第10話 兄の献身

 建物の中をそっとのぞくと、空のほかに鷹斗がいた。


 二人は向き合って右手のひらを合わせていた。


(何してるんだろう?)


けまくもかしこき天龍に空がかしこかしこもうす。われ志同こころざしおなじくす鷹斗と共に、この世の邪を祓い続けんことを誓う。われらを連花れんかとしその加護かごを与えたまえ」

 

 空が言葉を紡ぐと、大気中から現れた水が二人の周りをぐるりと一周し重ね合わせた互いの手の甲へと吸い込まれ何かの模様もようとなった。


「?!」


 海がびっくりしてよく見ようと無意識に身を乗り出した時、カタンと戸が鳴ってしまった。


「海?」


 見つかってしまった海は気まずさに焦りながら口を開いた。


「兄ちゃん今日帰ってくるの遅かったから、迎えに来ようと思って……。勝手に入ってきてごめん。盗み見するつもりもなくて、ええと、さっきの何?水が手の甲に入っていったよね?」


 すると空は仕方がない、といったようにため息をついてから海の質問に答えてくれた。


「“連花れんかちかい”だよ」


「レンカの誓い?」


「言祝師になるための儀式だ。正確には見習いの、だけど。


 見てごらん。兄ちゃんと鷹斗の右手の甲に花のつぼみの絵が現れているだろう?正式な言祝師になったらこの花を咲かせることができるんだ」


「コトホギシ?何それ」


「邪瘴を祓うことのできる者のことだ」


「そんなことできるの?!あ、もしかしてそれが天龍様の加護ってヤツなの?兄ちゃんすごい!」


「だから、村を出る」


「……え?」


「言祝師になるには都へ行かないといけないんだ」


「そんな、ずっと一緒って言ってたのに」


 海は突然冷水を浴びせられたかのような気持ちになった。


登龍門院とうりゅうもんいんっていう言祝師になるための学校へ通って言祝師認定試験に受かれば一年で帰れる」


「すぐ受かるの?」


「それは……」


「毎年合格率は一割にも満たない」


 それまで黙って成り行きを見守っていた鷹斗が口をはさんだ。


「鷹斗!」


「一年で戻ってこれる保証はない。むしろ戻ってこれたら奇跡だ。


 真実を告げずにいなくなる方がこくなんじゃないのか?」


「嫌だよ、それならならなくていい!」


「もう、決めたんだ」


「ッ!兄ちゃんも父さんと一緒だ。僕を置いていくんだ。もういい、兄ちゃんの嘘つき!大嫌い!どこへでも行っちゃえ!!」


「海!」




 海はひたすらに走り続けた。悲しくて、悲しくて、気が付くと先日忍冬を見つけた場所に来ていた。あの時から何ら変わった様子はなく、忍冬も風に吹かれて心地よさげに揺れていた。


 そっとしゃがんで花を撫でる。


「何が山は危険だ、だよ。なんともないじゃん……」



 しばらくその場でぐずぐずと泣いていた海は、遠くから空が呼ぶ声が聴こえて涙をぬぐった。


 泣いて少し冷静になった海はいきなり喚いて飛び出してきたことを後悔していた。


「兄ちゃんに謝らないと」


 ようやく重たい腰を上げて前を見た瞬間、海は再びカクンと崩れ落ちてしまった。


「あ、あ、ああ……」


 今まで本物は見たことは無かった。しかし、。とてつもない恐怖に体の震えが止まらない。


 これが、死の霧邪瘴――。


「海!!」


「ああああああああ!!」


 空が海を見つけたのと、邪瘴が黒い蛇に変形し海に噛み付いたのはほぼ同時であった。


「海を離せぇえええ!!」


 空が蛇を追い払おうとするとパッと元の霧に戻った。


「海、海!!」


「兄ちゃん、ごめんなさい、酷いこと言って。駄目って言われたのに山にも入って……」

  

 空が抱き起した海は息も絶え絶えで、呪われた印である黒い痣が浮き上がっていた。 


「もういい、無理して話すな!」


「空、危ない!」


 今度は空に噛み付こうとした蛇にどこからか飛んできた石が命中し霧散むさんした。


「鷹斗!」


「こっちだ!」


 空は海を背負って鷹斗とともに逃げるがその後ろを蛇は追ってきていた。


「あれが“邪蛇じゃび”か。邪瘴が人を襲う時の姿だって言う……。なんてしつこいんだ!」


「鷹斗、海を頼む」


 空は背負っていた海を鷹斗に託すとその場に立ち止まり後ろを振り返った。


「おい、何するつもりだ!」


「あの邪瘴を祓う」


「?!無理だ。見習いの契約だってさっきしたところなんだぞ?!」


「俺は!海を守りたくて言祝師になるんだ!今やらなくていつやるんだよ!」


 そう言うと空は手を胸の前に掲げた。


けまくもかしこき天龍に空がかしこかしこもうす。われに邪を祓いし太陽を与えたまえ。でよ“龍心環りゅうしんかん”」


 空が叫ぶように祈詞を唱えるとなんとか龍心環が姿を現した。


「よし!


 けまくもかしこき天龍に空がかしこかしこもうす。の者を砲撃ほうげきたまえ。“豪流水砲ごうりゅうすいほう”!!」


 空は再び力いっぱい叫んだ。すると龍心環から放たれた水が邪蛇にぶつかりそのまま消滅させた。



「流石空だ!初めてなのに邪瘴を祓ったぞ!!」


 歓喜する鷹斗に向かって空は駆け寄ると海を地面に寝かせ龍心環を構えた。


けまくもかしこき天龍に空がかしこかしこもうす。もの宿やどりしじゃを祓えたまえ。“清浄祓せいじょうは”」


 海を水の繭が包み黒い痣が消えて行った。


「もう大丈夫だ」


 汗と泥にまみれてぐちゃぐちゃの空はしかし、そんなことを一向に気にすることなく安心したように笑った。


「兄ちゃん、ごめんなさい、ありがとう」


 そんな空にやっと痛みが引いていつも通りに呼吸ができるようになった海は泣きながらごめんなさいとありがとうを繰り返した。




「兄ちゃんは本当にすごいね。さっきも邪瘴を倒しちゃったし僕も助けてくれた。何でもできるんだ」


 帰り道、海は空に負ぶわれながら尊敬を滲ませて言った。


「そんな訳ないだろ。さっきは何とかなったから良かったけど、本当にギリギリだったんだからな。もっと修行してちゃんと言祝師にならないと」


「言祝師……。兄ちゃんが言祝師になりたい理由って、僕のためだったんだね」


 海が言うと空は少しの間黙り込んでから視線を僅かに下げて、困ったなと少し恥ずかしそうに笑った。


「内緒にしておくつもりだったんだけどつい言っちゃったよ。


 最近邪瘴が増えてきているからさ、もし海が襲われるようなことがあったらって。

 

 兄ちゃんにとって海はかけがえのない弟だから海がいなくなるなんて考えられない。海にはいつだって笑っていてほしい。


 だから後悔しない道を選びたかったんだ」


 そう言って海の方へ首を捻り穏やかに微笑む空を海はじっと見つめた。

 

 いつもの優しい顔。だけど、その瞳の奥に硬い意志を感じた。


「……僕だって、兄ちゃんのこと大事だもん。


 決めた!僕も言祝師になる。それで兄ちゃんのことは僕が守る!これからもずっとずっと一緒だよ」


 海が宣言すると、空は吃驚したように目を見開いたが、それはそれは嬉しそうにふにゃりと笑った。


「ありがとう。楽しみにしてるよ」






 ◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..



「兄ちゃん……?」


「良かった」


 ぼんやりとした視界がはっきりしてくると、空が口から血を流しているのが分かってぎょっとして跳び起きた。


「兄ちゃん血が!どうしたの?!」


「それだけ元気なら大丈夫そうだな」


 心底ほっとしたように笑う空に海は今までを思い出してハッとした。


「邪瘴が祓われてる。しかも傷まで治ってる!流石兄ちゃん、ありがとう!」


「良くもやってくれたなァ……」


 空と海は勢いよく声のした方向を見た。視線の先では消耗した様子の血黒丸がゆっくりと立ち上がるところであった。


「心珠を寄越せ」


「しつこい奴だな」

 

 空は呆れたように笑った。


「今度こそ二度と立ち上がれないようにしてやる、と言いたいところだが。


 残念だが俺にはもうお前の相手をする力はない。だから、お前に持っていかれるくらいならこうしてやる!」


 空は心珠を握った腕を思いっきり振りかぶると近くの濁流の川に投げ入れた。


 その途端血黒丸は絶叫した。


「何をするんだ!!許さん!お前らぶっ殺してやる!!」


 血黒丸は怒り狂い、それに呼応するように邪瘴がまるで嵐のように周りの竹をなぎ倒していった。


「海、逃げろ!」


 海を庇うように血黒丸の前に立ちはだかった空に海は叫んだ。


「兄ちゃんは?!」


「良いから逃げろ!」


「嫌だよ!このままアイツと戦ったら今度こそ兄ちゃん死んじゃう!


 約束したじゃないか!今度は僕が兄ちゃんを守るって!」


「……分かった」


 その言葉に海がパッと顔を輝かせるのを横目に、空は早口で祈詞を唱え始めた。


けまくもかしこき天龍に空がかしこかしこもうす。の者に千里の道を駆け抜ける駿馬しゅんばを与え給え。“水風馬すいふうば”」

 

 空の術によってあっという間に水でできた馬が誕生した。空は素早く海を担ぎ上げると馬にまたがらせた。


「兄ちゃん?!」


「海、言祝師にならなくても海は海だと言ったが前言撤回ぜんげんてっかいだ。


 まっすぐで思いやりがあって、誰かのために一生懸命努力できるお前は言祝師に向いている。


 兄ちゃんのすべてをかけてお前に託す。


 言祝師になって兄ちゃんのことを守ってくれる代わりにたくさんの人を守っておくれ。


 さぁ行け!」


 その言葉に水風馬は一ついなないてから猛烈もうれつな勢いで駆け出し始めた。


「嫌だ、こんなの嫌だよ!!」


「さよならだ。海、元気で」


「兄ちゃん、兄ちゃぁあん!!」




 海の悲痛な叫びも虚しく、水風馬は空を残しただひたすら前へと進んでゆくのであった。






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 ここまでお読みいただきありがとうございます。


 第一話あとがきでも触れましたが、本日12時より始まるカクヨムコン9に本作品で参加いたします!


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