第33話 暗闇に蠢くもの
「オレの誕生日は2月だったんだよ」
陽菜は「それが?」という顔をした。陽菜にとっては当たり前の情報だ。
「ははは。君はプレゼントもメッセージもくれたね、ありがとう」
「いえ! 先輩にはたくさんお世話になってます。当たり前ですから!」
可愛らしいカードと趣味の良いタオルをプレゼントしてくれた。イニシャルと「Thank you」が刺繍されていたのは、恐らく陽菜が入れてくれたのだろうと思う。
「誕生日に君からもらったのが家族以外からの唯一のプレゼントだったよ」
「え?」
ニコッと笑って「彼氏の誕生日を忘れていたらしいね、松永さんは」と言うと、陽菜が息をひっつめて目を見開いた。
そう。
瞬の誕生日は極めて普通に過ぎていた。
練習が終わって、天音は皆と一緒に帰っていった。あえて誕生日のことを自分からは言わなかったのは意地のようなもの。
あの日、あえて違っていたところを探せば、練習の話だけでも返事をしてきたというところ。
しかし、それだけだった。むしろ、返事をしてきたのに誕生日が置き忘れられているという事実は心に突き刺さった。
『誕生日も眼中にないのかよ』
さすがにショックは大きい。その程度のことすら関心がなくなってしまったのだろうか。それとも、その程度のことすら装うのをやめたのか。
忘れるはずはないのだ。天音の机にあったカレンダーは三月までのタイプだった。年を越えた2月。この日に大きく○を付けていたのを天音がわざわざめくって見せてくれたことがある。
あれは何だったのか? いや、自分の存在って、いったい何なのか。
さすがに悔しかった。
仮にも彼氏だと言いふらしているのは天音ではないか。それなのになぜ一言も、たとえ言葉だけでも触れてこないのか、それほどにオレは空気なのかと思うと居ても立ってもいられなかった。
中身のない、空しいメッセがブチッと切られた夜8時。すぐに家を出た。自転車で15分。何をどうするつもりも目論見もなかったが、とにかくやり場の無い怒りの捨て場がなかったのだ。
思わず力が入ってしまうのだろう。ペダルをこぐ左膝が痛む。しかし膝よりも心が痛い。何をするつもりでもなかった。ただ「彼女の家を見るだけでも」と、ほとんど片足こぎでたどり着いた。
天音の部屋に灯りがついていた。
「ん?」
ベランダを超える影が見えた。とっさに身構えた。けれども、慣れた手つきで窓を開けると、当たり前のように入っていった。
顔までは見えなかったけれど、背の高いシルエットが健であるのは間違いない。
迎え入れた天音の姿が瞬の中では、満面の笑みで再現されている。
茫然と立ち尽くしていた。どれほどの時間見上げていただろうか。
しばらくしてから、二人の影が一つになったのが見えた。
瞬は、あの日絶望を知った。わかってはいたつもりであっても「それ」を目の当たりにすれば、心は壊れるのだ。
「……と、まあ、それが
陽菜があまりにも真っ直ぐに受け止めてくれたから、余計に瞬の心は
「それでね、後日談があるんだよ」
「ごじつだん、ですか?」
陽菜の心は、もはや壊れかけているのかもしれない。しかし瞬はヘラヘラッと笑いが収まらず、言葉を止められなかったのだ。
「2月のね、14日だったよ。うん。菅野さん。くれたよね。ありがとう」
手作りクッキーだった。みんなに渡していた包み紙は一緒だが、瞬のにだけ「ありがとうございます」とメッセージが書いてあった。心が温かくなった。
その記憶をちょっと遠い目で思い出してから、口元だけで笑って見せる瞬。
「あの日はね、松永さんからももらったよ。ハイって。みんなと同じチョコ。それとプレゼント。いったいどういう冗談だったのか、オレにはいまだにわからないけど。ひょっとしたら誕生日とバレンタインをまとめて祝ってくれたのかもね」
ケケケと笑いがこぼれてしまう。
瞬の心も壊れてる。そのままを後輩に伝えていいのか迷っていたはずなのに勝手に口が喋っている。
「二階堂と松永さんは、今でも毎晩のように行き来していると思うよ。そして、二人はくっついているってわけ」
頬に意地の悪い笑みが浮かんでいたのは自分に対するものだったのだが、陽菜はわかったのだろうか?
そして言うべきでもないし、言いたくもない事実は他にもいくらでもあった。雛の目を見てしまうと、なぜか瞬は言葉が止められない。
「3月、彼女の誕生日だったんだよ。練習の後は『家族がお祝いしてくれるの』と言っていたんだ。だから、まっすぐ帰ったはずさ」
あの日、瞬は意地を張ったのだ。
せめて「本当の彼氏ではないけど、カタチだけでも渡さないと」とプレゼントとカードを持っていった。
けれども、家に行ったのが悪かった。その日、家族とお祝いしているはずの天音の部屋に灯りはついていなかった。代わりに健の部屋は灯りがついていて、まだ寝るには早い時間なのに、プツンと灯りが消えたのが事実。
「その後、ヘンな声でも聞こえるまで見ていた方が良かったのかな?」
陽菜が答えられないのを承知で、真顔で尋ねた瞬はさらに続ける。
「悔しいからさ、メッセージをつけてプレゼントをベランダに投げ込んだりしてね」
クスクスと笑って見せたのは瞬の意地だ。
「そしたら、翌日、部室のゴミ箱に捨てられていたんだよ。開けられた跡もなく。一応、他のゴミの下になってたけど、さ。ゴミ捨てをしてるのが誰なのか知らなかったんだろうなぁ。すごいよね、こうなってくると」
陽菜の顔が見られなかった。言葉が止まらない。
「それにさ、ヤッてたのは部屋だけじゃなかったんだ」
瞬が通う講習会は日曜日の夜、川向こうの専門学校で行われる。帰り道に河川敷の横を通るのが近道だ。人目に付きにくいホテル裏を横切ることになる。
あれは2月の下旬。日曜日の夜。
本当に、それは偶然だった。
天音がホテルの裏口から身を隠すようにして出てくるところを見てしまった。
「さすがに別々に出てきたみたいでさ、
疲れ果てた顔。ついさっきまで激しくヤッていたに違いない気怠そうな姿。けれども、そこには身勝手な苦悩をにじませているようにも見えていた。
瞬の頭に、今も焼きついている顔だった。
・・・・・・・・・・・・・・・
いつも応援、ありがとうございます。
話がどんどんと、辛くなっていって
申し訳ございません。
しかし、明日公開される
第35話 「綻(ほころ)び」
第36話 「もう一つの綻び」
とセットとなっております。
ここから、かなりトーンが変わります。
ご了承ください。
メッセージをくださる方へ。
いつも励まされております。
本当にありがとうございます。
新しい読者様のため
特に明日の話との絡みで
今後の展開についての
ネタバレ投稿にならないように
ご注意ください。
勝手なお願いをして
すみません。
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