第25話 冬来たりなば



 決定的だったのは、クリスマスイブだっただろう。天音の発案で「クリスマスパーティー」が計画された。


 そこまではわからなくはない。あっという間に、ほぼ全員が参加することを決めたのだから、みんなも楽しみにしていた。それを非難するつもりなどこれっぽちもない。ところが企画は「カラオケ」を前面に押し出したものだ。


 自分の彼女が、自分の苦手なことを企画の中心にして、クリスマスイブに、みんなで集まることを呼びかける。しかも二人きりのお出かけは今回も断られた。


 このを受け止められないほどドンカンでもない。


 年末、天音は親と旅行に出かけた。詳しい話は聞いてない。辛うじて、健が一緒ではないということが人づてにわかったことを救いだと思ってしまう自分が哀しかった。


 初詣は部全体で出かけた。相変わらず二人のお出かけは断られた。代わりにと言うわけか松が取れた頃、部屋に誘われた。


 そんな時だけは元の天音だった。瞬の好きな輝く笑顔も、男としての瞬に尽くすことも心から嬉しそうなのだ。


 まるで二人の天音が存在しているかのようだ。


 そんな歪な付き合いは男としてのプライドを少しずつ崩してしまった。 


 いつしか、天音の家に行くことは間遠になっていく。そうしたら天音の方から「しなくて大丈夫?」と正面から聞かれるようになった。瞬が「大丈夫だよ」と首を振ると悲しそうな笑みを浮かべた。

 

 その哀しそうな表情の意味がわからなかった。ただ、相変わらずデートに応じることだけはない。メッセージのやりとりも次第に「陸上」関係だけになっていった。


 その間、いや、そうなるずっと前から、瞬だっておかしいと何度も思った。相手のを振り返ると結論はいつも同じだった。


『う~ん。やっぱり合宿以来だよなぁ』


 合宿最終日は、明らかに体調がおかしかった。しかも瞬の目線を避けるかの表情を何度も見せていたのは明らかだった。


 あんな態度を取る天音は初めてだ。「何かやましいことがあったに決まっている」と思ったが、それを問い質すのは可哀想な気がした。


『考えるなよ? 考えたらダメだからな』


 本当の答えはわかっているのに、ワザと気付かないフリをしている。なにしろ、合宿中の各選手の調子は克明にメモしているのだから、気付かない方がおかしい。

 

 あの日、明らかに調子が悪かったのは、もう一人だけいた。


 合宿最終日の午前練。


 瞬は常に「個人カルテ」をノートにつけている。二階堂健のページに「寝不足?」と書き込んだのは瞬自身だ。


『ひょっとして、こういう時は天音に直接聞くべきなのか?』


 天音の可愛いけれど、どこかポンコツな顔を浮かべてしまう。そこに「浮気してるだろ」と詰問している自分を思い浮かべると、顔を振ってしまう。


『そんな醜いことは無理だよ』

 

 健との関係を今さら取り沙汰しても仕方がないとも思う。


「結婚を約束したわけじゃないんだし。もしも他の男に天音の目が行ったなら、もっと大きな愛で包んで取り返すさ。それでダメなら仕方ない。裏切りをなじっても心が戻ってくるわけないんだし」


 そんなことを秋口から考えていた瞬だ。そして、冬を越えようとしている今、もう、結論は出たカタチだ。


永遠に「走る」能力を喪った、あの事故の日からだろうか。それとも亡くなった子どもの兄から「現に、お前は死なかっただろ! お前さえいなければわたるは生きてたんだ!」と迫られたときからだろうか。


 瞬の考え方は常に一歩引いたところにある。


 良かれと思って、とっさに動いた結果、自分にも他人にも最悪の現実となった。だから、成り行きに対してあらがわない方が良いのだと、常に考えてしまうのだ。


「二階堂を選ぶのなら、それは天音の自由だろ? オレが愛しても、あっちには愛し返す義務なんてないんだからさ」


 一つため息をついた後、机の上に置いたノートに点々と水滴が落ちているのに気が付いた。


「あっ、オレ、泣いてるんだ」


 気が付いた次の瞬間「自分を哀れむのだけは辞めよう、もっとみじめになるだけだぞ」といましめる。


 涙をふけ、今できることをやれ、楽しいことを考えろ。


 自分に言い聞かせるように声を出した後、ふっと「楽しいこと、か……」と天井を見上げた。


 何が楽しいのか、わからなくなっていた。


 そして二月きさらぎに入る直前のこと。瞬の誕生日は近い。しかし、一言も触れてこないに、寂しさを感じない男なんていないだろう。


 寂しさとか不満はさておいて、画像解析でフォームチェックをする瞬だ。


『これでも、バランスは以前よりも全然良くなったんだけどなぁ。トレーニングの効果が期待よりも出て来ないんだよね』


 すぐに、過去分のデータと突き合わせる。トレーニングに対する効果が予定よりも悪い。


 付き合い始めてから合宿の頃までは、順調すぎるほどに順調だった。それなのに、調子が明らかに落ちていた。


とデートすらしないで、トレーニングしてるはずなんだけどね』


 いつの間にか、天音の部屋に行くこともなくなった。


 皮肉なことに、天音との時間が無くなった分だけ余裕が出来た。いつからか後輩の陽菜から頼られるようになっていた。部活中は健との約束がある。直接のアドバイスはできない。いつしかIDを交換して「密かなコーチング」をするようになっていた。


 コーチングのお礼にと、こっそり手作りクッキーをもらったりしている。淡い恋心を痛みとともに受け止める程度には、瞬も心が出来ている。


「ありがとうございます。こんなに伸びるとは思いませんでした!」

「あとちょっとだね」


 あくまでも練習でだが、都大会通過タイムまで、射程距離に届いた。このまま伸びれば今年はインターハイ出場が現実の視野に入ってくる。


 伸び悩む天音にはどこかしら陰がある。対照的に、走る姿にも笑顔も陽菜には陰が全くない。


 掲示板に貼りだした結果につぼみがほころぶような笑顔を見せた陽菜は、ツツツっと寄ってきて「ありがとうございました」と笑顔が向けられた。


 その視線は純粋な好意であることが心地良い。


『こんなに素直な笑顔を見るのは久し振りだな』


 それは瞬が陸上部で久し振りに見た、心からの笑顔だった。

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