第37話 インターハイ予選


 始めたいきさつはともあれ、一度入った部活だ。瞬なりにできることは一生懸命にやってきたつもりだ。取り入れたメニューは数知れず。たとえ、それが瞬の提案だと知らなくても一生懸命に取り組み、記録を伸ばしてきたのは部員達だ。


 どんなカタチであっても、そして、一方的なものであっても愛着のようなモノが芽生えているのは当然だった。


「今さら、恋とか、愛とか、そんなモノはどうでも良い。せめてここで結果を出してもらわないとな。さもないと、裏切られて終わりの高校生活って話になってしまう」


 への思いはとっくに冷めている。瞬の頭にあるのは「結果」へのこだわりだ。インターハイ出場じゃなくてもいい。それぞれの部員がどれだけ伸びたのか。


 最後の大会へ、おそらく出場する選手本人よりもこだわりを持っているかもしれない。


 だから緊張していた。自分が試合に出るよりも緊張していた。もちろん、この会場に来ている全ての人間に緊張はあるだろう。だが、自分で走れない分だけ瞬の緊張は独特だったのだ。


 その会場で思いがけず緑山大学の原田先生から声を掛けられた。既に何度か練習会に呼ばれて顔を合わせているからだろう。旧知のように肩を抱いて親しみを表現してくれる。


 原田先生は超がつく有名人だ。一高校生に、そんな態度を取るシーンを見て、知っている人間は驚きの目でこっちを見つめている。


 原田先生は、そんな周囲にお構いなしだった。


「大竹君! 久しぶり。元気でやってるの?」

「ありがとうございます。おかげさまで」

「今年は君のところから伸びている子が出てるね、さすがだよ」

「いえいえ。大エースとなった3年の二人のおかげです。きっと勝てるって信じてます」

「君がそう言うなら、きっと勝てるんだろうけど、あれ、あの子って2年生じゃなかったんだ? あと一年あればインターハイに出場して、そこそこいけたんじゃないかなって思ってたのに。あ~ 残念」


 手を頭の後ろにペシペシと当てて「残念、無念」と繰り返す。


 雰囲気は気さくなオジさん、そのものだ。この人が押しも押されもせぬ大学陸上界のトップの人だとは思えない。


「ところでさ、大竹君。トレーナー扱いだとアスリート入試の枠にならないけど、総合型の方を受けるつもりがあったら言ってね。オレが推薦書を書くからさ。ぜひ、ウチに来てよ。好きな学部を言ってくれれば、どこでも押し込むよ」


 大学駅伝の覇者であるオッサンは、人の良さそうな笑みを浮かべると、楽しそうに瞬の肩を叩く。


「ありがとうございます」


 お世辞であっても、そう言ってもらえると嬉しい。報われた気がした。


 それにしても、こんな大物が会場にふらふらとやってくるなんてありえないはずだ。何が目的なんだろうと瞬はいぶかった。


『やっぱりスカウトだよな? 誰が狙いだ?』

 

 有力選手はあらかたインプットされている。しかし、原田先生のお眼鏡に適うタイプは見当たらない。天音も健も含めての話だ。


 実は、天音も健もこの大学のアスリート入試を狙っているとのウワサだ。陸上部のワクは毎年二人。原田先生の指名で無条件に合格すると言われている。ただし、インターハイ出場は最低限のラインだとも言われているのだ。


 予選の日に、わざわざ原田先生がやってきた理由がわからなかった。


「こんにちは!」


 二階堂が割り込んできた。


「原田先生ですか!」


 いきなり相手に名前を聞くとか! あまりにも失礼な態度に肩を小突くが気にした様子はない。


 しかし原田も頭の悪い高校生の扱いに慣れているのだろう、気を悪くした様子も見せず「あはは、ボクもだいぶ有名になったみたいだね」と笑って見せる。


 言外に「お前のことなんて知らないからあっちに行け」という大人のサインだが気付けないのだ。


「ボク、若葉高校の二階堂健と言います。えっと、来てくださってありがとうございます。先生の大学は憧れなんです。先生の大学のアスリート入試、ぜひとも指名してください」


 どうやら、自分をスカウトに来たとでも勘違いしたのだろう。ペコペコと頭を下げているが、言っていること自体はものすごく厚かましい。


 こういう時でも人あしらいの上手い原田は怒りも見せずに「うん、ウチは実力主義だからね。力さえあればどんどん受け入れるよ」と笑って応えているが、目が笑ってない。


 ヒヤッとした。


『二階堂って、まったく評価されてないんだ?』


 原田の厳しい眼差しは言外に「実力があれば、とっくにこっちから声を掛けてるよ、のぼせ上がるんじゃねーぞ」と怒鳴っているようなものだ。


「お、おい。二階堂」

「なんだよ、うるせぇんだよ。原田先生はオレのコトを見に来てくれたの。記録員でしかないお前が口を挟むんじゃねーよ」


 あ、こりゃダメなパターンだと瞬は察する。仕方なく原田先生に目顔でお詫びをして離れることにした。


「先生、それではまた」

「おー 今度、メシでも食いに行こう。電話するからな」

「ありがとうございます。それでは」


 頭を下げて別れると一分と経たずに、二階堂が後ろからどついてきた。おそらく「じゃあ、私は忙しいから、これで」と追い払われたに違いない。


 明らかに不機嫌な二階堂だった。


「なんで黙ってたんだよ」

「何を?」

「原田だよ、原田。お前が知り合いだってこと黙ってたじゃん。舐めてんのか、テメェ」

「舐めてなんかないよ。ウチの部の公式SNSがあるじゃん? 原田先生はあそこに質問と意見をくださったんだよ? お前は見てなかったのか?」

「ウソだろ! あんなぁ! いくらなんでも、あんだけ有名な先生が来てたらオレが見逃すはずないじゃん、なに、フカシてんだよ!」

「え? でも、ほら冬だったかな? 問い合わせのところに投稿があったじゃん」

「ん?」

「お前が、そんなの放っておけ、二度とこの件は話すなって言ったんだけどな」

「オレがそんなこと言うわけねーだろ。相手は原田だぞ」

「そりゃ、最初は単なる陸上好きの一般人って感じで書き込んでたからね。オレが最初に報告したら、お前が怒鳴ったんだよ。こんなオッサンの書き込み、二度とオレに考えさせるなってね」


 二階堂が覚えてないことはわかっている。だから、少しねちっこく思い出させておくことにした。


「ほら、ウチの部の練習メニューやトレーニングなんかの考え方をまとめてあるだろ? そうしたら問い合わせがあったんだよ。もちろん、すぐにに話したぜ? そしたら、キャプテンが怒ってね『お前が全部やっておけ、オッサンの書き込みなんて、二度とオレの頭を患わせるんじゃねーぞ』って怒鳴られたんだよね。だから命令通りにしたんだけど?」


 健が口をパクパクさせている。怒鳴り返すタイミングを失ったのだろう。


『たまたま、律儀に対応してたら気に入られてさ、後から原田先生だってわかったんだけど、ま、それを教えなかったのはワザとだけどさ。その程度の意趣返しはアリだよね』


 心の中でニヤッとできたのは久し振りだったかもしれない。



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