最 終 話 逢ひみての

 瞬が脚を失うことなく退院出来た。


 ほんとうに良かった。でも、また迷惑を掛けてしまった。ごめんなさい。


 家族に迎えられて病院から出てくるところを隠れて見てた。瞬が周りを見回したのは、私を探してくれたと思って良いよね?


 ありがとう。最後の最後まで優しい人。あなたに会えたおかげで、今度こそ決心がついたよ。


 もしも私に人生と言えるものがあるなら、あなたと過ごした、あの時間だけ。ホンの短い時間。でも、最高だった。


 やっぱり瞬は素敵だよ。


 だから、今度は間違えない。瞬の入院中に、お家を少しずつ片付けた。救急隊が入って来たときに壊したドアは、いつの間にか直されてた。退院の時、警察の人が新しいドアのカギを渡してくれた。


 私の服も靴もユニフォームもカップも、ベッドだって。何もかも捨てた。スマホだけ、まだ警察にあるけど、それは、もう仕方ない。


 この世界に私が存在した痕跡は全部消さなきゃならない。

 

 カウンセラーさんとの面談から帰って来て、最後の点検。


 うん。


 思い出も何もかも片付け終わった。子どもの頃に刻んだ柱の傷も削り取ったし、壁に飾ってあった賞状も写真も全部、捨ててある。


 そして小さなカバンを持った。私にふさわしく「旅立ち」は夜。


 このまま遠くの小さな街へ行って、誰にも私だとは知られずに消える。


 だって瞬に教えてしまったから。


 瞬は優しい人だ。絶対に私を気にしちゃう。生きていても、そして死んでもダメ。ずっと私を背負っちゃうよ。


 それじゃ、私は彼を閉じ込める、狭くて汚い「かご」になってしまうから……


 まだ間に合う。今なら消えられる。


 せっかく救ってもらった命だけど、だからこそ瞬を閉じ込めたくない。


 それが私の出した、だ。


 もう寂しくないよ。


 あの時、瞬が叫んでくれた記憶があるもん。


 腕を握ってくれたもん。


 助けてって一言だけで、どんなヒーローよりもカッコ良く飛び込んできてくれたもん。


 微かに聞こえてたよ。愛してるって言ってくれたね。


 嬉しかった。


 私の人生は、あれが最高の瞬間だった。


 だから、もう大丈夫。寂しくなんかない。


 そして、瞬には陽菜ちゃんがいるわ。


 あんなに良い子が瞬のことを好きになってくれた。


 あとは私が消えれば良いよね? 


 そうしたら、瞬は幸せになれる。太陽の下で育ってきた女の子が瞬にはふさわしいよ。私がいたら瞬をとじこめてしまう。


 玄関を出る。


 あのお別れをした日。瞬がここを出ていく時のドアが閉まった瞬間を思い出してる私。


 今、何してる、瞬?


 家族とご飯かな?

 

 明日の朝、きっと迎えに来てくれる人に向けて、一枚のカードをドアの前に置いた。


 さよなら としか書けなかった、


「あなたに会えて幸せでした。ありがとう」


 そんな言葉は心の中だけ。


 一万回「愛してる」って書きたいけれど、できる限り早く瞬の心から消えなくっちゃいけないんだから。


 さよなら、瞬、私の夢、私の希望。


 月灯りに黒いシルエットとなったお家を見上げた。


 嫌なこともたくさんあったけど、瞬と出会えたお家。


 最後に抱きしめてもらえたお家。


 さよなら!


「おい」


 ウソッ 振り向かなくてもわかっちゃうよ。


 なんでいるの! なんでわかっちゃったの?


 車椅子がゆっくりと玄関に近づいてきた。


「逃げるのか?」

「違うの! これは違うの!」


 ダメ、とにかく逃げなきゃ。


 車椅子では届かない角度で逃げようとした私に、瞬が右足だけで飛びついてきた。


 ドサッと倒れる二人。


 倒れる瞬間、私をかばってくれてる。


 傷口!


 私が悲鳴を上げたのは瞬の左脚のこと。よかった。ぶつけてないよね?


 狼狽するおでこにツンと優しく人差し指。


「天才ガードのマン・ツー・マンディフェンスを抜けると思ったか? 元陸上部、甘過ぎだぞ」


 クスクスと笑って見せる瞬。


 なんなの? 夜だよ? 月灯りだけだよ? なんで、そんなにまぶしい笑顔なの?


「瞬、ごめん、見逃して!」

「見逃すと思う?」


 ダメ、だよね?


「当たり前だ。天音、ひどいぞ」

「ごめんなさい」

 

 そうだ。私はひどい。私のせいで瞬を辛くさせた。大ケガまでさせてしまった。


 私なんかよりももっと辛かったよね。


「ごめんなさい、なんて当たり前の言葉を聞きたいわけじゃない。オレがほしいのは天音の本気の声だ」

「本気の声? お詫びをすれば良いの? どうしたらいいの? 許してもらえるなら、なんでもするよ?」


 本気だ。命もいらない。だって瞬に助けてもらった命だもん。全部、上げちゃう。惜しいモノなんて何もない。私が辛くなることを言って? 辛ければ辛いほど良いの! 私への罰なら、うーんと辛いことが良い。


 それをしてから消えるね。


「そっか」


 瞬は、右の頬だけで小さく笑うと「覚えてるか?」と言った。


「この間来た時に『後で必ずハイって返事をするから』って言っておきながら、帰り際に約束を破ってくれたよな」


 覚えてる。


 瞬がお別れをしようとしたのが怖くて、ギリギリで逃げてしまった。最後の最後で怖くて耐えられなかったヤツだ。


 私は頷いた。


「じゃあ、あの約束を守ってくれ。1回だけハイと言ってほしい」


 瞬の目が怖いほど真剣だった。


「良いよ。なんでもハイって言えるよ。瞬が言うんだもん。ひとつでも、ふたつでも、いくらでも」

「そうか…… おっと、こんな場所でってのもあれかな。どう? 入れてくれる?」


 もう二度と入らないと決めたお家。でも、瞬が一緒なら。


 立ち上がろうとする瞬を支えて玄関に入った。瞬はリュックを持ってる。


 リビングの床に座って、私たちは向き合った。飲み物を出したいけど、本当に何もない。


「ね、さっきのことだけど。私は何をすれば良いの?」


 無言で引っ張り寄せられる。左膝に触れないことだけが私の意識にあった。それ以外は逆らわない。瞬なら私に何をしても良いんだもん。このまま首を絞められてもいいくらいだよ。


 腕の中。懐かしい匂い。世界で一番好きな匂い。でも、ダメ、この居心地を知っちゃったら、ダメになっちゃう。勇気が出せなくなっちゃうよ。


「ちゃんとハイって言ってくれるんだよね?」

「うん。何でもするよ」

「じゃあ、質問な」

「うん」

「ちょっと長いぞ」

「うん」


 瞬の腕に力がこもった。


「松永天音はすこやかなる時もやまいの時も、喜びのときも悲しみのときも、富める時も貧しき時も、大竹瞬を愛し、生涯、真心を尽くし、人生の終わりまで一緒に過ごすと誓いますか?」

「ヤダ、それじゃ、結婚式の神父さんの誓いのこと、ば…… え?」

「ほら、返事は?」

「でも、瞬、ダメ、それ、ダメだよ」


 私は顔を激しく振る。嬉しいよ? 嬉しくないわけないじゃん。でもそれだけはダメ。瞬をに閉じ込めちゃうからダメ!


「天音が本気でオレを愛してないなら、この質問は無しにするけど」

「愛してる、愛してるよ!」


 それだけはウソをつけない。愛してない、なんてウソは絶対に言えない。


「でもダメだよ。それだけはダメ。私は瞬にふさわしくない! 汚れてるから!」

「言ったよな? オレは過去のことなんてどうでも良い。今の君しか見てないんだって。オレが望むことはただ一つだ」

「瞬が、望むこと?」

「あぁ、そうだ」

「何?」


 聞いてみたい。


「たとえ世界の全てが敵になっても、君だけは味方でいるって約束してくれ」


 私は約束しようとした。でも、ためらってしまう。だって……


「瞬? ごめん」

「ん?」

「そんな約束、とっくにしてるっていうか当たり前だよ? だって私は瞬の一部分みたいなモノだもん。瞬の味方以外になれない。でも、大切にされる資格なんてないの。だから…… このまま許して」


 消えたい。


 そこで一つ、深く息を吸った瞬。


「あの時、オレは左脚がなくなるかもしれなかった」

「ごめんなさい」

「それが大変なコトだってわかってる? それとも左脚ぐらい、小さなコトだって思ってる?」

「そんなこと考えるはずないよ! 瞬、ひどいよ! 身体の一部がなくなるなんて、絶対にたいへんなコトに決まってるじゃん!」

「天音、お前はオレの一部なんだよな?」

「うん」


 あ!


 言いたいことが読めてしまった……


 だから、頭の良い彼氏を持っちゃうと困る。こういう時だって、いつだって、私をくれちゃうんだもん。


「オレの一部が、のって、脚がなくなるのと同じ、いやもっともっと重大なことだけど、わかるか?」


 むぅ~ 私は逃げる道を失った。

 

 私が右手を挙げた瞬間、その手にハンカチが渡されてる。


「私のは、ほんと頭が良過ぎちゃうんだからぁ」


 こっそり涙を拭いたかったのに。


「あきらめろ。頭の良い彼氏を持ってしまった


 むぅ~ 瞬なんて、瞬なんて、瞬なんて!


 だ~いスキなんだから!


 熱烈なキス。幸せなキス。世界中でこの人だけ!


 私の全てを預けてしまえる人。


 いいんだよね? 私、ここにいて、良いんだよね?


 瞬の優しい手がゆっくりと背中を撫でてくれてる。


 温かかった。


「今日、泊まって良いよな?」

「家の中、な~んにもないけど」


 お家は大丈夫なのとは聞かない。瞬だもん、きっと計算してあるはずだから。


「じゃあ、コイツから始めようぜ」


 私を抱いたまま手探り。後ろのリュックから出てきたのは見慣れたバッグ。


 お弁当入れ。


「それって!」

「ご注文のタコさんウィンナーも入れてあるからな」


 あ!


 瞬は、ちゃんと覚えてくれてる。


 涙の頬にキスしてくれてから、イタズラっぽい顔になった。


 何?


「唐揚げは美紅が作ったから、ちょい焦げ気味だ。卵焼きは母さんだ。元祖の味を覚えてちょうだい、だってさ。あ、これ」


 瞬が差し出してくれたのは、赤い、塗りのお箸だった。


「父さんは料理がダメなんで、オレのとセットで買ってきてくれたよ。ついでに言うと、ここまで乗せてきてくれたのも父さんだ。だから、ほら、たべよう」


 バッグを受け取り掛けて、そこで私は「でも」と声を出してしまった。


「陽菜ちゃんは?」

「ああ、あの子はオレがいなくても幸せになれる」

「私だって、大丈夫なのに」

「う~ん、私だってって言われてもなぁ」


 瞬は困った顔をすると、抱きしめてきた。


「オレはがいないと幸せになれないんで」


 チュッ


 瞬、ずるい!

 

 私だって、あなたがいないと幸せになれないんだよ。


 瞬! 愛してる! しゅん!




――― fin ―――


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