第29話 幼き兄弟妹(きょうだい)

 水元十四年師走すいげんじゅうよねんしわす――。



「清正」


 清正は名前を呼ばれてふと顔を上げた。


 するととばりしに一人の少年の影が見えて清正は口元をほころばせた。


「そのお声は兄上ですか。来てくださったんですね」


 そう声を掛けると兄の瀧正の後ろからさらに小さな影がひょっこり出てきた。


世都子せとこもおります!」


「世都子も来てくれたの、ありがとう」


 楽しそうにふふふと笑う清正に瀧正は案じるように問いかけた。


「また熱を出したと聞いたが大丈夫か」


「はい。今は体内の龍力も制御できましたので平気です」


 そう言って清正は自らの胸に手を当てた。


 清正は生まれつき龍の臓が発達しているらしく一度に生成される龍力が人よりもはるかに多かった。


 言祝師としては恵まれた体質であったが、まだここのつの清正には体への負担の方が大きいようでしょっちゅう熱を出していた。


「良かった!なら中に入っても大丈夫ですか、小兄様ちいにいさま


「いいよ」


 清正が返事をするととばりが捲られ瀧正と世都子が帳台ちょうだい(天蓋ベットのようなもの)の中に入ってきた。


 しかし瀧正は清正の幼い丸い顔を見るなり眉間に皺を寄せた。


「顔がまだ赤いではないか。……それより病人が何故本を読んでいる」


 すると清正はしまった、とバツの悪そうな顔をした。


「申し訳ございません。とても面白かったので。登龍門院の研究報告書なのですが龍の臓と龍力の関係について新たな発見があったそうです。この論述によると従来……」


「おい、興奮するとさらに熱が上がる。続きは回復してからにしろ」


「はい、兄上」


 清正は怒られたというのにくすぐったそうに笑って本を閉じた。


 そんな清正に瀧正はやれやれとため息をついた。


「食欲はあるか」


「少しは」


 目線を泳がせる清正に瀧正は持参していた包みを取り出した。


椿餅つばきもちを持ってきた。これなら食べられるか」


「!はい!ありがとうございます」


 椿餅とは椿の葉で挟んだ甘い餅で清正の好物だった。


 清正は嬉しそうに牡丹の花紋が美しい瀧正の手元へと両手を伸ばした。が、受け取る際に瀧正の袖に微かに赤い染みができているのに気が付き驚いて瀧正を見上げた。


「これ、血ではないですか?どこかお怪我をされたのですか?」


 すると瀧正は一瞬身を強張らせたが、なんでもないように「少し手を切っただけだ」と言った。


 しかし清正はいつも心配される側であったのでここぞとばかりに瀧正を心配しようと言いつのった。


「本当ですか?よく見ると目の下の隈が酷いです。お疲れなのではないですか。だからお怪我をされたのでは?


 それに滉光あきみつはどうしたのですか。いつも一緒にいらっしゃるのに」


「これぐらい疲れているうちに入らないし滉光とも四六時中一緒にいる訳ではない。人の心配をする余裕があるなら自分の心配をしろ」


 瀧正が否定すると二人のやり取りを聞いていた世都子がえへんと口を挟んだ。


「世都子は大兄様おおにいさまがお疲れの理由を知っています!


 大兄様おおにいさまは来月、東宮とうぐう即位式そくいしきをされるからその準備で今とってもお忙しいのです。だから世都子とも遊んでくださらないのですよ」


 その言葉に清正はハッとした。


「そうでしたね。改めておめでとうございます」


 清正は自分のことのように嬉しくなってにっこりと笑った。


「今日も世都子は大兄様の練習を見ていましたが、あのきらきらするのが世都子は大好きです」


 うっとりと話す世都子に清正は首を傾げた。


「きらきら?」


「“清光慈雨せいこうじう”のことだろう。

 

 世都子は喜んで見ているがまだ本来のものには程遠い」



 清光慈雨せいこうじうとは、東宮、もしくは帝の即位式の際に行われる儀式で即位する者が自らの龍力を雨に見立てて国中に降らす言祝術である。


 もちろんただの龍力を降らすのではなく、その時々で治癒や邪瘴を祓う言祝術を込めたりする。



 ちなみにこの術は初代帝が新年の祝いに行ったものが起源と言われている。そのため民草からは「言祝ぎの術」と呼ばれていた。


 そこから龍力を用いた術を「言祝術」と呼ぶようになり、術者は「言祝師」と呼ばれるようになった。



 そのため清光慈雨せいこうじうはこの国においてとても重要な意味を持つ術であり、この儀式を通して民草は次の為政者の実力を見定めるのだ。



「もしかして兄上は空間術式があまり得意ではないのでしょうか」


 瀧正は驚いた。


「何故そう思う」


「実は私も少し前ですが兄上の修練をこっそり見に行ったことがあるのです。どれも素晴らしい術でしたが、直接攻撃系が多かった気がして。


 清光慈雨せいこうじうは空間術式ですからそうなのかな、と」


「確かに得意ではない……」


「それなら書院の禁書棚きんしょだなにある第二十二代帝の手記を参考にされると良いと思います。空間術式、とりわけ今回行う清光慈雨せいこうじうについてとても分かりやすくまとめられています」


 清正の助言に瀧正は目を見開いた。


「待て。私に勧めるということはお前はすでにそれを読み会得えとくしたということか」


「はい」


 清正は事もなげに肯定すると自らの龍心環を顕現させて構えた。


けまくもかしこき天龍に清正がかしこかしこもうす。言祝ことほぐ恵みの雨を降らしたまえ。“ 清光慈雨せいこうじう”」


 清正が軽く歌うように詠唱すると帳台の中に光り輝く精緻せいちな円陣ができ、そこからたくさんの美しい光の雨が降り注いだ。


「わぁああ!小兄様すごい!


 あ、大兄様の隈が消えてる!」


 世都子は大はしゃぎできゃっきゃと笑った。それを微笑ましく見てから瀧正を見た清正は不安げに首を傾げた。


「兄上?」


「あ……」


「体調、良くなりませんでしたか?治癒の術を込めてみたんですけど、まだ顔色が優れないようです」


「……いや、いつもより体が軽い」


「良かったです!即位式の練習頑張ってくださいね。私も楽しみにしています」


 清正は花が咲くように笑った。





 しかし水元十五年睦月すいげんじゅうごねんむつき


 東宮即位式十日前とうぐうそくいしきとおかまえのことであった。


 瀧正が邪瘴に襲われ重傷との知らせが内裏に届くことになる――……。


 


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