第30話 散りゆく牡丹

 突然舞い込んできた凶報きょうほうは人々の心をざわつかせ内裏に暗い影を落としていた。


 清正も面会不可と言われ数日我慢したもののとうとう限界が来てしまいせめて様子を一目確かめようと瀧正の住まう昭陽舎しょうようしゃを目指して渡殿わたどのを走っていた。


 昭陽舎しょうようしゃは内裏の東側にある立派な殿舎である。清正は北西にある凝花舎ぎょうかしゃが住まいなのでお互いの居住地を行き来するにはそれなりに距離があった。


 いよいよあと少しで瀧正の部屋というところまで来た時であった。中から「この役立たずが!」と甲高い怒声がして清正はビクリと固まった。


 思わず戸口に隠れてそっと部屋を覗き見た清正は驚愕した。


 そこには母である中宮ちゅうぐう永遠子とわこが床にひれ伏す洪業ひろなり滉光あきみつを睨みつけて立っていた。


「中宮様、落ち着いてください」


 女房たちが宥めようとするが永遠子は微動だにしなかった。むしろさらに怒りと憎しみをその瞳に詰め込んでいた。


「この度は大変申し訳ございませんでした。滉光の親としてこの洪業、心から謝罪いたします」


「謝罪すれば許されるとでも思っているのですか!何故言祝師である瀧正が守刃の滉光を守って怪我をしなければならないのです!


 しかも数日後には東宮即位式があることは滉光も重々分かっていたでしょう?!たとえ命に代えても瀧正を守り切ることがどうしてできなかったの?!」


 喚き散らしている永遠子を清正は扉越しに唖然として見ていた。母のあのような姿は今まで見たことが無かった。


 重く張り詰めた空気の中誰もが動けずにいるとやがて奥の帳台から瀧正が姿を現した。


「母上、お止め下さい。此度のことは私の力不足が招いたことです」


 瀧正は何でもないように立っていたがその上半身には包帯が巻かれており清正は思わず泣きそうになった。


 言祝師は皆多少の怪我ならば龍力でもともと人の持つ自然治癒力を活性化させてすぐに治すことができる。


 だというのに包帯を巻いているということはすなわち龍力で自然治癒力を活性化させても簡単には治すことができないほどの大怪我を負ったということを意味していた。


 永遠子は瀧正の方へと振り返るとまた大声でまくし立てた。


「まだそんなことを言うの?!大体お前もお前です。こんな大切な時期に登龍門院の任務を引き受けるなんて!


 清光慈雨せいこうじうだってまだ習得出来ていないでしょう?!即位式に間に合わなかったらどうするの!もっとおのれの立場を理解して行動なさい!」


「理解したうえでの行動です。私はまだ東宮ではなくいち言祝師で所属は登龍門院にあります。今回金生領きんじょうりょうにて災害級の邪瘴が発生したため私から任務の参加を申し出ました。


 術は必ず間に合わせます。何か問題でもありますか」


「問題しかないから言ってるのよ!!」


 皇后は怒りをぶつけるように扇を床に叩きつけた。すると折れた扇の破片が瀧正の頬に当たり一筋の血が流れ清正はヒッと息を飲んだ。


 しかし瀧正は一つ息をつくと自ら頬に手を当て傷を治した。


「母上もまだ物に当たるそんなことをするのですか?この間も放り投げた茶器のせいで私が手を負傷をしたのでおやめ下さいと言ったはずですが」


「黙りなさい!」


 憎悪に満ちた叫び声にますますその場の空気は緊迫し冷え込んでゆく。


 しかし次に永遠子が言い放った言葉はそれ以上に人々を凍り付かせた。


「だったら連花を解消なさい」


「――はい?」


「聞こえているでしょう!連花の誓いを解消しなさい!」


「何を言って」


「お前はいくら母が言ったところで今後も自分の立場を弁える気が無いのが良く分かりました。


 ならこんな出来損ないではなく他にもっと優秀な者を守刃になさい」


 その言葉に洪業はどっと汗をかきながら口を挟んだ。


「どうかそれだけはお許しください、お前も謝れ!!」


 しかし滉光は頭を床に擦り付けたままカタカタと震え続けており言葉が出ないようだった。


「母上、滉光は十分優秀な守刃です。次こそはしっかりと役目を果たしてくれます」


「今回できなかったのに次ができるはずが無いわ!滉光!解消しますね?!」


 永遠子に両肩を掴まれ無理やり顔を上げさせられた滉光はびくりと体を揺らした。


「解消するとおっしゃい!」


「母上!」


「ならできるというの?!たとえその命に代えても瀧正を守れると!どうなの滉光!」


「母上!!」


 瀧正は力づくで永遠子を引き離した。


「滉光、もう気にするな、次上手くできれば……、滉光?」


 瀧正は滉光の顔を覗き込んで目を見開いた。


「滉光?!しっかりしろ、滉光!」


 滉光は目の焦点が合わず体を小刻みに震わせ続けていた。息もヒッ、ヒッ、と明らかにおかしい。


 途端周りは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


「滉光……」


「誰か男手を呼んできなさい!滉光様を別室にお運びするのです」


 年かさの女房が叫ぶと慌てて若い女房が扉へと向かってきた。清正は咄嗟に廊下の影に隠れ女房が出てゆくのをやり過ごし、やがて下男と共に部屋に戻ったのを見るともう一度扉に近寄って中を覗いた。


 すると下男が滉光を運ぼうと抱き上げたところだった。そのまま歩き出そうとした下男だったがこれまで黙って見ていた瀧正に呼び止められ困惑したように足を止めた。


「瀧正様?何をされるつもりですか?」


 下男に代わって訊ねた洪業であったが瀧正はその問いに答えないまま滉光の力なく下げられた右手を掴むとようやく口を開いた。


けまくもかしこき天龍に瀧正がかしこかしこもうす。われらの連花れんかを解消し、その加護かごを返上せん」


 その祈詞が唱えられると瀧正と滉光の手の甲に咲いていた牡丹はまるで涙を流すようにはらはらと花弁を落としていった。


「瀧正様!」


 洪業が取り乱したように叫んだ。


「滉光は私の守刃として相応しくは無かった。


 二度と顔を見せるなと伝えておけ」


「瀧正様、どうかお許しください!」


 洪業は必死で瀧正に取り縋ったが、瀧正は洪業を払いのけると帳台へと歩き出した。


「皆出て行け。私はまた休む」


「瀧正様、瀧正様!」




(兄上、どうして……)


 清正は呆然と扉から後退りすると来た道を速足で戻り始めた。


(どうして滉光との連花を解消するのですか)


 清正は兄の守刃でありながら自分のことも気にかけてくれていた優しい滉光が大好きだった。政治的な思惑のもと連花となったのは知っていたが、お互いに信頼しどこへ行くのも一緒にいる姿にいつか自分も連花をたならばこういう関係になりたいと憧れを抱いていた。


 それなのに――……。




「また中宮様は癇癪かんしゃくを起されたのかしら?先ほど中宮様の女房が慌てて下男を瀧正様のお部屋へ連れて行ってたけど」


 廊下の向こうから声が聞こえて清正は咄嗟に空いていた部屋に隠れた。


「困ったものよねぇ。まぁ仕方無いのかしら。お輿入れしてすぐにお父上が亡くなり後ろ盾が無くなったというのに帝からは冷遇され……。


 せめて瀧正様を立派な東宮、ひいては帝にと必死になっていらっしゃるけれどどうも言祝師の才能は清正様の方が上らしいじゃないの。しかも頭もずば抜けて良くて登龍門院の研究書もあの年で理解してるって、まさに“神童しんどう”よね。


 このままだと本人たちが望む望まないに関わらず瀧正様派と清正様派で権力争いが始まるのも時間の問題だわ」


「私たちもどちらの派閥に付くか考えないと……。あぁなんて悩ましい。


 もし清正様が瀧正様より先に産まれていらしたら中宮様も私たちも気が楽だったのにね」



 そう笑って通り過ぎた女房達の無責任なおしゃべりは清正に大きな衝撃を与えた。


(どうしてそんなことを言うの)


 清正は悔しかった。


 東宮や帝という立場に相応しいのは大き過ぎる力をしっかりと制御出来ずろくに帳台ちょうだいから出られない自分ではなく、優しくて、努力家で、たとえ我が身が傷つこうと民草のために行動できる瀧正の方だということを皆に分かって欲しかった。


 そしてそのために何か力になりたいと心の底から思った。



 だからこそ清正は天上を仰いでゆっくりと瞬きをするととある計画を立て始めた。






 それが瀧正との決裂を決定付けることになるとは知らずに――……。




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