第3話  パニックと「あ~ん」


 若葉高校に静かなパニックが起きている。


「ぐぬぬぬ」


 呻きともつかない声で机に突っ伏す者。


「ウソだ、ウソだと言ってくれ」


 ワナワナと呟く者。


 泣く者、怒る者、見なかったことにする者、弁当を急に食べ出す者。ネコ動画に心を逃がす者。


 静かなパニックは広がる一方だ。


 瞬は心の中でため息をつきながら、休み時間の度に顔を見に来る天音を見つめ直す。


「ふふふ。瞬が見てくれてる」


 ニヘラッと笑う顔は、普段の美女ぶりよりも「可愛らしい」に振り切っている。


 そんな笑顔を正面から受け止める瞬の目の端に呪詛を吐く連中が映っている。


『それにしても、マジかよ。こんなに可愛いのに彼氏が初めてって』


 カレカノとなってわかった。告白されたことはたくさんあっても「だって、みんな子どもっぽくって」お断りし続けてきたらしい。


「自分から好きになったのは初めてだったんだよ?」


 パッチリした瞳をクリンとさせて、そんなことを言われたら、たまらない。


「気がついたら瞬のことばかり見るようになってたの」


 お目めがハートマーク、というのはこのことをいうのだろう。美少女は初めてできた「彼氏」に底が抜けてしまったような、だらしない表情を見せている。


 恋は盲目という。恐らく「初めての彼氏」という意識が天音を突き動かしているのだろう。


 休み時間ごとに瞬のところにやってくる。


 当然、座る席などないのだが、美女とはワガママが簡単に通ってしまうらしい。現在、天音の座っている席は卓球部の吉岡の席だ。最初に天音が「座らせてもらってもいい?」と笑顔で聞いた瞬間から、休み時間の所有権が移ってしまった。


「吉岡君って、すごく優しい。ありがと」


 その一言で、吉岡は休み時間の度に自分から席を立って廊下でスマホゲームに勤しんでいる。


 すまん、と性格の良い卓球部員に心の中で頭を下げる瞬だ。


「ところで、さ、大切な話があるの」

「なに? 改まって」


 昨日も遅くまでチャットアプリを酷使して、あげくは通話に切り替えての長話だ。さんざん話はしたはずだ。


 もちろん話すことに異存はないが、わざわざ「大切な話」と言われると不思議だった。


「うん、後でゆっくり話したいな」

「いいですけど」

「ほら、また敬語!」

「ご、ごめん」


 昨日、チャットから通話になったのも、これのせいだ。ついつい敬語で話してしまう瞬に「カレカノらしくないじゃん。瞬には練習が必要よ」と強制的に、普通に話す練習をさせられた。


「やっぱり、みんながいるところだと、まだ難しいかも」

「じゃ、次のお昼休みに、体育館のところのベンチで!」

「はぃ…… じゃなかった。ああ。わかった」

「ふふふ。ありがと。また後でね」

 

 隠してもいなかった会話だ。当然のように昼休みのベンチの側は、わらわらと人がいる。


 みんな知らないふりをしながらも、好奇心満々という感じだった。


『そう言えば、昼を一緒に食べるのは初めてか』


 天音の昼休みはいろいろと忙しいらしい。クラスの仕事に、陸部の打ち合わせ、フィールドの清掃までやっているのだ。


「注目の格差カップルのお昼」は、注目されているのだろう。


「ま、隠す必要はないから良いけどさ」

「なにが?」


 どうやら美少女には、周りにうろつく「さりげなさを装う人々」は目に入らないらしい。普段から注目されているせいなのかもと瞬は思った。


『注目慣れしてるんだろうな』


 自分の弁当を出して、ふと見ると、彼女になったばかりの少女はコンビニの袋からサンドイッチを取り出すではないか。


「えっと、まさか、それ?」


 瞬とて年頃の男の子である。カレカノになって、お昼休みに誘われたら、そりゃ、期待するのは「手作り弁当」である。


 例の「あ~ん」という定番のアレをやるのはごめんだが、いくらなんでも、このシチュで女の子がコンビニサンドイッチを出すのはない。あるわけがない。


 驚きの目で、思わず見つめるサンドイッチ。天音もその視線に気付いたのだろう。


「テヘッ、ペロ」

「いや、それセリフにしないでしょ」


 ククッと小さな肩を上げてみせる、その仕草すら絵になるんだから、美少女には困ったものだと瞬は思う。とはいえ、それが自分の彼女となったのだから口角も上がろうというもの。


「えへっ、ほら、ウチのお母さん帰ってくるの遅いからさ。朝、お弁当を作るの大変だって言われてるの」

「そうか」


 喋っている間も瞬の手は弁当箱を開けていた。今度は天音が目をみはる番だ。


「あ! すごい、瞬のお弁当美味しそう! お母さん料理上手なんだね」

「いや、えっと、これ、自分で作った」

「これを瞬が作ったの?」

「あぁ。まあ、一応」


 勉強と部活を優先させるとバイトができない。高校に入って、いろいろと覚えるべきことが増えたので金がかかる。その費用を生み出すため、親の分の弁当を作る約束で、1回500円をもらっているのだ。


 材料費は親持ちだから貴重な収入源だ。


しかし、今はそこまで説明する必要はないだろう。


「味見、する?」

「いいの! じゃ、この卵焼き食べてみたい!」


 無邪気な笑顔だ。この笑顔は悪くない。本当に悪くないと瞬は思う。


「あ、じゃあ、先に、どう?」


 箸を渡そうとした。


「もう! そこは、ほら、はい!」


 天音の動作で「何」を求められているのか一発でわかる。分からないはずがない。


 猛烈な羞恥に襲われて瞬は真っ赤になる。けれども美少女の圧力に勝てなかった。


 かくして、生まれて初めて「あ~ん」をやってみせるのであった。

   

さりげなく覗いていた男達は、その瞬間、何人が血を吐いたのか、数えることが出来なかった。


「すご~い。美味しい。あんまり甘くしないんだ?」

「あぁ。今回のはオカズ寄りにしてあるからね。たまに箸休め的に甘いのも作るよ」

「え? 卵焼きにも種類があるの!」

「まあね」


 照れ隠しのようにから揚げをかじる。下ダレにゴマ醤油が効いている。我ながら会心の作。


 そこで事態はさらに急を告げるのである。


 天音に食べさせた箸で唐揚げを囓った時『あ、これ間接キスになるのかな?』と思ってしまう自分に照れていたら次の爆弾が炸裂したのだ。


「ね? その唐揚げ、美味しそう、それももらって良い?」


 またしても、あ~んである。自分が使った箸だ。いや、それどころか、自分が囓った唐揚げを天音は指定してきたのだ。


 密かにゴクッとつばを飲み込んでから、できる限りさりげなく「はい」と食べさせた。

 

 校則違反の薄いリップを引いた唇が唐揚げの衣を挟み込む。


「ん~ あぅ、これ、おいひぃ~」


 それを覗き見ていた男達は、さらに鮮血を吐き出していた。全員のHPは残り1か2であろう。


 瀕死である。


「ふふふ。あ、もらってばかりじゃ悪いよね。このサンドイッチを食べてみて? はい、あ~ん」


 有無を言わせない攻撃。


 すでに天音がかじっていたサンドイッチをパクッと小さめにかじった。


「ふふふ。コンビニのだけど、美味しいでしょ?」

 

 男達は最後のとどめを刺されバタバタと地に伏したのである。



 



 

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