第8話 苦味
二人は結ばれたままだった。
途方もない満足感がありながら、瞬の心に焦りと反省が浮かんでいる。
あまりにもあっけなかった。
満足感よりも、喪失感に近いものが生じた瞬の背中を恋人の手が撫でてくれる。安らぎとともに、男としての恥を感じてしまう。
「ごめん」
「ううん。大丈夫」
瞬だって年頃だ。いつか自分だって、と思っていたことがいろいろあった。けれども現実は全く違っていた。終わってみれば、ああすれば、こうしていたらと、そこはかとない悔しさがあった。もちろん「これほどの甘美な感覚があったのか」という満足はある。
けれども、天音かいささかキョトンとしているのを見ると、あまりにもあっけなさすぎたと後悔が先に生まれるのが男というものだ。
そして、次の瞬間「しまった」と思った。
「ごめん! 中で……」
緊張もあったし、あまりにも甘美で我を忘れてしまったのもある。普段自分が冷静だと思っていたのに、なんたる失敗をしてしまったのか。
「大丈夫よ。中は初めてだけど、私はわりと正確な方なの。たぶん、大丈夫な時期だから」
「そうなんだ」
ひょっとたら女の子ゆえの優しさで言ってくれたのかもしれない。しかし、言葉だけでもありがたい。
ホッとした。
同時に天音の言葉がリフレインする。
「中は初めてだった…… 中 は ?」
瞬の頭に浮かんだのは別のこと。
「初めての時、女の子は痛がる」という言葉だ。みんながみんな出血するわけではないのも知っているが、出血した感じはない。
温かい場所に包まれたとき、天音が漏らした声はあまりにも甘やかなものであった。それは決して痛みを訴えるものではなかった。
「あ? 気にしてる?」
天音の声がいくぶん緊張している。
言葉のトーンで、頭に浮かんだ「疑問」は、その瞬間肯定されたと理解した。
「いや、そんなことはないけど」
天音のセリフが意味するのは「経験」という言葉だった。
戸惑いを見抜いたように、下から抱きついてきた天音が「嫌いになる?」と聞いてきた。
解釈を間違えようがない。
自分はバージンではないが、それでも嫌いにならないか、と聞いてきているのだ。
「そんなことはない! 嫌いになったりするわけがないよ!」
断じてない。
「でも、オレ、ヘタだったろ?」
むしろ、そっちだ。恋人に軽蔑されるのは男として辛い。
「だって瞬は初めてなんでしょ? 仕方ないよ。それにすごくステキだったよ」
それが、恋人の優しさゆえの言葉であるのはわかる。だから嬉しさを感じる反面、密かに落ち込むことになる。
何か技巧を凝らすという余裕なんてなかった。あっという間に過ぎてしまった。
男にとって、それは恥以外の何ものでもない。
しかし天音はあくまでも優しい。
「とっても素敵だったよ。また、瞬がしたくなったら、いつでもしていいからね」
嬉しそうな笑みで「瞬とだったら私もしたいんたから」と誘う。
ゴクリとツバを飲んだ後、思い切って言葉にしてみる。
「ひとつ、聞いて良いて良いかな?」
「うん。なんでも聞いて」
そこまで言ったが、その後の言葉が出せない。
聞きたい、けれども、それを聞いて良いのかどうか。
相手はいったい誰なんだ?
そんなことを気にするなんて、あまりにも情けなくないか? 聞くに聞けないヘンなプライドがある。
天音が先に察してくれた。
「やっぱり気になるよね。あのね、ごめんなさい。相手は言えないの。でも一人だけだよ。それに、その人とはもう絶対会わないし、もちろん二度としないわ? 今は瞬だけ。それじゃ、ダメかな?」
過去のことだ。そいつがどんな男なのか、いつだったのかは、男として猛烈に気になるが、天音が正直に告白してくれたことの方が瞬にとっては大切だと思えた。
「過去のことだろ? 今の君が好きだから」
「ありがとう」
どっちからだっただろうか。恐らくお互いが求めたのだろう。深い深いキス。
「え?」
天音は、受け入れている身体が、再び可能になった気配を察したのだ。
目を丸くして見上げる恋人に、瞬は自分のガッツキぶりが恥ずかしくなる。
「ごめん」
「ううん。ぜんぜんいいの。ビックリしただけ。むしろ嬉しいからね? すご~い。連続で出来ちゃうんだ~」
そこにあるのは、九分の喜びと一分の驚きを載せた表情だった。
天音が密かに心配していた「これでガッカリされる」ことよりも、相手が自分を必要としてくれたという喜びが大きかった。
そして密かな『こんなに早く回復するんだ?』という驚き。もちろん、こうなった男性が何をしたいのか、よくわかっている。
「ね? よかったら、もっとして? 何回でも大丈夫だから。瞬がしたいだけしよ?」
そんな健気なセリフの裏側に言うに言えない言葉があったことに瞬は気付かない。
恋人と抱き合いながら、天音が胸にしまった言葉だ。
「こんなに汚れた身体で良かったら」
幸せいっぱいの瞬が気付くはずもなかった。
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