第8話 邪瘴祓(じゃしょうばらい)

「うあああああ!」


「もう少し頑張ってくれ!」


 空は痛みに激しくうめく海を励ましながら走り続けていた。


 邪瘴に龍力を喰われる痛みは筆舌ひつぜつに尽くし難いという。一度憑りつかれたら言祝師に祓われない限り龍力を喰い尽くされ死に至るまで苦しめられることになる。


 特に海はりゅうぞうが損傷しほとんど龍力を創ることができない体になっている。即ち体内を巡る龍力も少なく、喰い尽くされるまでの時間も短い。


 空は焦りながらも辺りを注意深く見まわし、血黒丸から十分距離が取れたことを確認すると丁度ちょうど見つけた土が削れて人二人ひとふたりが隠れられるだけの大きい窪みに海を降ろして早速祈詞を唱え始めた。


けまくもかしこき天龍に空がかしこかしこもうす。もの宿やどりしじゃを祓えたまえ。“清浄祓せいじょうは”」


 大気中から湧き出た水がまゆのように海の体を包み邪瘴を取り除き始めた。これで一安心、と空が肩の力を抜いたときであった。


 バチン!と水の繭が一気に弾けた。


「そんな」


 驚いた空は慌ててもう一度術を唱えるがやはり途中で繭は弾けてしまう。


「どうしてだ、どうして祓えないだ?!これじゃあ海は…」



 いよいよ声もなくぐったりと土気色の顔で横たわる海に、空の背中に冷たい汗が流れた。







 ◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..


 

「これで終わりだ!


 吹き荒れろ!“瞬風切撃しゅんぷうせつげき”」


 一方の鷹斗は元来がんらいの持ち味である俊敏しゅんびんさで血黒丸を追い詰めていた。勇ましい掛け声とともに突風が鋭利な刃物のように次々と血黒丸に襲い掛かる。傷だらけになる血黒丸であったが全く気にする素振りすら見せずにガハハと笑った。


「効かねぇな」


「ぐぁあ!」


 突っ込んできた血黒丸の大鉈がざくりと鷹斗を切り裂いた。



「スゲーだろ?俺様の愛鉈あいなた斬惨ざんざ”の切れ味は。


 コイツさえありゃあ俺様はどんなヤツが相手でも負けるはずがねェのさ!」


 崩れ落ちる鷹斗を満足そうに眺めて血黒丸はニタリとわらった。


「さぁあのガキどもを追いかけるか」







 ◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..



 空は焦っていた。


 何度も何度も祈詞を唱えたが全く祓うことができない。おそらくこれまで空が対峙してきたどんな邪瘴よりも強力であることと、既に海の体の奥深いところまで邪瘴に蝕まれつつあることが上手く祓えない原因なのだろう。さっきから海に呼びかけても反応を示さなくなってしまった。もう一刻いっこく猶予ゆうよもない。


 拳を握り締めた時だった。


 空は弾かれた様に海を抱えて窪みから飛び出した。その一瞬後に大きな音を立てて地面が崩れ落ち窪みが埋まってしまった。


「なんで追いついてくるんだよ!」


「心珠を渡せ」


「渡すわけがないだろう」


 空は海を地面に寝かせると海が握り締めていた心珠を懐にしまい龍心環を構えた。

 

「ならオマエもあの男のように殺してやるよ」


「ッ!させるものか!

 

 けまくもかしこき天龍にッ!」


 空は詠唱を始めたが次々襲い掛かってくる大鉈を避けるたびに中断させられ最後まで言い切ることができない。


「守刃のいない言祝師一人を倒すなんて簡単だぜ!術を唱えさせなければいいんだからな!」


 空は終わらない攻撃に苛立たしげに眉間みけんしわを寄せると逃げの体制から一転、龍心環を鷲掴んで踏み込み振り下ろされた大鉈を受け止め弾いた。


「守刃がいないと何もできないみたいに言うんじゃねーよ!」


「おわ?!」


 まさかそのような反撃をさせるとは思っていなかった血黒丸は一瞬不意を突かれて後ろにたたらを踏んだ。その瞬間を空は見逃さなかった。


けまくもかしこき天龍に空がかしこかしこもうす。の者を砲撃ほうげきたまえ。“豪流水砲ごうりゅうすいほう”!!」


 力の限り叫ぶと同時に懐に入れていた心珠がまばゆい光を放った。


「うぎゃあああ!!!」


 これまでの術の威力を遥かに超える水砲が血黒丸を弾き飛ばした。


 やがて水が引き血黒丸が気を失っているのを確認すると、空はその場にがくりと膝を着いた。


「ガハッ!」


 空は吐血していた。


「……何が起きたんだ?」


 明らかに先程よりも術の威力が上がっていた。術を放つ瞬間、自分のものではない甚大じんだいな龍力が体内を巡るのを感じた。空は懐から珠を取り出すとまじまじと見つめた。


「そうか、心珠とは龍力のかたまりなのか」


 確信しつつも空はまだどこか信じられない思いでその珠を見つめた。龍力を我が身の内で創る以外で得られるならば、この得体のしれない男だけでなくどんな言祝師だって目の色を変えて欲しがるだろう。


 しかし、と空は口元の血を拭った。全身が粉々になってしまいそうなほど痛く汗が止まらない。どうやら力があまりにも強大すぎて人の身で受け止めるには負担がかかりすぎるようだった。

 

 もう一度使えば命を落とすことになるかもしれない。


「とんでもない珠だな。だけど」


 空は言うことを聞かない体に鞭打ち海の元へと戻った。海の顔は土気色を通り越して真っ白になり、黒い痣が禍々まがまがしくまだらに伸びてきていた。

 

 死の影が、すぐそばまでやってきていた。


「今度こそ兄ちゃんが祓ってやるからな」


 空は覚悟を決めた顔で心珠を海の胸元に置くと一度深呼吸してから龍心環を構えた。






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