第35話 綻び

 時は遡る。


 二月きさらぎ最後の日曜日。河川敷の裏にあるラブホの一室。


 ベッドの上に見事な裸身が横たわっていた。ついさっき男の欲望にむさぼられた身体を隠す仕草はない。いや、手脚を投げだしたままの身体に意識があるのかも怪しい。


 光を失った瞳は、ただ天井を見上げている。


「なんだ。ずいぶんとだらしなくなったな。そんなに良かったのか?」


 ぐったりと力なく寝そべったままの女を見下ろし、まるで戦利品だと言わんばかりの我が物顔。スマホで撮影をしながら男は嬉しそうに言った。


「やっぱり馴染んだ身体は良いに決まってるって言っただろ。パパの言ったとおりだったじゃないか」


 撮影に飽きたのか、ベッドに腰掛けて娘の両頬を右手でグッと掴んだ。


「ほら、返事くらいしなさい。そんな失礼な娘に育てた覚えはないぞ。悪い子には悪いことが起きるって教えてきただろ?」

「わ、るぃ、こ?」


 初めて女が反応した。


 ひどくあどけない表情に怯えた目。


 顔だけを見れば幼女のようだった。


「そうだ。悪い子だ。パパの言うことを聞かない子には、悪いことが起きるんだと教えたな?」

「わた…… し、わるい、こ……」

「そうだな。温泉ではあんなに抵抗しやがったが、ふん、一度思い出せば、こんなもんだ。どうだ、わかっただろ? パパ無しではいられない身体になるんだって」


 女を意のままにしたという自信に満ちている。事後に力なく横たわる姿は男としての達成感をもたらすのだろう。男の声は次第に大きくなる。


「で、最近は男が出来たんだって?」


 ニヤリと笑って見せるが、反応はない。 


が言っていたぞ。毎週日曜日にホテルに行ってるってな」


 毎週に、アクセントをつけている。


「年末の温泉以来、オレとは二度目だったよな? じゃあ、他は誰と行ってるんだ? まさかパパにウソをつくような悪い子じゃないよな?」

「うそ、つぃてない。あまね、うそなんて、つかなぃ」


 ひどく物憂げで、舌っ足らずな口調だった。さっきの余韻に浸っているのだろうと男は気にもとめなかった。


『家の中でヤッてた時もこんな感じだったよな。あの時よりもひどくなってるが、なぁに、身体がオンナを思い出すと、こうなる体質なのだろう』


 男は勝手に納得している。それよりも、娘がホテルに行く相手を突き止める必要がありそうだ。


「じゃあ、ちゃんとパパに教えなさい。誰とホテルに行ったんだ?」

「パパ、だけー」


 ひどく幼い口調だ。


「ウソじゃないな? ウソをついたら、悪い子だぞ!」

「ちが、うの。あま、ね、わるい、こじゃ、ない」

「ウソをつくのは悪い子だ! 正直に言いなさい」


 イヤイヤと顔を振りながら、その目から涙が流れた。


「どうやらウソじゃないらしいな」

「ぅそ、っかないょお」

「それにしても、お前のその口調なんとかならないのか? ヤルたびにひどくなっているじゃないか!」

「おこらなぃでぇ」


 コロンと身体を丸めてしまった。


「わかった。怒らないから。代わりにちゃんと言うんだ」


 男は、ちょっと考える。


『こんな口調になったときは、曖昧な質問が通じなくなるからな。具体的に聞くしかない。まあ、代わりに、ウソが言えなくなるのだから、便利と言えば便利だ』


 男は知らないが、これは心的な傷を負った人間が陥る一種の逃避行動だ。心を通さない受け答えをする、幼児退行に近い現象とされている。けしてウソがつけないわけではなく、、全てが投げやりになり、守ろうとしなくなるだけのことだった。


 しかし、温泉でしたときに感じた違和感というべきか。自分以外の男がいるからこそ、あれほど抵抗したのではないかと疑う。


 母親の挑発うそだろうと楽観することも出来ない気がした。


「パパ以外の誰かとセックスしたか?」


 ズバリと聞けば「うん」と答えた娘に仰天してしまう。


「誰とだ?」

「たける〜 おさえつけられて〜 ゃられたぁ」

「なんだと? 健君? マジか〜」


 男は頭の後ろを押さえる。これは頭の痛い話だ。


「天音は健君が好きなのか?」

「う〜ん」


 頬を右手が押さえながら、しばらく考えた後で「きらぃ」と短く答える。


「嫌いなのにセックスするのか?」

「あまねはしたくなぃよー でもぉ おさぇられちゃってぇ、ぃやがるとー ぶっし こわいことゆーんだもぉん」


 ふ〜む


 レイプか?


「避妊は?」

「っけてる〜 パパみたぃ」

「パパは無理矢理したりしないぞ? 食事に連れて行ったりしてるだろ?」


 連れ出す度にホテルにすると、さすがに来なくなってしまうだろう。建前上は「親子で食事をしよう」ということにしていた。そのため、高校生では行けないような店に連れて行く分、金はかかる。


「あまね、ぃやってゆってるのに」

「いいんだ。それは、ね、パパだから」


 理屈になってないが、さすがに「理」などないことは自覚している。

 

「そ、かなぁ?」


 風向きが悪くなりそうだ。少なくとも健と恋人同士というわけではないらしい。


 慌てて話をずらす。


「他の男とはセックスしないのか?」

「パパだけぇ」


 少しだけ安心する。勝手なものである。

 

『これをどうするかだな』


 せっかく娘を取り戻した。まだ素直にヤラせるまでにはならないが、包丁を見せて「これでパパは死ぬから」と脅せば、ちゃんとホテルまで着いてくるようになったのは上出来だろう。前回は実際に腕を切ってしたが、今回は、包丁を見せただけですんだ。


『せっかく、オレの手に戻ってきそうなんだ』


 必死になって二人の時間を作って、身体にいろいろと教え込んでいる最中だ。それなのに他の男にヤらせるのは業腹だった。何よりも。この男にも自分だけを例外に置いた、クズなりの倫理観がある。


『しかし、警察は問題外だぞ? 天音がオレのことを話してしまう可能性が強い。それにこの間の感じだと母親に言うのもダメだろうな。となれば、天音自身に気をつけさせるしかないか』


 天音を連れ出すことが母親にバレないように、アリバイ係にもなってもらえるよう交渉したのが健だ。快く引き受けてくれているし、実際、使い勝手も良い。役に立つ道具に対して、あまり強硬なことも出来ない。


 欲望と自己保身の塊である。


 男は困った。


「あのなぁ、天音。隣の健君だけはダメだぞ?」

「なんで-」


 男はそこからじっくりと言い聞かせていった。あどけない顔になっている分だけ、どこまで理解しているのか男にはわからない。


 結局、すべての事情を説明するしかなかった。


 話してしまえば天音も理解を示す。「二度とセックスしない」と約束させた。


 ここで男は計算違いをしたのである。まさか、娘の生活に「隣の長男」がこれほど関わっていたとは思わなかったのである。


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