第16話 世界が全て敵になっても
病院のベッドにいた。
これは、あの事故から最初に目を覚した時だ。
オレが起きるのを待っていたかのように二人連れの警察官がいた。まだ、自分の手術の結果も聞いてなかったんだっけ。
若い方の警察官は、首から提げた画板に載せた書類に何かを必死に書き取っている。
若い方が必死に書き取っている間に、年配の警察官は、やおら頭が説教モードになったらしい。
「君が、ふざけて飛び出そうと、善意で飛び出そうと、わからんけどね。猛スピードで下ってきた自転車の前に飛び出したら危ないことくらいはわかるよね?」
「じゃあ、どうしたらよかったんですか!」
「どうしたらよかったかと言うのは後の話だろ。しちゃいけないことをするのはダメだと思わないか?」
「助けるためには仕方がなかったんですよ」
「だけど、しちゃダメだってことは考えないの?」
「だ、か、ら! 助けるために、とっさにしたことなんです!」
「うーん、君が言うとおり自転車は車と事故を起こしたかもしれないね。それを助けようとしたと君は主張してる。それを認めた上で聞いてるわけだよ。自分が自転車と事故を起こして良いと思うわけ?」
「だ、か、ら!」
頭の硬い警察め! 語気が荒くなったのをしかりつけるように若い警官が口を挟んだ。
「助けるため、助けるためって言ってっけどさ」
年配の警察官がとっさに目で制そうとした。
「結果的に、君との事故であの子は死んじゃったんだよ。助けてねぇだろ?」
「え?」
年配の方が「遅かった」という顔で天を仰いだ。
若い警察官は、事故の大手術から目覚めたばかりの中学生に「お前の起こした事故で人が死んだんだ」と突きつけたわけだ。
ショックがデカいのは当然だ。
そんなウソだ! 次の瞬間、何かを叫んでいたはずだった。
画面が変わった。
メガネをかけた真面目そうな人が淡々と説明している。
「約款にあります通り、契約者との接触があれば、自転車乗車員に対しての賠償責任を負うケースとなるとあります。本件は、接触を回避した結果と解されますので賠償責任は発生いたしません。したがって、保険金のお支払いは不可能です」
保険会社の人だというオジサンが「今回の事故は、自転車に乗っていた子どもの自己責任と言うことになります」と、サラリと結論を出した。
「トラックの方はどうなんですか?」
「それは、規定通り、相手側も保険に入っていましたので弊社と相談しまして」
「違います! 自転車に乗っていた子に対してですよ!」
「トラックと、本件事故は法的に無関係ですので」
「えええええ!」
画面がまた変わる。
医者の顔が目の前だ。
「膝は一定以上の力に耐えられなくなったんだよ。でも、リハビリを励めば、普通ではわからない感じで歩けるようになるからね」
つまり、普通とは違う歩き方しかできなくなったと言う結果だ。しかし、そんなことはどうでもいい。
「先生。じゃあ、バスケはいつからできるんですか?」
「スポーツをするなんて、とんでもない。万が一の場合、膝から骨が飛び出すことになる。今後、間違っても走ろうだなんて思わないことだ」
当たり前の顔をして絶望を突きつけてきた。
画面がまた、飛んだ。
乗っていた子どもの家。父親と母親が連れて行ってくれた。笑顔の写真が飾られた仏壇に、瞬は何も言えなかった。
健が言う。なぜか、今の顔をしている。
「お前が殺したんだ! お前さえいなければ、渉は、今も生きていたんだ!」
手が首に回される。
苦しい。息ができない。脚が動かない……
「オレが助けようとしたのは何だったんだよ!」
助けて、助けて、助けて
誰か、誰か、誰か
助けてよ! ボクを助けて! ボクは悪いことをしてないのに!
「……しゅん、しゅん、瞬?」
ハッ
「うなされてたよ? 怖い夢?」
「あ、うん。怖かった」
あの日、世界の全てが自分の敵になった気がした。それから文字通り「敵」にばかり囲まれて生きてきた気がする。
ペロン
「え?」
「ふふふ、瞬の汗も、塩っぱいね」
額の汗をペロペロと舐め取っている。
「おい。やめとけよ」
「ふふふ。照れちゃって。瞬だって、さっき、もっとも~っと恥ずかしい所、舐めてくれたクセにぃ~」
楽しそうな顔だ。
天音は「怖い夢」の中身を聞いてこなかった。ただ、愛しい人を慈しむだけ。
救われた気がした。
『こういうところが、天音ってスゴいんだよなぁ』
屈折した瞬の内面を無理に探ろうとしてこないのだ。今だって、傷ついた子猫を慈しむ親猫のように額を舐めてきた。痛いところに包帯を当てるように、だ。
さっきまで瞬の手で揉まれていた柔らかな部分が、キュッと二の腕に押しつけられている。これもまた無言の包帯のつもりなんだろう。
怖がっている瞬を「そのまま受け止めるよ」と言っているみたいに感じた。
『この子なら、世界が全部敵になっても、最後まで味方でいてくれるんだろうな』
理由などない。ただ、そう思えた。それが正しいかどうかなんてわからない。恋する者の思い込みかもしれない。
「ね? 疲れた?」
「あ、いや。天音こそ疲れたんじゃないの? さんざん練習した後の、あれ、だし」
自分でもどれほど夢中になっていたのか覚えてない。まだ明るいが、夕方にはなっている。その間、ずっとだった。自分でもあきれそうだ。
「ふふふ。アマネさんを甘く見ないでね? まだまだ、バッチコーイだよ?」
トントンと胸を叩く。プルルンと言う弾力に、思わず目が行ってしまう。
「ほら、嫌なことがあったときは、良いんだよ。私にぶつけて? わっ! 元気じゃん!」
天音の右手が元気を確かめてきたのだ。たとえ悪夢であろうとも、寝起きの男の子であった。
しかし、男として気になるのは「自分がどうなのか」ということ。比較される相手がいるのだと思うと、どうしても天音がどう思っているのか気になるのは当然だった。
身体を重ねる直前に顔を寄せて、瞬は思い切って尋ねる。
「なあ、オレってどうなの?」
「なにが?」
ニヘラッと、幼さの見える笑顔で見上げる。
「えっと、あの、オレのは…… オレとするのって、どうなんだよ?」
「何が?」
聞かれてる意味がわからないらしい。キョトンとした顔だ。
「いや、だからぁ、オレって…… 下手かな? なんか早い気もするし」
「え? ステキだよ? 夢中になっちゃって恥ずかしいくらいだもん。あ、私のこと、エッチだって思わないでよ? 好きな人がステキ過ぎるのがいけないんだからね?」
そこに偽りを言ってる表情も、無理している様子も見つけられなかった。
「そんなこといいから、さ。瞬が来てくれたら、それで嬉しいんだから。ね?」
しかし瞬は気付いていなかった。男が女に自分のことを聞くとき、自然と「前の男」との比較をさせようとしてしているのだということを。
天音の中で「前の男」は、単なる比較材料にできる存在ではないのだ、ということを瞬は知らなかったのだ。
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