第24話 濡れ衣

「あーハラ減った」


 グウウウギュルギュルと盛大に腹の音を響かせながら黒い仮面をつけた青年は闇色やみいろしゃのついた大きな傘を差し高い屋根の上から邪蛇が人々を襲うのを眺めていた。


 傘を持つその左手の甲には黒鬼灯が咲いていた。


 青年は下を見続けるのに飽きるとちらりと登龍の瀧を見上げた。


「向こうのヤツらはいいなぁ、こっちは見てるだけなんてつまんねーぜ。


 なぁ、やっぱちょっとくらい喰ってきてもいいかな」


「駄目」


 青年と共に大傘の中に立って登龍の瀧の方をじっと向いたまま微動だにせず立っていた十くらいの少女がぽつりと言った。少女も黒い仮面を付け左手の甲には黒鬼灯が咲いていた。


由楽ゆうら一人じゃこの傘持てない。傘から出たらこの作戦の意味が無い。


 それに、お館様はちゃんと見てる」


 それを聞いて青年は白けたように鼻を鳴らしてから仮面の下でにやりと嗤った。


「まぁいいさ、ご馳走は後にとっとかねぇとな」






 ◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..



 内裏だいり紫宸殿ししんでん


「よくも再び都へ戻って来れたな」


 張り詰め重苦しい空気の中、東宮とうぐうである瀧正はセイに対し切りつけるように言い放った。


「しかも偽名を使って言祝師試験を守刃として受験するなど、お前は一体何を考えているんだ!!」


 瀧正の怒気にセイは肌がビリビリと痺れるのを感じた。同席していた太政大臣の洪業ひろなりは瀧正の怒りはもっともとセイを冷ややかに見降ろしていたが、筆頭大師である涼親は見かねて東宮にとりなすように口を開いた。


「東宮、上に立つ者はそうそう怒鳴るものではありませんよ。


 血を分けたたった一人の弟君が一時は生死不明であったのにこうして無事に生きて帰ってこられたのです。まずは喜んで差し上げたらどうでしょう。清正親王が身分を隠して試験を受けられたのも何か理由が――」


「黙れ!」


 しかし瀧正は涼親の言葉を途中でさえぎ一喝いっかつした。


「心珠はどこだ」


 恐ろしい声だった。セイへの憎しみが満ち満ちているのがよく分かった。


「……分かりません」


 セイは頭を下げたまま答えた。途端また瀧正は激怒した。


「ふざけるな!お前が父上を、帝を襲い奪ったのであろう!」


 その言葉にセイはハッとして弾かれるように頭を上げた。


「違います!」


「なら何故あの日、お前は姿を消したのだ。よりにもよって私が内裏を留守にしていた時に」


「それは……」


 海はこの期に及んで口にするのを躊躇ためらってしまった。しかしありのままの真実を伝えなければと震える声で答えた。


「私は、騙されていたのです。氷牙ひょうがという少年が邪龍の復活のために心珠を狙っていたのです。彼が帝から心珠を奪い、しかし私は彼に渡すまいと揉み合いになって心珠と共に恵水湖へと落ちたのです」


「嘘をつくな!」


 すぐに否定する瀧正にセイは必死になって反論した。


「本当です!嘘だというなら調べてください。彼はこの内裏で下働きをしていたはずです。私は彼が仕事をしているところを見たことがあります!」


 しかし瀧正は言い放った。


「だから嘘だと言っている!いいか、私は次代の帝としてこの内裏にいる下働きまで把握している。氷牙という名の者など存在しない!」


「そんな……」


 呆然とするセイに瀧正はこれ以上は時間の無駄と判断し後ろに控えていた滉影あきかげに命じた。


「清正を省室しょうしつへ連れていけ」


 “省室しょうしつ”とは高貴な身分で罪を犯した者を反省させるための部屋とされているが、一度入ると龍力は最低限に封じられ内からは決して開けることができない特別な部屋となっている。


 事実上の投獄であった。


「待ってください、私の話を聞いてください!兄上!!」


 ハッと我に返ったセイはなおも瀧正に言いつのろうとしたがもはや瀧正はセイを相手にすることなく、瀧正の指示を受けた滉影によって肩の上へと担ぎあげられると強制的に省室へと連行されたのだった――。







 ◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..



「――様、真更木様!」


「ッ!」


「呼ばれています」


大楠真更木殿おおくすまさきどの万葉奈由多殿まんようなゆたどの、前へどうぞ」


 気付くと多くの目が自分たちを見ていた。内心動揺したが真更木は努めて平静に返事をするとなんでもないように前へと進んだ。


「ではこれよりお二人の“開花かいか”を始めます」


“開花の儀”とは正式な言祝師となるための儀式である。儀式により手の甲に刻んだ蕾が花開くことからそう呼ばれている。


「お願いいたします」


 そう返事をしながらも、真更木の心は集中しきれずにいた。



 あれから海は大丈夫だろうか――……。




 龍力試験にて成龍の地に息も絶えだえやっと着いたと思った途端、聞こえてきた祈詞に真更木はぎょっとした。すぐに声のする上空を見上げるとなんと水鏡の中の海とおそらく海の守刃が連花を解消しようとしていた。


 それも守刃の方が使、だ。


 それだけでも驚くべきことであったが、真更木は海の守刃の顔を見て絶句した。


「清正親王じゃないか……」


 悲痛な声で叫ぶ海に真更木は心が引き裂かれるような気がした。


 海の様子が気になってじっと水鏡を見つめていたが、試験官に有無を言わさず儀式まで別室で待つように指示されたため後ろ髪を引かれる思いで真更木は歩き出した。



 それから半時(約一時間)ほど待たされて、ようやく開花の儀は始まった。





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