第49話 破! 〜瞬〜
美術館のある中央公園を突っ切れば、タクシーを使うよりも早く着く。
走れ、走れ、走れ!
左膝の痛み? 感じない! 「この膝はオレの膝じゃない」作戦を実行中。
左膝よ、もってくれ! 二度と歩けなくなっても良い!
何年ぶりに走ったんだ。オレってこんなに走れなかったのか。息が上がる。
だが走る。オレは走れる。だってバスケの天才、大竹瞬なんだから!
ガードはいついかなる時でも状況判断を冷静に。天音が何をしたのか、オレにはわかる。あの時の「笑顔」と、一言の「助けて」だ。
「間に合ってくれ」
限界まで走りながらも電話を優先。住所とオレの名前を言うのがやっと。でも、無理矢理、状況も話してる。
息がヤバい。
玄関が閉まっているはずだとも付け加える。
チャイムを押す
出ない。やっぱりカギもかかってる。
ガチャ。
開いた。
「二階堂! 入るぞ!」
叫ぶだけ叫んで靴のまま駆け上る。膝? そんなもん知らん。
一緒に建った建売住宅なら隣とほぼ同じ構造だ。見当をつけてヤツの部屋。
「な、な、何だ、てめぇ!」
あわてる二階堂を無視。ベッドを踏みつけてベランダへ。隣まで40センチ。
跳んだ!
着地の時にヘンな音がした。脚がもつれて立てない。だか、そんなこと、かまってる余裕なんてない。
窓! カギがかかってる。カーテンで中の様子がわからない。
「割るぞ!」
拳でガラスをたたき割つて鍵を外す。
「天音!」
足がうまく動かない。カーテンに巻き付くように飛び込んだ。
予想通り。
血の海だった。
ベッドに横たわっている天音。あの時のオフショルダーの白い部屋着が真っ赤に染まってる。
血が流れ出てる左手を全力で押さえる。
「天音!」
瞼がゆっくりと開いてくる。真っ白な顔色。
包丁を握った右手のちょっと先にスマホが落ちていた。最後の最後でオレに送った「助けて」が天音の本心だったんだ。
あの時の笑顔が教えてくれてたんだよ。
天音の心はずっとオレにあったんだってことを。
だから、最後の最後でオレに助けを求めてくれた。
それが天音のホントの気持ちだ。
オレへの半年間も、きっと理由があったんだ。
何で、こんなことに気付かなかった?
あの日の天音の笑顔が全てだったのに!
全身でヒントをくれたのに!
なんで、オレは顔を背けた?
なんでちゃんと聞かなかった?
絶対に何か事情があったんだろ?
オレは一度も天音に面と向かって聞かなかった。逃げてたんだ。
怖かったんだ。そのくせ、傷ついたふりをしてきた。
卑怯なオレを許してくれ。
「天音ぇえ!」
焦点がぼんやり、オレの顔。
「しゅん…… えへへ。会え…… ごめん、ね」
声を振りしぼって、目を閉じた天音。
オレが来るまで待っていてくれたんだ。オレが、あと一言だけでも聞いていれば、こんなことにはならなかったのに!
何をやってたんだよ、オレは。
胸にこみ上げてくるのは、初めて告白してくれた、あのときの顔。
美人だけど、お人よしで、どこかボンコツなオレの彼女。
「天音! 好きだ! 君が、好きなんだ! 天音! 愛してる!」
透き通るような笑顔を浮かべている。押さえる手から滴り落ちる命が止まらない。
救急車の音が止まった。
「天音! 生きろ! オレのためだぞ! オレのために生きてくれ!」
聞こえたのだろうか? ふわっと笑った気がした。
オレにできるのは、ただ、傷口を押さえること。
温かな命がヌルヌルとこぼれ落ちていく。
救急隊が玄関をたたき壊して入って来た。止血ベルトを巻いて天音を担架に乗せた。
立ち上がろうとした時、自分の脚が動かないことに気が付いた。
救急隊が「もう大丈夫だからね」とオレを担架に乗せようとしている。
「え? オレは」
その時、初めて気が付いた。左膝から飛び出している白いものが骨であることを。
そこから後は、ボンヤリしていて、前後もわからなくなってた。ただ、手術室に運び込まれた時に「天音は!」と叫んで、横の看護師さんが「あの女の子は助かるわよ。あなたも頑張りなさい」って励ましてくれたのだけが意識にあったんだ。
目覚めてみたら家族が全員揃ってた。
母さんに泣かれた。目を真っ赤にした妹の美紅にバカって言われた。
それから父さんの合図で母さんと美紅は部屋を出ていった。
父さんは言葉を噛み締めるように、ゆっくりと教えてくれた。
天音の母親は傷害の現行犯で逮捕された。果物ナイフだとは言え、何度も何度も突き刺している。殺人未遂に切り替わるかもしれない。
そこから父さんの口は重くなった。ハッキリとは分からないんだけどね、としきりに言いながらわかったのはこんなこと。
被害者の男は天音の父親で児童ポルノ製造を始めとする性犯罪者して逮捕された。未成年者に対する強制性交等罪も立件の視野に入っているのだとほのめかした。
天音の供述で二階堂健も逮捕された。こいつも未成年者に対する強制性交等罪らしい。証拠は本人のスマホに残っていた動画だった。二階堂は既に18歳となっていた。大人として裁かれることになるわけだ。
親子揃って性犯罪者というわけだ。特に父親は「悪質過ぎて十年では出られない」と警察の人が言ったらしい。
父さんは、重い口で説明してくれたんだ。
「瞬にはショックな話だろうが、もしも聞かなかったら、生涯、後悔するだろうから」
父さんはオレを一人の男として認めてくれたんだと思う。
そこから一転した口調で「お母さんには後で謝っておけよ。二日間、寝てなかったからな」と右の頬だけで笑顔を見せた。
そんな風に言う父さんこそ、目が落ちくぼんでる。
ゴメン。
オレが頭を下げたことに気付かないふりをしながら、父さんは長い沈黙を保った後でおもむろに聞いてきた。
「お前のことだ。何か考えてるんだろ?」
「うん」
「これは難しい話だぞ?」
「うん」
「そうか」
父さんはゆっくりと目を一度閉じてから、オレを見つめてきたんだ。
「逃げてしまう方が楽だぞ? 誰もお前を非難したりしない」
「ごめん。それだけはできないよ」
よくわからないけど、天音をこのままにしてはダメだということだけはわかる。
それなら、オレがすべきは一つだ。だが、ホントにそれでいいんだろうか? また、悪い結果に……
「お父さん達は瞬が決めたことを応援するぞ。迷うなら、お前が信じた通りにしてみろ」
え?
父さんって、こんなに頼りになる感じだったっけ?
オレが何かを言う前に「さ、お母さん達も話したいだろ」と深い笑顔を作った。
父さんは母さんと妹の美紅を部屋に入れて、眠っている間のことを話してくれたんだ。
警察と児相のカウンセラーさんに話した後で天音はオレに「ごめんなさい」を言うのだと言い張ったらしい。
車イスを看護師さんに押されて入ってきた天音は泣きながら謝り続けた。父さんと母さんは、それを穏やかに収めようとした。妹の美紅だけが反発していたそうだ。
美紅は天音とのことをずっと反対していた。この半年間、オレと顔を合わせるたびに「早く分かれろ」とドスの利いた声を出してたもんな。
天音が頭を下げ続けて動かないのを美紅が無理やり連れ出した。しばらく二人だけで話していたと母さんが教えてくれた。
天音が、そこでなんと言ったのか、美紅は何を言ったのか。教えてくれなかった。ただ、父さんと母さんが帰った後で、こっそり戻ってきた美紅は話してくれた。
「すっごく嫌な人だと思ってた」
どうやら、天音を許してくれたらしい。
良かった。
一つ面白かったのは、入院してみると、オレの方が重症扱いだったってこと。まったくのお笑いだったよ。
絶対安静を言い渡されたのは敗血症の恐れがあったからだ。
もしも気配が見えたら左脚は根本で切断だからねと言われてしまった。
応急的に骨を戻す手術をした。このままなんとか
強制的に麻酔が入れられて一日の大半を眠って過ごす強制睡眠法と強力な抗生剤を始めとする薬がオレに与えられた。
天音が先に退院した。オレが起きてられる短い時間、ずっと横にいてくれた。事情聴取の時以外、ずっとだ。
毎日だった。
一方で、第一発見者兼関係者としてカウンセラーさんに特別に教えてもらった。「彼女はこの半年間の細かい記憶をあちこち喪っている」と。
振り返るだけでも苦痛を伴うらしく警察の事情聴取もカウンセラーさんを交えて、時間をかけているらしい。
実際、オレと話すのも辛そうだった。目を合わせてくれない。特に、オレが何かを話そうとすると、涙を流して、ただ頭を振るだけになってしまう。
オレはただ聞き役になるしかなかった。
母さんは、天音が来ると何かと理由をつけて席を外してくれた。
起きていられる短い時間も、二人で黙っている時間が大半だった。でも、ポツリ、ポツリと話してくれたこともある。おそらく、天音は全てを懺悔したいのだと受け止めた。
ここからは、オレの憶測も混じってる。
恋人シェアとかいう奇天烈なアイディアを受け入れてしまった合宿最終日の夜。
それは完全に天音の浮気だと言っても良いだろう。
それは天音の過ちかもしれない。
ところが、その後は二階堂に脅されたカタチだ。しかも、最初のネタはオレが部室で抱きしめた時のものだった。
オレの考えなしの行動が躓きの始めにあっただなんて。
そして、天音が言っていた「絶対にしてはいけない相手」が父親であったこと。その父親は包丁を持ちだして「会えないなら自殺する」と脅してきた。止めるため、やむなく温泉に行ったこと。
ただ、そこで何をされたか詳しく喋ろうとする天音を、その時だけは遮るしかなかった。
しかし、天音はホテルに行った回数も日付も手帳を見ながら話してくれた。この手帳だけは隠してあったからと片頬で笑ったのが哀しかった。
隠す……
二階堂は、すさまじいほどの拘束を見せたらしい。まさに異常。スマホの位置情報も、ボイスレコーダーもだ。初期の頃は、ホンのちょっとしたオレとの挨拶に至るまで、全てを記録して突きつけられたそうだ。
毎日、何時間かけていたのか。
そして、オレを陥れるための数々の悪だくみがあったんだ。
クリスマスの時は、二階堂の元中の知り合いが、偶然を装って階段からオレを突き落とす計画だったらしい。普通ならケガをする高さではなくても、膝を踏ん張れないオレに対しては強烈なダメージになったハズだ。そしてそれを動画で撮ろうと狙っていた。もしも「カラオケパーティー」でなかったら、オレは参加していたはずだ。そこで、確実に落とされていた。
もう一つ。春の大会の下着事件。あれはオレの管理する共有バッグから発見されるはずだった。天音が阻止してくれた。
他にも細かな嫌がらせの数々があったんだ。しかし、全てを天音が阻止してくれていた。オレの知らないところでだ。
天音がいなければ間違いなく引っかかっていたに違いない。
オレは天音にずっと守られていたんだ。
「ありがとう」
オレは頭を下げっぱなし。
「違うよ。ぜんぶ天音がいけなかったんだもん」
天音も頭を下げっぱなしだった。
そして、やがてオレが病原菌に勝ったころ、天音の長い事情聴取が終わった。
戻した骨は落ち着いてくれた。とりあえず来週の退院が決まったんだ。
それを告げた時、初めて天音がひっそりとした笑顔を見せたんだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最終話のタイトルは「逢ひ見ての」です。
ファンの方はあの作品を
思い出されるかもしれませんが
「それは、それ」と言うことでお願いします
8月中旬から連載してきましたが
フィナーレをお楽しみいただければと存じます。
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