第33話 裏切り

 氷牙ひょうがはそれ以降度々凝花舎ぎょうかしゃを訪れるようになった。


 清正は何故氷牙がこんな面白みも無いところへ毎回好き好んで通ってくるのか不思議だったが、聞けば驚いた顔で「俺ら友達ダチだろ?」と言われ清正の方が大いに驚いてしまった(この頃にはもう氷牙も慣れた態度となっていて話し方も当初の頃より随分ずいぶん変わっていた)。


 そうして初めてできた友達と過ごす日々は楽しくあっという間で、気が付けば紅葉もとっくに散り寒さ厳しい師走しわすの頃となっていた。



「――……でさ、上司が校書殿きょうしょでんの奥の巻物をその日のうちに俺一人で全部運べって言ってきたんだ!信じられるか?俺より背の高い壁棚一面にびっしり入ってるんだぞ。真面目にやってたら何日かかることか。


 だからその辺の几帳きちょう(部屋を仕切るカーテンのようなもの)を拝借はいしゃくしてその上に巻物を置けるだけ置いて包んで廊下を滑らせて運んでやったんだ。なのにこういう時に限って上司が様子を見に来ちまってさ。滅茶苦茶怒られた」


 やってらんねーぜ、と嘆息する氷牙に清正はおかしそうに「知ってる」と返した。


「怒られていたのまでは知らなかったが。


 実は氷牙が几帳を引きずっているところを見ていたんだ。また何か面白いことをしているなと笑いをこらえるのに必死だった」


 清正が少し得意げに言うと氷牙は驚いて身を乗り出した。


「ええ、見てたのかよ!なら声かけろよ。てか体調は?外に出て大丈夫だったのか」


「忙しそうだったし、邪魔をしては悪いなと。それに私も用事の途中だったから。


 体はその時は平気だったんだ」


 それは嘘だった。氷牙の探るような視線をさりげなく避けるようにして清正は答えた。


 いつも面白おかしく仕事の話をしてくれるのでどうしても氷牙が実際に働いているところを見てみたかったのだ。


 そのためだけに清正は数年ぶりに体内の龍力を制御し帳台の外へと出た。



「邪魔じゃねぇよ。最近忙しいのは本当だけどさ」


「やはり年の瀬はせわしないのだな」


 そう返すと一瞬氷牙の表情が曇ったのを清正はしっかり見てしまった。


「他に何かあるのか?」


「なんでもねぇよ」


「氷牙」


 清正はじっと氷牙を見つめた。


 するとやがて根負けした氷牙は一つ大きくため息をつくと気が進まなさそうに教えてくれた。


「今、国中で急激に邪瘴が増えてるんだ。ちょっと有り得ないくらいにな。


 それで民の間で邪龍が復活するんじゃないかって噂が流れてる」


「邪龍が?」


 清正は驚き目を見開いた。


「そうだ。それで不安に駆られた民によって言祝師の奪い合いが起きているらしい。今内裏は暴走する民と増え続ける邪瘴への対応で上から下への大騒ぎだ」


「そうだったのか」


「俺が巻物を運ぶことになったのだってその関係でのことだしな。内裏の奴らはみんなイラついてるか怯えているかのどっちかだな」


「なら、きっと父上も兄上もとんでもなく忙しいのだろうな。


 ……私も何かお役に立てればよいのに」


 そう言って長い睫毛を伏せた清正を今度は氷牙がじっと見つめた。


「立てる、と言ったらやるか?」


「え?」


「清正、本当は龍力、制御できるんだろう」


 その言葉に清正は息を呑んた。


「やっぱりな。おかしいなって思ってたんだ。俺と出会う前は神童しんどうって言われてたんだろ?


 どうして制御しようとしない?」


 まっすぐ問いかけられ、清正は思わず俯いてしまった。


「なぁ、俺ら友達ダチだろ?話してくれよ」


 暫く黙り込んでから、清正はのろのろと口を開いた。


「――罰を受けたかったんだ」


 そうして清正は氷牙にこれまでのことを全て話した。



「なんだよそれ。完全に清正のアニキ、東宮か、の八つ当たりじゃねーか。何でお前が罰を受けるって話になるんだよ」


「でも、私の存在がみんなを苦しめているのは本当なんだ」


「……だったら猶更なおさら、俺がこれから言うことをお前はやるべきだ」


「?何をするんだ」


 清正はゆっくりと顔を上げた。


 すると氷牙は唇の端を釣り上げて笑った。



「内裏に眠る“天龍”を目覚めさせるんだ――……」





 ◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..



「だがそれは嘘だった。封印されていたのは天龍ではなく邪龍だったんだ。


 氷牙は九頭龍の一員で私は邪龍復活のために利用されていたに過ぎなかった」


 セイは自嘲じちょうした。


「その上氷牙に命の危機に瀕するほど多量の龍力を一気に奪われ、私の龍の臓は機能停止におちいり一部が壊れてしまった。


 つまり今の私には言祝術を使えるだけの龍力は無く、それどころか龍の病持ちだということだ」


「龍の、病……」


 海は呆然と呟いた。


「だからなんだね。


 ずっと不思議だったんだ。僕に言祝師試験の勉強を教えられるくらい知識と経験があるみたいなのに、どうして一度も自分で言祝術をしないんだろうって」


 海がこれまでのことを思い返すように言うとセイは扉の向こうで皮肉気に笑った。


「異変に気が付いて駆けつけてくださった父上、帝のおかげで私は体内全ての龍力を奪われることは免れ一命をとりとめることはできた。


 しかし帝自身は氷牙に心珠を奪われ今も意識不明の重体だそうだ。


 おそらく心珠を使えば使うほど反動で体力と龍力を激しく消耗するが、唯一補うことができるのも心珠なのだと思う。


 その心珠も氷牙との揉み合いのうちに恵水湖へと落ちて行方知れずとなり、海の故郷に流れ着いてしまったがためにお前たち兄弟は心珠を求める九頭龍に襲われることとなった。


 つまりお前の兄がこの世を去ったのも私のせいなんだ」



 そこでセイは言葉を切った。


「どうだ、幻滅したか?


 いかに私が愚かな人間か分かったらさっさとここから立ち去れ」


「立ち去らないよ!」


 海は大声で否定した。


「僕はセイが愚かだなんて思わない!


 セイがお兄さんの手伝いをしようと思ったのはお兄さんの力になりたかったからでしょう?


 その“氷牙”ってヤツのことだって、セイは友達だと思ってたなら信じたいと思うのは当たり前だし、僕の兄ちゃんのことなんてもっとセイは関係ないよ!」


「そんなのは綺麗事だ」


「綺麗事じゃない!自分のせいじゃないってちゃんと」


「止めろ!」


 セイは海の言葉の途中で堪らないといったように叫んだ。


「もういいんだ。放っておいてくれ。


 氷牙が帝を襲ったどころか、そもそも氷牙という者がいたという証拠も示せないのに今更身の潔白を主張したところでどうなる。


 これ以上後悔するようなことをしたくはない……」


「……後悔するかどうかなんて、やってみないと分からないよ。


 それに、たとえ後悔したっていいんだよ。


 大切なのは、次また同じ後悔をしないようにどうすればいいかって考えて行動することだよ」


「考えているさ」


 セイは自嘲するように言った。


「いつだって考えている。今度こそはと。でもそれでも失敗する。これ以上どうすればいいんだ」


 苦しさの滲む声に海はぎゅっと拳を握った。


「なら、僕がセイが失敗しないように一緒に考える」


「え?」


 セイは思わず扉を振り返ってしまった。


「だから、これからはセイが迷った時や困った時は僕もどうすればいいか一緒に考える。


 一人では上手くできないことも、二人ならきっとできるよ!」


 そう言うと海は元気よく握った両拳を空に突き出した。


「よぉーし!まずは早くここから出よう!


 それでセイが帝を襲ったっていう誤解を解いて、早く心珠を見付けに行こう」


 そうして立ち上がると再び扉に体当たりを始めた。


「どうしてそこまでするんだ……」


「どうしてって言われても。


 さっきも言ったけど僕はセイが愚かだとは思ってないし、とっても優しいことを知ってるから。


 そんなセイが好きでこれからも一緒にいたいって思ってるだけだよ。


 それに……」


 海は拗ねた様に、そして照れた様に叫んだ。


「僕だってセイの友達になりたいんだ!」


「……は?」


「ほら、セイも一緒に体当たりして!いくよ、せー」


 の、と言おうとした時だった。



 海の顔の横を黒光りする何かが凄まじい速さで通り過ぎドンッ!と鈍く重たい音がした。


 ハッとして振り返った海は愕然とした。


「なんで……」



「久しぶりだなぁ、クソガキ。こんなところで会えるなんてよ。


 今度こそお前を殺してやるぜ」



 そこには空の命を奪った男、血黒丸ちぐろまるがニタリと嗤って立っていた――。





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