第7話  甘美な時


 二人の甘いデート。


 一応は進学校でトップを維持している瞬だ。勉強時間を考えればバイトはできない。しかも、トレーニング関係の講習会はレベルの高いものばかりなので参加費が重い。


 いつも金欠だから贅沢は出来ない。せいぜい、学校の帰りにカフェに寄るくらいだ。


 天音の降りる駅にあるカフェ。ちょっとお洒落ではあるけれど、しょせんチェーン店でしかない。


 けれども、親密なカレカノが会うのに場所なんてどこでも良かったのだろう。お互いを見つめ合う空間があって、とりとめのない話ができれば、それでよかったのだから。


「ふふふ。瞬はブラックを飲めるんだね。さっすがぁ」


 笑顔で感心してくれるのは嬉しいが、それは単に嗜好の問題だ。「さすが」と言われても照れくさい。中学時代から眠気覚ましに飲み始めて、今では、自分でドリップするようになったのだから半ば趣味。


 コーヒーを純粋に楽しもうとしたら、たまたまブラックが一番だったというだけのことだった。


 それであっても、彼女という存在が褒めてくれるのは悪くない。悪くないどころか、ついつい頬が緩んでしまうのは男の子として当然なのだ。


 恋人同士はお互いに褒め合い、褒められ合って魂を溶かしていくのだろう。


 とりとめの無い話の合間に、周囲の耳を気にしながら「好き」が往復する。


 それにしても、天音である。


「それって、一番カロリーの高いヤツだよね?」

「そうなんだ? でも、これが一番美味しいんだもん」


 テヘッ、ペロ。


 1杯で八百キロカロリーを超えるという、アスリートとにとっては恐ろしい飲み物を嬉しそうに飲んでいる。否。まずは、上で渦を巻くクリームをパクパクと始めている。


「今は、体重をそんなに気にしてないけどさ、試合前になったら、少し気にしてね」


 いきなり厳しいことを言っても始まらない。たしなめるに留めた。


「ありがとう。大丈夫。飲んだ分だけ走れば良いんだから」


 消費するためにどれだけの距離が必要なんだと思っているんだと心の中だけで突っ込む。これだけ幸せそうな笑顔をしている女の子に誰が言えるだろうか。まして、甘やかな笑顔を見せる恋人に厳しいことが言えるのは鬼だけである。


 優しくて甘い時間。別れがたい気持ちでギリギリまで手をつないで近所まで送る束の間の幸せ。瞬の心は甘やかな満足感で満たされた。


 明日も、これで頑張れる!


 それは、瞬だけの幸福ではなかったはずだ。


 何回目のデートだっただろう。カフェに入る直前、天音が恥ずかしそうに袖を引いてきた。


「ね、今日、うちに来ない?」


 ドキンとした。年頃の男の子にとって「彼女の家」は一つのビッグイベントだ。


「あ、大丈夫。ママはたぶん泊まりよ。私しかいないから緊張しないでね」


 さらりと恐ろしいことを言う。


『信用されてるのか? それとも、これって誘われてるのか?』


 彼女からの「家に居るのは私だけ」は、別の意味のお誘いであり得る。これもまた男の子の憧れの一つだ。


 思わず、天音の顔を見ると、ほんのり頬が赤い。だ。


『いいんだよな?』


 あの事故以来、自己肯定感が猛烈に低くなったとは言え、この表情を見て誤解をするほど鈍感ではない。 


「わかった」


 お互いの緊張が伝わって、だからこそ、さらに緊張してしまう。そこから天音の家まで何を話したか瞬は覚えてなかった。


 ただ、覚えているのは「シャワーしてくるね」と恥ずかしそうに言った時の可愛らしさとドキドキ感。


 パイル地のオフショルダーの部屋着で見えた肩口のドキリとする色気。日焼けした首の部分とドキッとするほど対照的な、胸元の白くて柔らかそうな肌。


 サラッとした髪を流してはにかむ笑顔。


 スズランの匂い。そして初めて触れる女の子の柔らかさ。


 女の子の匂いに満たされたシングルベッドに二人が横になりながら、天音がさっきまでと少しだけ違ったトーンの緊張を見せた。


「あの、ガッカリしないって約束してくれる?」


 奇妙な頼みではあったが、彼女との「初めて」を前にした男は、どんな約束だって飲むだろう。


 コクコクコクと頷けば、ふわりと腕の中に可愛らしい身体が預けられる。


「瞬。大好き」

「好きだよ、天音」


 愛を確かめ合う恋人達に理屈も言葉もいらない。何度もお互いに「好き」と声に出しながら、ギュッと抱きしめ合った。


『柔らかい。いい匂いだ』


 背中も、脚も、腕も、触れるところ全てに筋肉を感じるのに、途轍もない柔らかさを持っている。


 初めて触れる胸は、柔らかさと弾力が見事なまでに同居している。その感触に溺れるのは男のサガ。


 たどたどしい瞬の動きにも天音は甘やかに反応する。


 初めて聞く女の子の切なくも甘い声は、男の欲望をかき立てずにはいられない。


 束の間、我を忘れた。


 深く迎えてくれた女体。


 あっという間に限界だった。何もする余裕などなかった。


「わっ」

「んっ」


 あまりにも甘美な瞬間。優しい腕が下から抱きついてきた幸せをいつまでも覚えていた。


 





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