第42話 自縛 ~天音~
私はひどい女だ。
始めは健が少しでも傷つかないようにって思ってたはずだった。いろいろ我慢をした。途中からは、そんなものもどっかに行っちゃったけど、それでも健が傷つかないようにしたい気持ちはどこかにあったはず。それは本当。
でも、いざ健が傷ついた場に居合わせても、私の心はそこになかった。
心に穴が開いてたから。
お弁当。
毎朝、瞬が持ってきてくれるお弁当。
もう、最後のつながりになってしまったお弁当。
今週から届かない。
もちろん、気遣いしてくれる瞬だもん。いきなりのことではなかった。予選の終わった夕方にメッセが入ってたって健が後から教えてくれた。
そう、この半年、瞬からのメッセは健から教えてもらうしかなくなってる。
全部、私がいけなかった。
瞬とだけは、みんなと別IDを使ってたのが間違いだったんだよ。だから簡単に奪われてしまった。
ハーフ&ハーフを破った罰だ、と健は言った。
健の執着心が異常だと思ったのは去年の二学期だった。だけど、まさかここまでになるなんて思わなかった。
年末のショックで、私にあらがう力は残って無かった。言われるがままに、パスを教えてしまった。「罰だ」って言っていたから、何日間かのことだと思ってた。ちょうど悪い子にお仕置きするみたいに。
でも、健はIDを返してくれなかった。パスを変えられてしまった。
「だって、返したら、また約束を破るつもりだろ? 必要ならオレがメッセを中継するよ。約束を守るつもりがあるなら、お前がIDを持っててもしょうがないだろ」
そう言い張った。でも、今さらの部分はある。私のスマホを全てチェックするのが当たり前になっていたから。「ハーフ&ハーフ」を守らせるためと押しつけられた約束だ。
「約束を守るんだったら、オレがチェックしても良いはずだ。それができないって言うんなら約束を破っているからだって疑うのが普通だろ?」
そんな風に言っていた。
「天音が約束を破るんなら、大竹に何をしちゃうか自分でもわからないよ。ヤキモチ妬いちゃうからさ」
それがいつもの脅し方。
それが言葉だけではないことを私は知っていた。クリスマスの時だって、瞬が来てたら危なかった。手下のようになった仲間と「楽しい動画を撮ろうぜ」とヒソヒソとやっていたのを私は聞いてしまったから。
ゾッとした。
ホントは何もかも打ち明けるべきだ。だけど、それはできない。だって、裏側をわかってしまえば、瞬は絶対に汚れてしまった私を捨てられなくなる。
それはダメ。私は冷たい仕打ちをした彼女として捨てられなきゃいけないんだもん。
それが私の望みのはず。
だから、そうとは言わずに瞬を来させないよう「カラオケパーティー」を私が企画しちゃうしかなかった。
ううん、それだけじゃない。もっと前からだ。そもそも、10月に入って、部の会計を瞬にやらせようとしてた。もちろん、目的はハッキリしてた。だから、私が泣いて阻止した。代わりに「ハーフ&ハーフ」を完璧に守ることを持ち出された。守れなかったら「罰」の約束ができてしまった。
私はボイスレコーダーを持たされてる。お部屋にも置かされた。毎日それを聞かれて「これ、公平じゃないよね」とネチネチと交渉を持ちかけられ、罰が与えられることになってしまった。
私はオカシクなっていったんだと思う。
だからIDの時、もう抵抗する気力がなかったんだ。あの時から瞬とのメッセはすべて健から聞くしかできなくなった。
全部、私が悪いんだ。
学校での会話は全てボイスレコーダーで聞かれて、しまいには「一回私語をしたらキスね」などと言われてしまう。もちろん最初は拒絶したけど、チラチラッと瞬への新しい攻撃をほのめかされれば、私は受け入れることしか出来なかった。
リアルでも、SNSでも、瞬と連絡することは出来なくなってしまった。
その結果が、これだ。
お弁当の件を健が教えてくれたのは後の話。だから、お弁当が届かないことで最初は心配した。瞬がどうかしちゃったのかって。
自分のお昼なんてどうでも良かった。ただ純粋に心配で、健との約束を破って見に行ってしまった。
よかった。瞬はちゃんと食べてる。心から安心した。
安心の次の瞬間、私は愕然とした。
インターハイが終わったからだってことを理解したからだ。
ただそれだけの理由。
インターハイまで応援するって瞬は約束してくれた。ずっとそれを覚えていてくれた。約束の期間が過ぎたから応援は終わり。ただそれだけ。
私を捨ててもらうのは自分が元々望んだことだ。ショックを受ける資格なんて、私にはない。当たり前だ!
自分を叱りつけたけど、やっぱり私はだらしがない。この日が来るのはわかりきっていたのに、やっぱり、いざとなるとショックを受けてしまった。
身体が震えた。
世界の全てが白黒に戻ってしまった。
何を食べても味を感じない。
生きる義務として何かを口に押し込んでるけど、何を食べても同じだった。
あ、ひとつだけ味がわかるものがあった。あのサンドイッチだ。初めて瞬と一緒に食べたね。
一口齧った。
美味しかった。
でも、もう、それを一緒に齧ってくれる人はいなくなったんだって…… 永遠に私の人生から消えた。消したのは自分の意志なんだって思ったら、胃の中のものが全て逆流しちゃった。
あのサンドイッチは二度と食べられない。私は家の生ゴミ入れに捨てた。あの忌まわしいコンドームをこっそり捨てる時みたいに生ゴミの下に入れたんだ。
こっそりコンドームを捨るやり方。それは6年生のころパパに教えられた。こうやって捨てておかないと、パパがママに殺されちゃうからねって。
忌まわしい避妊具。
記憶にないコンドームが最初に現れたのはパパと温泉に行ったころ。どっちが早いのか遅いのか、もう覚えてない。どうでもいいことだ。
朝、私の部屋のゴミ箱にコンドームが捨ててあったのを見つけてしまった。
覚えているだけで二回もだ。
使用済みだった。
瞬とじゃない。愛する人と使ったのなら、そんな無造作に捨てるわけがない。大事にまとめて袋に入れる。ゴミ収集の日に自分でゴミ袋に入れて出す。こんな風にポイってゴミ箱に投げ込んだりしない。
それに、それに、それに!
瞬の温もりは、私にとって大切にしたい記憶だもん。どんなことがあっても、瞬としたことを私が忘れるわけがない。
その日は身体に瞬の温もりも、匂いも、そして心の温もりが残ってなかったんだもん。記憶はないけど、これは瞬とじゃないってハッキリしてる。
そして相手である可能性はただ一人だった。してはいけない相手だ。
パパとしちゃった悪い子は、兄ともしてしまったのだ。
悪い子だ。また汚れちゃったんだ。
怖い。
私はどんどん汚れていく。
これが瞬とだったら、どんなことをされても、きっとステキだったのに。でも、もう無理。汚れた女は瞬にふさわしくない。
せめて瞬が欲望を吐き出す場所にしてくれたのなら、それでも良い。何をされても嬉しかった。瞬がほんの少しでも喜んでくれるなら、やり捨ての女でいいんだもん。
最初はそれで上手くいくと思った。でも、だんだんと、それすらしてもらえなくなった。
バッチイもんね。私なんかじゃ、嫌だよね?
もう、世界は無意味。色も味もニオイもなくなった。ただ、何かが動いて、それぞれが欲望を満たそうとするだけのこと。
どうにもならない世界に生きてる、どうにもならないほどひどい女があたしだ。
考えてみれば献血しようとする健を止めたのだって、本気じゃなかったかもしれない。
パパから「本当は、お前のお兄ちゃんなんだぞ。だからヤルなよ」と教えられていた。献血をすれば血液型がわかってしまう。
私達の母親はO型だ。それは知ってた。健のパパはA型なのも。
子どもの頃「オレが親父と似てないのは母さんの血を引いたんだ」と言ってたのを覚えてる。
血液型を調べてはいけない。
それは直感したこと。いろいろあっても、やっぱりその部分では考えてしまう。
それなのに、心の中で「血液型で出る確率は半分だから」って言い訳もしてる私がいた。
極めつけは真実を知ってしまった健が飛び出したのを本気で追わなかったこと。脚を故障している健だ。その気になれば簡単に追いつけた。それなのに私は途中で追いかけなかった。
健のことより「これだけショックを受けたら、今日は監視されないかも」って、瞬の帰りをこっそり見に行くことしか考えられなかった。
ひどい女だ、私。
でも、悪い子には、ちゃんと罰がある。
それは子どもの頃からパパに言われてきたことだ。
ホントだった。
だって、駅に向かう道を歩いてきた瞬の横には、ちゃんと歩調を合わせて歩く、可愛いらしい子がいたんだもん。
まぶしいほどの光の中を歩いていた陽菜ちゃんは「好きな人の横を歩く可愛い彼女」の顔をしてた。純粋な好意だけが見えてる。
陽菜ちゃんは瞬を照らしてくれる光、そのものだ。楽しそうな二人の笑顔。
泣いちゃダメだよね。喜ばなきゃだよね。
だって、好きな人が、あんなに素敵な笑顔を見せているんだもん。
良かったね。
しゅん
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