」
「ありがとう。だけど妹さんにまで」
「あ〜 アイツは興味本位なんだろ。今度、写真を見せろってうるさかったよ」
やっぱり良い子なんだなと思う。
『早く会ってみたいな』
自分は、ちゃんと「お兄ちゃんの彼女」として受け入れてもらえるだろうか?
でも、その前にやることがある。
「ね、今度、一緒にプリ撮りにいこ?」
「無理しなくてもいいんだよ」
「撮りたいの。あ、美紅ちゃんの写真も見せてくれる約束だよ」
「あぁ、今度な。さすがに妹の写真を持ち歩く趣味はないから」
「へぇ〜 そういうものなんだ?」
「え? 普通だろ? 妹ラブのお兄ちゃんとか、ラノベの中だけだと思うぞ」
「ホントの兄妹だと、そんなものなのかなぁ」
兄妹みたいに育った健の写真を大量に持っている自分との違いに驚く天音だ。
「あぁ、現実だと、そんなもんだよ」
瞬は小説とは違うのだからと笑う。
二人は、そのすれ違いに気付いてなかった。
「今日は、ごめんね。陸部の幹部会があって」
「わかってるって。そこでオレの話もするんだろ? よろしく頼んだよ」
「もちろんだけど。でも、あんまり問題にならないと思うよ」
「あぁ、そうなら嬉しいけど、みんながみんな天音じゃないからな」
男バスの退部は誰も止めなかった。それは想定のうち。しかし、陸部の方は「キモ竹」をどう思うのかわからない。
『天音の言うことを信じないわけではないんだけど、やっぱり二階堂がオレを受け入れるなんて思えないんだよなぁ』
瞬の人生を変えた事件だ。
中学時代、練習試合の帰り道のこと。坂道を猛スピードで下りてくる自転車が車と出会い頭の事故になるところを目撃した。
とっさに自転車を制止したら、あろうことか、子どもは前ブレーキだけをかけて1回転。乗っていた子どもは頭を強く打って脳内出血で死亡した。
止めようとした瞬はトラックとぶつかって選手生命を失った。
二度と走れぬ身体になったことを知ったベッドで、助けたはずの小学生が亡くなったのを知った。
自分の怪我は、全く無意味だったのだ。
それはある意味、走れなくなったことよりも重かった。
悲劇はさらに重なる。
亡くなった小学生は健の弟だった。
兄は、可愛い弟の死が「いきなり飛び出してきた中学生のせいだ」と泣きながら怒った。
それは別の意味でショックだった。
さすがに、健の両親は瞬を責める言葉はださなかったが、警察は「形式上、君との事故という扱いになります」と告げたのだ。
トラックに触れてもいない弟の分は、トラックの運転手から金はもちろん謝罪の言葉すらないのを警察から教えてもらった。
『自分さえ余計なことをしなければよかったのか?』
これが瞬を苦しめた。さらに悲劇の出会いがあった。若葉高校で健と同級生になったこと。
正面から「人殺し」「弟を殺した」と何度なじられたことか。
瞬の真の悲劇は「アイツの言ってることも、ある意味正しい」と思えてしまうことなのかもしれない。
だから自分のことを「キモ竹」などと呼んで、ありとあらゆる悪い噂を健がばらまいているのを知っていても、ただ甘んじているしかなかった。
健はクラスの「一軍」で陸部のキャプテン。悪い噂を放置してきたせいで、瞬の悪評はそれなりに定着している。
そんな過去と、部員の悪いイメージがある以上、陸部の連中がすんなりと受け入れる可能性は低いと思うのが常識的な判断というものだ。
そんなことをチラリと言うと、天音はカラッと笑って「だいじょーぶ」と二の腕に触れてきた。
「前から言ってるけど、瞬のことはけっこう認めてるのんだよ? きっと何にも問題なんてないよ。今日から、部活、よろしくね!」
「あぁ、問題ないなら、もちろんだけどさ」
天音の予想は半分正しくて、半分外れた。
確かに、瞬の入部に誰も異議を唱えなかった。
けれども、練習が終わるまで天音以外は誰も声をかけてこなかったのも事実であったのだ。
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