第27話 嘲笑 ~男と女~
女は一度手を組んで宙を見つめた後、ぎろりと睨んだ。
「あの子がちゃんと結婚するまで、いいえ、一生涯、罪を消せないと思うのね」
「わかってるって。だから、目いっぱい、カネを差し出してるんだ」
「ふん、約束を守ってから言いなさいよ」
男は、一口、フレーバーティーを口にしてからおもむろに話を変えた。
「ところで、そろそろあの子にも彼氏くらいは出来たんじゃないのか?」
「そんなことは、お前に関係ないでしょ? ケダモノのような父親のキチクな行いのせいで一生、彼なんて出来ないかもしれないし、逆にヘンな男につかまってしまうかもしれない。そもそも心が壊れて……」
一気にそこまで喋ってから、思い直して息をひとつ。
「すでに心が壊れちゃってるんだからね。その影響がまだ見えてないだけかもしれないし、私のわからないところで、もう出ちゃってるかもしれないわ。どうにもなんないんだからね! それを何? 彼氏ができたのか、ですって!」
「わかってる。ただ、気になっただけだ。すまない」
頭を下げつつ、様子をうかがっている顔がありありだ。気に食わない。女は相手を絶望させないと気が収まらなかった。
「そうね。自分が恋人にでもなるつもりで、幼い娘にあれこれしてくれちゃったんだものね。じゃあ、ケダモノを絶望させてあげましょうか? いるわよ。彼氏。詳しくは教えないけど。それに、誰かさんのせいで身体はもうオトナだものね、大人がすることを、ちゃんとあの子もしているわ。相手も若いんだもの。きっと満足しているんじゃないかしら?」
陸上一本だった娘の下着に、時々、男の目を気にしたものが混ざっている。去年くらいからだったろうか? ひょっとしたら気付かなかっただけで、もっと前からあったのかもしれないと女は思う。
それに、たまに部屋に残るあのニオイだ。本人は気付かなくても、母親ならわかる。若い精子のニオイが部屋でする時がある。
『娘に男が出来れば、お前は絶望するしかないんでしょ! いい気味よ、このクソ男!』
歪んだ性欲を持つ男に言葉の刃をぶつけたつもりだ。
しかし、男は「ふむ」と小さく頷いて見せただけだった。気に食わない。
母親として、娘がエッチすることを快く思っているわけではないが「父親」の呪縛から逃れる第一歩であるなら目をつぶっても良いと覚悟を決めている。
そして直接確かめたわけではないが、恐らく相手は夜に忍び込んで来る隣家の長男だろうとあたりもつけてある。
弟思いの優しい子だ。幼い頃から知っている。その辺の悪い男に騙されるくらいなら百倍マシに思えた。
万が一子どもができてしまっても見逃すだけの腹は決まっていた。
早い話、娘が彼氏とエッチしても、母親として見過ごしてしまおうと決め込んでいたのだ。だからこそ、日曜日にホテルのニオイをさせて帰ってきた娘に知らぬフリができた。年末にお友達と温泉に行くと言われても見過ごせたのだ。
とは言え、けっして、それを喜んで見ているわけではない。
ただ、
だから、男にも絶望させてやりたい、不安を与えてやりたいという嗜虐の気持ちが抑えきれなかった。
「あの子、このところ日曜日はデートみたいよ。安いホテルの匂いをさせて、疲れた顔をしてかえってくるもの」
多少のハッタリはいいだろう。自分のオモチャが他人に寝取られる苦しみを味わえ。
お前が手を出した娘には、もう彼氏がいて、毎週のようにたっぷりとセックスしてるんだよと
男の顔がいくぶん歪んだ。ふん、いい気味だ。
「そうか。相手を知ってるの?」
ようやく男が緊張したらしい。少しばかり溜飲を下げて女はコーヒーカップを持ち上げる。
「言う必要があって?」
鼻で嘲笑う。
苦しめ、苦しめ、苦しめ。
『え?』
気に食わない。明らかに緊張をほどいた。歪んだ愛情を注いだ「娘」を寝取られた男が、その余裕は何なのだ?
はたと思い当たった。急に金が必要になるようになった理由にもつながる。
「まさかと思うけど、他の女でもできた?」
どんな女とつるもうが一切の感情はない。どうでも良い。誰とでも寝ろ。しかし、別の女に使うカネがあるなら娘に全て吐き出せと女は思っている。
「え? オレに? まさか! ないない。他のオンナだけは絶対ない。何度も言ってきたけど、オレの愛情は家族にだけしか向いてない。今でもそうだ。そのカタチが世間に受け入れられないとしても、オレの愛情は家族にだけしか行かないから」
「やめて。気持ち悪い。娘に何をしたのか反省はないの?」
「反省はしてるよ、もちろん」
ウソではない。男は『見つかってしまったのは反省してる。やったことに後悔はしてないよ』と言うセリフを飲み込んで答えているだけだ。
「とにかく、約束は守りなさいよ。これ以上、約束違反が続くなら考えがあるわ。お金なんかよりも、お前に惨めな思いをさせて復讐する方が優先だってことをお忘れなく」
「わかった。わかったって。オレとしても、そんなことは御免だ。ただ、会社の方がヤバいのは本当なんだ。もう少しだけ待ってくれ」
「いつまでも甘い顔をしているとは思わないでね」
「いや、わかってるって。ただ、しばらくの間は送れる金が少なくなる。会社の業績が立て直せたら戻せるから」
「ホントに会社のせいなのかしら?」
「信じてくれよ。愛する娘のために頑張ってるんだからな」
「口では何とでも言えますけどね。でも『愛する娘』だとかいうのはやめてくれない? 気持ち悪いわ」
「スマン、スマン。逆に、もし何かあったらいつでも相談してくれ。できる限りのことはするからな」
「そんなことより、まずは約束を守りなさいよ」
女は「ケダモノ」と吐き捨てて、店を出て行った。
残されたのは「嘲笑」だけだった。
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