第31話 花言葉は「初恋」

 可愛いなぁ、この子は。


 ヒマワリの花のように背筋を真っ直ぐにして生きてるのだと瞬は思った。


 あの事故が起きた日に、多分、瞬はそういう「真っ直ぐ」を路上に置き忘れてきたのだと自覚している。


 だからこそ、ここでヒマワリの背中を丸めさせてはいけないと、ことさらに皮肉っぽい声を作った。


「正確に言うと、ではないと思うんだ」


 ことさら「浮気」と言う言葉にアクセントをつけてみせる。


「だって付き合ってるんですよね? いっつも天音先輩は大竹先輩が彼氏だって言ってましたよ。それなのに! 絶対に浮気です!」


 正論だと思う。


 あまりにも眩しく感じる正論だ。


『トラックにぶつかる前に自転車を止めなきゃって、反射的に動くのと同じレベルのだよなぁ』


 陽菜の素直な怒りが眩しかった。そして羨ましくもあったのだ。


 しかし、だからといって、陽菜を辛い目に遭わせて良い理由にもならない。部全体をかき回してもダメだ。瞬なりに全体を向上させてきた自覚はある。最後の最後で、自分がメチャメチャにしていいわけがない。


『オレだけでたくさんだ』


 瞬は、わざと右の口角を上げて「ニコッ」という擬音を演出した。


 その雰囲気を察してくれたのだろう。陽菜は黙った。そこに向かって瞬は口を開く。


「そうだなぁ。一年前になるかな? 彼女から付き合って欲しいって言われたのは事実だよ」


 付き合い始めた日も覚えている。天音が果たして覚えているのだろうかと思いかけた瞬は、そんな未練を唇の先からフッと吐き捨てた。


『まあ、それはないよなぁ』


 告白してきた、あの日の天音の顔が不意に浮かんでしまった。なんだかひどく懐かしいと感じるのはなぜなんだろうかと思う。


『おっと、こりゃ不審だよね』


 思わず口元が緩んだところを、ジッと陽菜が見つめていた。その視線が痛くて、いや、目の前にある紫のライラックに目を向けた。


「告白されて付き合い始めた。有頂天になったよ。正直言って嬉しかった。それから何回かデートをしたんだ。学校の帰りに駅前のカフェで珈琲を飲んだっけ。あ、彼女はいつもクリームたっぷりのコールドドリンクでさ。あれはカロリーが高いからよせって言ったんだけど、それは受け入れてくれなかったなぁ」


 痒くもないのにポリポリとこめかみを掻くフリをしながら言葉を続ける。陽菜の顔が見られない。


「彼女が本気でインターハイを目指したいっていうから喜んで協力を申し出たんだ。結果はもうすぐわかる。で、今に至るってわけだ」


 そこまで独白のように一気に喋ってから、ようやく顔を見られた。唖然とした表情だった。


「あの…… 先輩、それじゃわからないです」


 陽菜からしたら、ドロドロの愛憎劇が語られると思ったはずだ。


『我ながら木で鼻をくくったような話だよな』


 瞬は苦笑してしまう。けれども「事実」しか話してないのが自分でも悲しい。


「でも、たぶん、それが松永さんとオレとの全てなんだよ」


 松永「さん」と呼んだところで陽奈が息を呑んだ。伝わったらしい。


「それ以上でもそれ以下でもない。あ、今でも家に帰ってからメッセのやりとりをすることがある。内容は練習メニューとか、大会のことだね」

「あの、先輩?」


 瞬が何を言おうとしているか陽菜に見当がつかなかった。


「やりとりは8時までの約束なんだ。それも今では陸上関係のことだけだし、たまに、って感じかな」

「え? メッセがですか?」


 陽菜は鼻白む。だって、ありえない。

 

 カレカノだと言っていたではないか


 陽菜の感覚ならば、いや、普通の感覚なら「毎日。一晩中やり取りして、それでも足りなくてベッドに入ってもお話しようとする」のではないかのか?


 陽菜が驚愕している表情を見定めてから話が続く。


「あぁ。まあ、去年くらいまでかな? あ、そうだ。お正月くらいまでだったよ。同じ八時までって言うのでも前はもう少し違ってた。それなりに返事があった。だけど1月の途中からかな。どうやら、お試しセールは終わったらしい。陸上以外の話はしなくなったし、大半は寝る前に一気に既読になるだけになったかなぁ」


 だってしたのだ。それを陽菜に言ってどうなるとは思うのだが、口が勝手に喋ってしまう。


「オレもね、いろいろとやったよ。喜んでもらえそうなことは。全部ムダだった。ハハハ、全く意味がなかった。彼女はオレとのメッセなんて必要ないし求めてもいなかったんだなぁ」


 チラッと様子をうかがうと陽菜が泣きそうな目をしている。胸が痛む。


「ほら、通販とかでよくあるじゃん? 最初だけサービス価格で、そのあとは定価販売になるやつ。あんな感じかな」


 ぷっと乾いた笑いを吐き捨ててみせる。我ながら言い得てして妙。自分のセンスに感動してしまう。消費者庁にクレームものの恋愛かよと、一人ツッコミをしている瞬だ。


『おっと、何とも言えない顔になっちゃってるぞ。泣きそうだな。陽菜ちゃん、やめてくれよ。オレのコトなんて哀れまなくて良いんだからさ』


 花壇の方に顔を向けた。


「だから、今さらカレカノだろうと言われてもね。正直、実感もないし、事実でもないと思うよ」


 足下の小さな石を拾ってポイッと捨てた。オレも、この程度の存在なんだよね。道ばたで拾った小石。投げ捨てれば、次の瞬間、他の石と見分けがつかなくなる。その程度。


 きっと、ね、オレは路傍の石どうでもいいのさ。


「告白されてOKした。それ以来、別れてない。少なくとも、別れるとは言われてない。だから、今はまだ彼氏なのかもしれないね。だからオレは彼氏じゃないとは言わないよ。けれども、松永さんの本当の彼氏がオレではないってことも本当なんだよ」

「でも、それって浮気じゃないですか!」


 さっきまでの泣きそうな顔とは思えないほどに、怒りのパワーがある声だ。


「あのさ? 浮気って言うのは、一度でも相手のことを好きになって、その後、別の人のことを好きになる場合を言うんじゃないかな?」

「せんぱい、それって、どういう意味で…… あっ」


 言っている途中で、陽菜も意味がわかったのだろう。息を引き詰めて言葉を閉ざした。


「だから、そういう意味さ。付き合ってくれと言われたのは事実。OKしちゃったのも事実。カレカノだと松永さんが言葉にしていたのも事実。サービス期間があったのも事実だよ。でも……」


 目の前の花壇にはライラックが咲いていた。


 足下の、ほんの小さな石を拾って紫の花に放ってから「彼女が二階堂を好きだというのも事実だ」と言った瞬間、笑って見せたのはせめてもの意地だった。


 柄にもなく、瞬はライラックの花言葉を思いだしていた。


『紫のライラックの花言葉って「初恋」だったっけ』


 瞬の心の奥底で「それが誰の初恋なのかが問題だよね」と自分を嘲笑う声が響いた気がした。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


いつも★の応援ありがとうございます。

ムチャクチャ、テンションが上がります!

おかげさまで順位が上昇して参りました。



さて、辛い告白が続きます。

ダークな三日間をお過ごしください。

瞬主観で伏線となっている部分があります


第32話 心、凍らせて

第33話 暗闇に蠢くもの

第34話 釣り合わなかったのさ


月曜日から視点が変わります。


第35話 綻びの予兆(視点が変わります)


と予定しております。


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