第4話  転機

 瞬のかじったサンドイッチを躊躇ちゅうちょ無く食べる天音あまね。周りの目もそうだが、瞬自身が驚いてしまう。


「あの、さ、えっと」

「なあに?」


 キョトンとした表情で見つめてくる。


「あ、えっと、あの、ひょっとして、こう言うのって普通?」


 間接キスとか、あ~んとか、女の子は気にしないものなのだろうかと瞬は思う。


「こういうのって?」

「あ、いや、なんでもない。ところで、大切は話って?」


 とにかく天音は気にしてないらしい。それをわざわざ言葉にするのも、なんだか自分がちっちゃく感じて封印する。


『それにしちゃ顔が赤いもんなぁ。全く気にしてないわけではないと思うんだけど』


 とにかく天音の本心がどうあれ、こんなのが続いたら瞬のメンタルが持ちそうにない。


『先に大切な話とかいうのを聞いちゃった方が良さそうだ』


 さて、なんの話だろうかと思ったら正面から視線を合わせてきた。


「ヘンなことを聞くけど、瞬って男バスの居心地は良いの?」


 ドキンとした。


「聞いたわ。瞬はバスケの天才だって。高校でも、きっと名前の残るプレイヤーになったはずだって」

「いや、ほら、オレ、背があんまりないから限界があったさ」


 男バスの世界で175の瞬は「チビ」ではある。


「あっちこっちからスカウトされてたんでしょ? 私、バスケットボールのことは知らないけど、ウチのバスケ部が、ぜ〜んぜんダメなことくらい知ってるよ?」


 天音の言おうとしていることはわかる。もしも、と言う言葉を使うのは空しいが、あの事故さえなければ、強豪私立にスポ選の特待生が約束されていた。よりどりみどり。三年間の学費だけでなく寮費も遠征費も学校が出すと言ってきた学校まである。


 インターハイ出場を夢見るどころか、本気で「インターハイ優勝」を目標にして練習していたはずだ。


 けれども、今や、まともに歩くことすらままならない脚だ。お遊びのバスケであっても、まともに出来ない。けれどもバスケのない生活は考えられなかった。だからせめて、マネージャーとしてバスケに関わっていようとして入部した。


 テーピングに始まり、栄養学やスポーツマッサージまで、ありとあらゆることを学んできたつもりだ。努力家の瞬が学んできたレベルはコーチとしてもトレーナーとしても既に高校生の領域を大きく超えている。自分がアドバイスすれば、インターハイは無理としても公式戦でそれなりに戦えるようにできると信じていた。


 ところが、若葉高校のバスケ部は想像以上に腐りきっていた。まともな練習すらしない。キャプテンが練習に顔も見せず、部室で女子マネとイチャついていたのも、一度や二度ではないのだ。


 おだて、なだめ、時には痛む左脚を引きずって見本も見せた。なんとかして「勝つ楽しさ」を知ってほしかったのだ。


 けれども、顧問はバスケを知らず興味もない。練習に一度も顔を出したこともない。プレイヤーが練習に来るのも数人という状態だ。さすがに公式戦に勝つなんてありえない。


 何とかしようとあがいた。すべては空回りだった。


 そんな部では、瞬のような人間は逆に浮いてしまう。上級生からは煙たさゆえに「排除」の対象となってしまった。


 他に女子マネージャーが3人いて、すべて「彼ッピのそばにいたいんだもん」のタイプ。おまけに一人は典型的なクラッシャーだった。次々と部の中で男を乗り換えるから部員同士の争いが絶えなくなる。


 そんな風に腐ったバスケ部では瞬の居場所なんてなかった。2年の夏合宿までは付き合って、そこで辞めることも考えていたところだ。


「もしも、瞬にとってバスケ部の居心地が悪いなら」

「うん」

「私本気でインターハイに出たいの」

「うん」


 言葉の行く末が見えた気がした。


「瞬なら、きっとトレーニングメニューもいろいろ知っているよね?」

「陸上のことはよくわからないよ」

「それでもいいの。ね? 私、瞬に応援して欲しいんだ」

「応援?」

「うん。ハッキリ言うと陸部に来て欲しいの。そして、私の練習を見てもらいたい」

「え!!!」

「瞬なら、きっとトレーナーとして優秀なはずよ」

「だけど、部のやり方とか方針もあるだろ?」


 正直に言えば、いろいろなトレーニングや走ると言うことをアドバイスするだけなら密かに自信はある。それなりに勉強もした。けれども素人が後から入部して、いきなり練習に口をはさめるわけがない。


「陸部全体のことがあるからな。それに、そもそもあいつ二階堂が拒否るよ。キャプテンななんだろ?」


 二階堂が陸部のキャプテンになったのは知っていた。背も高くて顔も良い。走る方だって相当らしくて女子を中心に人望もある。クラスのカーストで言えば完全な一軍だ。


「大丈夫。瞬が気にしてるのはわかるけど、ぜんぜん、そんなことないからね」


 二階堂との幼なじみはダテではない。さすがにあれ事故を知っているらしい。


「だって、瞬の転部を勧めてきたのはたけるなんだよ」

「二階堂が、ホントにそんなことを?」


 幼なじみの気安さだろう。天音は二階堂を「健」と呼ぶし、何気ない話にもちょくちょく出てくる。その程度は普通なのだと受け入れるしかない。チクッとしたささくれではあるが、それを指摘するのは、何となく「小っちゃい」気がした。けれども、ささやかな抵抗のつもりで「二階堂」と言い直す程度は許されるはずだ。


「あのね、瞬のことはすごく認めてるの。プライドの高い彼としては、びっくりするくらいよ。誰かを誉めるのって初めてじゃないかな? ただ、ほら、ね? あのことがあったでしょ? 面と向かうと、キツく当たっちゃうかもしれないけど、ホントは認めてるって」

「そ、そうなんだ」


 今までのことを考えれば、とても信じられないが、ここで天音がウソをつく必要がないのは事実なのだ。


「お願い! 私をインターハイに連れていって!」


 その目は真剣だった。


 考える時間を取るまでもなかった。


「わかった。何ができるかわからないし、何が起きるかもわからないけど、天音の彼氏として、来年のインターハイ予選まで全力でサポートするよ」


 それから、3カ月もしないうちに、死ぬほど後悔する約束をしてしまったのを、その時の瞬は、まだ知らなかった。



 


 


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