第21話 受諾 〜天音〜
「お前が嫌なことはしないよ。今までも、そしてこれからも」
「だけど、キスはだめっんっ~」
再び唇が重ねられてしまった。背中を撫で下ろす手が一瞬だけ別の動きをした。
プチ
微かな音を立てて後ろのホックが外されてしまった。
「んっ~ んっ、んっ」
ダメと言いかけた瞬間、舌がチロッと入って来た。キュッと抱きしめる力が強くなったせいか、思わず舌を迎えてしまった。
重なり合う舌と舌。邪魔な布地がなくなって、裸の背中がゆっくりと撫で下ろされている。
チュル
やっと唇が離れた。
「イヤだったら、突き飛ばして良いよ」
「ズルイよ、そんな言い方」
ダメだけど、だからと言って健を突き飛ばすなんてできない。
「大丈夫。誰にも言わない。ほら、誰も知らなければ、大竹を裏切ったことにならないだろ」
「そんなこと!」
「あるんだよ。だって、オレは、半分だけ優しさをもらえばいいから。それとも、オレと天音の仲って、それっぽっちもダメなことか?」
「だけど……」
頭の中が混乱している。健とキスしてしまった。正直に言えば、健に抱きしめられて、キスされて舌を重ねても嫌な気持ちが湧いてこないのだ。いや、ホックが外された背中を撫でられているのに、涌き起こるのは
自分は健を受け入れてしまったのだろうか?
『だけど瞬を裏切っちゃうのはダメだよ』
申し訳なさは、もちろんある。それなのに「それと、これとは別」だから困ってる。
葛藤を見抜いたように健は「
「半分?」
「そうだよ。彼氏と同じだけオレと過ごせって言うのは無理だろ? だから、ほら、こうやって誰もいない時に抱きしめられれば満足するから」
「え~ それって」
ダメなことじゃないのか?
「今だって、抱きしめてる。でも嫌な気持ちになってないだろ。違うか? よく考えてみろよ。大切なのは天音の気持ちじゃないのか? 大竹に悪いとかなんとかよりも、お前の気持ちの問題だろ?」
天音は心の中で悲鳴を上げている。「そんな風に言われると困る」と思った。確かに逃げ出したい気持ちはない、嫌な気持ちにもなってない。ただ、ひたすらに「困る」と思っただけなのだ。
「こうして、抱きしめて安心させてあげたいだけだ。ただそれだけなんだ。そして、今までだって抱きしめてきた。今まで通りだ。それも嫌かな?」
いいんだろうか? だけど「今まで通り」というのならば、良い気がする。
「頼むよ。優しさを半分の約束だろ? 大竹を裏切らなくて良いんだ。こうして、抱きしめるのだって今まで通りだ」
実はその時、半ば覚悟していた。背中を撫でる手は前に回ってくるのだろうと。
男は胸に触れたがるものなのだ。それを天音は身に染みて知っている。それなのに背中を撫でる手は「前」に回ってこない。
『やっぱり健は、家族なのかなぁ』
家族への思い。だからこそ、そこに不思議な信頼が生まれてしまった。
「まあ、ハグだけなら……」
「サンキュ」
「なんか、軽~い」
「ははは。だって、ようやくオレの気持ちを受け入れてもらえたんだ。喜ばないはずがないだろ」
「言っておくけど、瞬が一番だからね?」
それだけは曲げられない。自分が好きなのは瞬だけなのだ。
「当たり前だ。天音を困らせるつもりなんてないんだから。ただ、半分だけ優しくしてもらえるってだけで、天にも昇る感じだよ」
「なんか、オーバーな、んっ、んっ」
ハア、ハァ、ハァ、ハァ
「だけど、キスはダメだよぉ」
小さな声で抗議する。けれども、嫌がってない分だけ抗議には説得力がない。
むしろ照れ隠しに近かった。
「ごめんごめん。だけど、大竹がいないときだけだから、ね? ほら、こうして」
「んっ~」
ヌルッと舌が入って来た。反射的に絡めてしまう。ずっと前から仕込まれてきたせいだろう。身体に刻まれてしまった反射だ。
キスをしてしまった以上「それ」は半ば反射的なモノ。絡めてしまう舌と舌から官能の気配を感じてしまう。ただでさえ、さっきから撫でられている手からゾクゾクとした感覚が生まれてしまっている。
それは天音の身体に刻み込まれた「オンナ」としての反応だった。
天音が覚えているよりも、それはずっと強かった。
身体に教え込まれてしまったこと。もちろん、それを後悔する余裕など健は与えてくれない。
「天音は安心して良いんだ。何も変わらないから」
囁き声だ。しかし、そこに必死さが籠もっている。
「ホントに?」
「大竹が彼氏だってことはわかってる。死ぬほどわかってるから、天音は心配しなくて良い。代わりに大竹が苦手なことを引き受けるんで、安心して何でも言ってくれ」
「う~ん。でも、いいのかなぁ」
「大丈夫だ。決して大竹を裏切るようなマネはさせない。だから
「だけど、キスはダメな気がするんだけどぉ」
「え?」
キスは裏切りじゃないかと普通に思ってしまう。当たり前の話だ。
しかし、健の反応と言えば、心から驚いた顔をしている。
「今までだって、一緒にケーキを食べたりしたじゃん? 抱きしめてきただろ? だけど、それって裏切ってたと思う?」
「それと、これとは……」
「まあ、天音が気になるんだったら、なるべくしないようにするよ。だから、どう? 半分だけ優しくしてくれる?」
「うん。それなら、いいかなぁ」
天音は、その言葉を「キスはしない」と受けとめた。けれども「なるべく」に頷けば「する」を受け入れたのと同じことになる。
同時に、天音の心は別の安心をしていたのも事実だ。
汚れた自分を必要としてくれる、幼なじみの健。こうしていれば、弟を亡くした傷を埋めてあげられるかも。そうしたら、瞬に辛く当たらなくなるかもしれない。
それは自分への言い訳だった。
天音は後悔をし続ける未来を選んでしまった。
後々、休みの日に限定して健とデートを重ねることになる。その度にチクッと胸が痛む。それは本当のことだ。
でも「シェア」してるだけだと自分に言い聞かせるしかない。自分の気持ちは瞬だけにあるんだから、これは大丈夫なことなのだと。
『だって、健だって、私は瞬の彼女だってハッキリと言ってくれてるし』
背中を撫でている手は、やがて動く範囲を広げていく。身体のあちこちに「手」を感じながら、とろけてしまった頭に健の言葉が注がれていく。
「瞬とは一緒に勉強したり、トレーニングするんだろ? OK。じゃあ、真面目な部分は瞬の独占だ。じゃあ、楽しいこと、不真面目なことはオレとしよう。だって勉強ができて、トレーニングの面倒が見られるのは瞬だけができることだからね」
「メッセのやりとりは瞬が優先だよ。そうだな、学校が終わるのは午後三時。そこから寝るまでの時間を半分こしよう。もちろん、瞬が優先だ。オレは後半の半分で良いよ。キッチリ半分こじゃなくても良いさ。そうだね、8時までの五時間は瞬で、そこから寝るまではオレにしてくれない? 12時に寝るとしたら、大竹の方が長いけど、そのくらい良いから、さ。だって大竹が優先だ」
健の話を聞きながら、天音は疼きの感覚の中で堪えるしかなかったのだ。
翌日、そして、何日経ってからでも「あの晩の自分は、どうかしていたんだ」と後悔することになる天音だったが、温かい腕の中から逃れることはできなかったのだ。
その晩、瞬から送られていたメッセを見ることはできなかった。
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