第28話 終わりを待ちかねて
三年生になっていた。
一学期の中間試験がもうすぐだ。終われば、すぐにインターハイ予選となる。瞬に限らず部活と試験勉強の両立に追われていた。
たまたま会った天音と部室へ向かう。気まずい。天音もおそらくそうなんだろう。足取りは普通だ。
かつてのように、膝の悪い瞬に合わせて歩く彼女の姿はなくなっていた。
内心でふぅ〜っとため息をつく瞬。
『やっと、約束が終わる』
インターハイを目指す天音を応援すると約束した。そこまでいけば約束は果たしたことになるはずだ。
『まだ、動けない。あと少しだ。インターハイ予選が終われば、後は自由になれるんだ』
既に瞬の中で天音とは終わっている。しかし、形の上ではまだ付き合っていることになっている相手だ。こんな時に誘うのは義務だろうとも思う。
「テストが終わった日なんだけど」
部室はグラウンドの外れにある。久しぶりに二人で歩く。校舎から3分ほどの道のり。付き合い始めてしばらくの頃、瞬はこの時間が好きだったのを思いだしている。「彼女と二人っきりになれる時間」だったから。
『今は、すっかり変わっちまったけどな』
本当に久しぶりに、精一杯の忍耐力を振り絞って天音をデートに誘った。といってもコーチングに目一杯でバイトをしていない。講習会の費用のせいで万年金欠だ。デートと言っても帰りにカフェに寄ろうというだけの誘いだ。
「なあに? え? テストが終わった日? えっと、その時って、みんなでテストの打ち上げにカラオケに行こうって話になってるんだけど。瞬も来る?」
軽やかな笑顔が小さく首を傾けながら返してきた。どんな男でも心を奪われる偽りの笑顔だ。
こんな顔を見せるようになったのはいつからだったか。
『あの笑顔が好きだったんだけどな』
天音から本当の笑顔が消えていた。少なくとも瞬に見せることはなくなった。
代わりに、最近の天音はさらにコケティッシュな美しさに磨きがかかっている。少女の領域を超えて「オンナ」としての美しさを獲得してしまった。
不幸なことに瞬はその理由を知っていると思っている。
瞬は顔に笑顔の仮面を貼り付けようと努力していた。
『やっぱりね……』
笑顔だ。笑顔だぞ。
「あ、いや。カラオケか。ごめん、オレ苦手なんだよ」
笑顔を貼り付けるんだ。
「そっか~ そうだよね。瞬ってばカラオケ苦手だったね。ごめん。今度から違うのにするね」
天音の笑顔。
とてもではないが騙しているように見えないのは、ある意味でスゴいと思ってしまう。けれども、その笑顔には、かつて込められていた光がないこともハッキリしている。
『オレがカラオケ嫌いなの知ってたよね? そして、行くのはカラオケじゃないよね?』
……そして「みんな」とではないのだろう。
心に浮かぶ言葉は永久に飲み込む。造作もない。いつものことだ。不満を顔に出してはいけない。少なくとも今はダメだ。自分をコントロールしろと言い聞かせる。
「あ、いや、良いんだ。オレのワガママだし」
「それよりもさ、中間が終わったらインターハイ予選はすぐだよ? しっかりメニューをお願いね」
表情は一変して真剣だ。
「あぁ、もちろんだよ。ちゃんと考えてあるから」
「うん、期待してる、だって、アマネが頼りにしてる自慢のカレだからね」
ポンと二の腕を軽く叩いて「先に行くね」と口元だけの笑みを浮かべると、止める間もなく駆けだしてしまった。
妖精のように軽やかな動きを見送る。膝の悪い瞬が追いかけるのは無理だ。それに、元々、追いかけるべきではないことも知っている。
『この後ろ姿を何度見てきたんだろう』
瞬は諦めたような笑みを浮かべてから、脚を引きずりながら部室へと歩き始めた。一緒に歩かないなら、あんなに必死になって速く歩く必要はない。
『むしろ、ゆっくり行った方が都合が良いんだろ?』
ふぅ~吐息を吐き降ろす。
試験前の最後の練習日だ。
ほとんどの選手はグラウンドに出てアップを始めている時間だ。野球部が早くも勢揃いしてランニングをしている。それを横目にゆっくりと部室に向かう。
天音はエースの特権として。
瞬は、誰にも相手にされてない「記録員」の特権として……誰にも気にされてないゆえの特権だが……
みんなよりも遅れて部室に向かっているのだ。
「もうすぐ、インターハイ予選か。長かったなぁ」
遠くに見える部室をチラリと見てから足下に視線を移しながら、自然と声が出てしまう。
「あと二週間。それで全てが終わるんだ。あと少し。あと少しだからな」
プレハブの二階建ての部室棟。階段下にたどり着いた。
『!』
二階の廊下を歩く二人のエースの足音に即座に反応した。建物の陰に入ってやり過ごす。楽しそうな笑みを浮かべている二階堂。天音の顔は見えなかったが、おおかたニヤけているのだろう。
健の手が伸びて天音の手を握った。
次の瞬間、パッと離れたシーンを目撃する。
今さら心は動かない。
天音と二階堂。
近頃は、専ら健の方が仲の良さをますます隠さなくなっている。「お似合いのカップル」と言う声が出始めているのを瞬は知っている。
いや、天音の横にいる健の目は、挑むような光をたたえているのだから、おそらくは見せつけているつもりなのだろう。もちろん相手にしてない。瞬にとってせめてもの良心として関心を持つのはタイムだけなのだ。
「まあ、タイムの方は二人とも、ようやく上がってきた感じだけどな」
当然だとも思うし、こんなものかとも思うう。
試験中でも瞬は二人のエースにだけ特別なコーチングをしてきたのだ。それこそ自分の勉強時間を削って。最小限の練習時間で調子を維持するメニューを考えてきた。
反面、自分と会わない理由であったはずの「自主トレーニング」を、もしも本当に半分でもやっていれば、と思ってしまう。
予定に入れ込んであったトレーニングの代わりに、ベッドでイチャついていたからこその、今のタイムなのだろうと瞬は思ってしまい、そんな自分に気がついて思わず冷笑を浮かべてしまった。この笑顔は自分の小ささを笑うだけのものだ。
自虐の冷笑とでも言おうか。
この笑いを浮かべるのも、もう何度目だっただろうかと思いながら、フッと「あと少しだから」と声に出してしまった瞬である。
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