第9話  憂鬱 ~天音~

 今日だけは健に来ないでほしい。


 最初から、ちゃんと窓にカギは掛けたままにしてあるし、カーテンは隙間無く閉めてある。電気も消えてるから、大丈夫だよね?


 それにしても、素敵だった~ 


 まだ瞬が中にいるみたい! 


 久しぶりに受け止めた感覚。ベッドに残ってる微かなニオイ。耳に残る声。あぁ、思い出しちゃう、あの言葉。


「過去のことだろ? 今の君が好きだから」


 もっと気にすると思ってたのに。知らんぷりはしてくれるかと思ったけど、まさか、それを認めて乗り越えてくれるなんて。


 なんてスゴイ人なんだろう。


 私はそんな人に愛されて、中まで満たしてもらえたんだなぁ。頑なに私の中を満たすことを拒んできた人とは違うんだよね。


 あの人は、きっと快楽だけがあればいいと思ってたんだ。だから、私を妊娠させないようにすることにばかりに気を遣ってた。


 瞬は違った。そりゃ、最初のは失敗しちゃったからだとわかる。でも、心の中に、私と深くつながりたいって思ってくれたから、忘れちゃったんだと思うの。


 私は気が付いていたけど言わなかった。だって、受け止めたかったんだもん。


 初めて身体の奥で受け止めて、やっぱりあれが女の幸せだとわかったわ。好きな人を女が一番深くで受け止められる方法だ。


 なんて嬉しいんだろう。最高の幸せだよね。


 私は横になったまま両手を上に伸ばした。空のお星様を掴むみたいに。


 ふふふ。顔が緩んじゃう。


 愛したのが瞬で良かった。

 そして、愛してくれたのが瞬で良かった。


 全身が瞬に満たされている感じが残ってる。自分の身体に残された匂い。


 なんて心地良いんだろう。

 

 そして…… 気持ちよかったぁあ!


 初めてのはずなのに、あんなに気持ちよくしてくれるんだもん。


 こんなふうになったら自然と好きな人のことを考えてしまうのは当たり前だよね?


 瞬、シュン、瞬、しゅん!


 とってもいい人だ。頭が良くって考え方も大人だし、真剣に私のことを考えてくれてる。


 瞬と一緒にいればきっと幸せになれるだろうなって心から思う。


 でも……


 こんな汚いオンナが自分の幸せだけを考えていいわけがないとも思ってしまう。少なくとも誰かを踏みにじって幸せになろうとしてはいけないんだってわかってる。


 汚い女、汚れた女。お母さんはそう言った。ひどいって思うけど、私は頭のどこかで「きっと、お母さんが正しいんだ」と思ってしまう。


 だって、自分でもそう思ってきたのだから。こんなことしちゃいけないと思いながら、ずっとずっと止められなかった。


 幼なじみの健の顔がふと浮かんでる。健は私のことをどう思っているんだろうなって。

 

 私だってバカじゃない。あれほど「弟のかたきだ」と言ってた人を私に売り込んできたのだから、絶対に何か考えているんだろうなって思う。


 健が何を考えたかはわからないけど、今の私は感謝してる。こんなに素敵な人と出会えたきっかけをくれたのだから。


 でも、不安。


 健をこのまま一人孤独にしちゃったら、きっと瞬へと圧力が噴き出てしまう。健の中に眠ってる黒い心。それが出てしまったら、誰にとっても良くないことが起きるはず。


 瞬に対しての悪意は、必ず健自身を追い込んでいくのは目に見えてる。だから、何とかして、わたる君の復讐を忘れてもらわなくちゃ。ううん、忘れるなんて出来ないよね? だから、少しでも凝り固まった心を、違うカタチで和らげて上げなくっちゃいけない。


 今は、どうしたらいいのか分からないけど、きっと何が出来るはずだ。たとえ、それで自分が泥をかぶっても良い。


 そうよ、汚いオンナが、あと少しだけ泥を被ったからといって、何にも変わらないのだから…… 


 いつだって、私の心には不安の黒い沼がある。よどみの底には怪物がいて「こんなに汚れたオンナに幸せなんてくるわけがないだろう」ってわめいてる。


 どうしたらいい? 


 瞬との幸せと健を孤独にしないこと、両立させるには、どうしたらいいんだろう?


 わからない。


 ああ! 私が二人いればいいのに。


 瞬が私を求めてくれたのは嬉しかった。それは事実。私が初めてじゃないって知っても、ちっとも軽蔑の冷たい目で見なかったのも勇気をもらえた。


 ありがとう、瞬。


 は、まだ全部を打ち明けられないけど、いつか話した方がイイよね? その時こそ捨てられちゃうかもしれないけど。でも、瞬は「過去のことだろ?」って言ってくれた。


 ホントのことを話しても、きっと捨てないでくれるよね?


 とにかく、私に出来ることははっきりしてる。「今」の瞬を大切にすること。そして、あの人との記憶を二度とよみがえらせないということ。


 身体に刻まれてしまった感覚は消えないけど、もう、会わなければ良いよね? うん。それなら大丈夫。会いさえしなければ断ち切れる。現に、今は会いたいとも思ってない。心から、そう思える。


夢の中に落ちかけた意識の端っこで「もしも会ってしまったら?」という意地悪な質問から目をそむけた私がいた。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


天音の「初めて」は誰とだったのか。

もうお分かりいただけたかと思います

健では無さそうです。

さて「闇」が深くなって参りました。


ところで……


クレクレをしてしまってすみません

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