第9話 忍冬(すいかずら)

 痛い、苦しい……。 


 兄ちゃんが呼んでるのが聞こえる。だけども体が動かない。


 いよいよ意識が遠のいてゆく中、昔も似たようなことがあったな、と海は記憶の底に沈んでいった――。




 ◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..◇。..



「――み、海!どこだー?」


「ここだよー!」


 空が呼ぶ声に海は茂みの中からひょっこり顔を出した。


「兄ちゃん、忍冬すいかずら見つけた!」


「お、やるじゃないか。忍冬は良い薬になるからな」


「それに蜜が美味しい!僕、忍冬が植物の中で一番好き!」


「そうだな、兄ちゃんも大好きだ」


 弾けんばかりの笑顔の海を空は眩しそうに見ながら微笑んだ。


「この忍冬で作った薬はいつものように近くの村々に売りに回ろう。今から冬に向けて少しでも貯金しておかないとな」


 空は忍冬の前にしゃがみ込むと、どうかその恵みを分けてほしい、と花に語りかけてからそっと収穫を始めた。


「うん、売りに行く時は僕も行く!兄ちゃんと僕はいつも一緒だよ!」


「もちろんだ」


 空の隣にしゃがんで収穫を手伝い始めた海の頭を空は優しく撫でた。



 海が六才の時に突然父がいなくなってから早五年。空はよわい九才の頃から一家の大黒柱となった母を助けるべくよく山に入るようになった。そうして山菜や薬草を採っては日々のかてとしたり、売り歩いて家計の足しとしていた。


 いつも朝早くから夜遅くまで働いてくれている母に代わって空に育てられたと言っても過言ではない海は、自分も役に立ちたいと近頃やっと同行のお許しを得て空と一緒に山に入っていた。


「イタッ!」


「どうした!?」


「切っちゃった」


 海は忍冬に夢中で隣の木の枝が伸びているのに気づかず頬を切ってしまっていた。


「兄ちゃん、治して」


 海が甘えたように言うと、空はやれやれといったように首を振った。


「仕方ないな」


 指をかざすとどこからともなく現れた水滴が傷をおおい、みるみるうちに傷口を塞いでいった。


「兄ちゃんありがとう!」


 傷が治ると海は嬉しそうに空に抱き着いた。


 何故空だけがこんなことができるのか海は良く分からなかったが、以前空に聞いたら天龍様てんりゅうさま加護かごかな、と言っていたので海は特別天龍様に気に入られているらしい空のことをさらに尊敬するようになった。




「今日は山菜も薬草もたくさん採れたね」


 帰り道、忍冬の蜜を吸いながら海は上機嫌に言った。初夏を迎えた今、草木は伸び伸びと生い茂り自然の恵みも多かった。


「そうだな、明日はこれで薬を作ろう」


 空も嬉しそうに背負っていたかごを揺すった。


「空ー!海ー!」


「あれ?母さんだ」


 そろそろ村の入口に差し掛かろうかという頃だった。前方から母が尋常じんじょうではない様子で走ってきていた。


「良かった、良かった!」


 二人は急に母に力いっぱい抱きしめられ目を白黒させた。


「母さんどうしたの?」


与平よへいのおじさんが山で邪瘴を見たって血相を変えて村に帰ってきたのに二人ともまだ帰ってこないから心配してたのよ!」


 驚いて空がたずねると、他にも村の大人たちが駆け寄ってきて口々によかったと言いながら教えてくれた。


「最近邪瘴が増えてるって聞くしな。今日平気だった場所も明日は分からない。危険だからもう山にはいかない方がいいぞ」


 その言葉に海はでも、と口ごもった。海には未だ見たことのない邪瘴より山の恵みを得られなくなることの方が切実な問題に思えた。


「お願い、もう行かないで。母さんもっと頑張って働くから」


「母さんはもう十分頑張ってくれてるよ。分かった。これからは山に入らなくてもできることをするよ。な、海」


 そう空から言われ、海は渋々しぶしぶこくりとうなずいたのだった。





「兄ちゃん遅いなぁ」


 空は山に入らなくなってからよく幼なじみの鷹斗の家に行くようになった。


 しかし何をしてるのか聞いても仕事としか教えてくれない。


 ただいつも沢山のお土産をもらって帰ってくるので海は何となく鷹斗の父は村長をしていることから村の中では珍しく読み書きのできる空はその手伝いとして重宝ちょうほうがられているのだろうと思っていた。


 けれども今日はいつも帰ってくる時間になっても戻ってくる気配が無い。その後もしばらく待ってはみたがやっぱり帰ってこないのでついに海は空を迎えに行くことに決めた。


 上手くいけば空がどんな仕事をしているのか知ることができるかもしれない。


 海は少しわくわくした気持ちで家を出た。




 鷹斗の家は村の奥にある一番大きい屋敷である。屋敷の周りにはぐるりとへいが巡らされてあり少し厳めしい感じだが、海は幼馴染の家ということもあり怖いもの知らずでヒョイと門をくぐった。


 どこにいるのかな、と辺りをウロウロとしていると誰かの話し声が聞こえた。


「また邪瘴が出たらしい」


 海はびっくりして足を止めた。


「今度は三つ隣の村だ。何人も襲われたと。村人総出であちこちに言祝師がいないか聞いて回ったらしいがやっぱりこの辺りにはいないようだ。


 後は都に頼むしか無いだろうが、ここらは都に出るまでひと月近くかかる距離だからなぁ。向こうに頼みに行ってそれから来てもらうってなると最低ふた月はかかる」


「そうなるともう襲われた者たちは助からんな……。


 ああ、どうにも気が塞ぐねぇ。近頃はあちこちでこんな話ばかりだ。


 この村に邪瘴が来るのも時間の問題かもしれんな」


「そうなったらもう終わりじゃ」


 まだまだ話は続いていたがこうも立て続けに邪瘴の話を聞くとさすがの海も漠然ばくぜんとした不安に襲われて聞いていられなくなり逃げる様にきびすを返した。


(兄ちゃんを探さなきゃ)



 改めて辺りを見渡すとちょうど建物の中に入ってゆく空の後ろ姿が見えた。





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