第18話 龍力試験

「受験者はこちらへ進んでください」


 言祝師試験第二課題ことほぎししけんだいにかだい龍力試験りゅうりょくしけん


 海は他の受験者と共に試験官に誘導され心ここにあらずな状態で登龍門院の中を歩いていた。



 海が空を見かけた日の夜、“筆記試験合格”と書かれた文鶴ふみづるが海の元へと届いた。


 あんなに待ち望んでいた知らせなのに海は空のことで頭がいっぱいで素直に喜べないまま今日を迎えてしまった。



「――、……い、おい!」


「わっ」


「しっかりしろ。お前は言祝師になりたいんだろう。今は試験に集中して兄のことは考えるな」


「ごめん」


 海が謝るとセイはため息をついた。


「天跳びはひとまず木の枝ぐらいまでは跳べるようになったので大丈夫だろう。


 創刃そうじんする祓月刀はげつとうは考えたのか」


 その問いかけに海は気まずげに視線を逸らした。


「本当にごめん」


「もういい。私の小刀でそれらしく見せる」


 またため息をつかれるかと思った海は予想外の答えに逸らした視線をセイに戻した。


「え、でもセイの小刀は普通の刀だよね?そもそも僕が創刃してないし、ズルなんじゃ」


「この小刀には邪瘴を切ることのできるまじないがかかっている。以前も九頭龍と戦った時に使ったのを覚えていないのか?これなら多少は誤魔化せる。


 お前は必ず言祝師になるんだろう。なら手段を選んでいる場合じゃない。できることに集中して確実にこなせ」


「……うん」



「こちらでお待ちください」


 ようやくたどり着いたそこは恵水湖けいすいこに張り出した板張りの四角い舞台のような場所だった。見晴らしが良く登龍の瀧を流れ落ちる水の音、そしてしぶきを真近で感じられる圧巻の景色が広がっている。


 受験生の中にははしゃいで「うおおお、すごい瀧が近いぞ渚介なぎすけ!」「ほんとだ、水しぶきでビショビショだよけいちゃん!」と歓声を上げている者がいて試験官に怒られていたが、一番そういうことをしそうな海は何とか集中しなければと目を瞑って深呼吸を繰り返していた。


「妙だな」


「え?」


 セイのいぶかしむ声に海はようやく目を開けた。


「以前も言ったが例年龍力試験は龍心環を顕現させる、術を放つ、創刃、天跳びの四つが課題として出される。そのため会場として登龍門院の学舎の修練場が使われている。


 もし何らかの理由で修練場が使えなかったとしても、こんな恵水湖の上の狭い場所で四つの課題をするのは適しているとは思えない」


「そうかな?それなりに広いと思うけど……」


「なら、どこで天跳びをする?ここにはが無い」


 そう言われれば、と海が考えた時だった。


「それでは龍力試験を始めます」


 前方から声が聞こえ海とセイは一旦会話を止めた。声の主は以前試験の受付をしていた女性だった。


 よく見ると今日は目が死んでいるような気がした。


「その前に、本年より新しく就任しました試験監督をご紹介します」


 突然ピロリ~と笛の音が聞こえてきたため驚いて辺りを見渡すと、いつの間にか楽師たちが受験生たちを取り囲んでおり演奏が始まった。さらにはその音楽に合わせて恵水湖からいくつもの水柱が吹きあがった。


 受験生たちの間からざわめきが起こるも演奏と水柱は止まることなく続いてゆきいよいよ曲も終盤かという頃、ドコォンと一際大きな水柱が吹きあがったと思ったらなんとその中から勢いよく人が飛び出してきた。


大師だいしが一人、泉美貴瑶いずみきようです」


「ようこそ鯉たちよ!私が大師だいし泉美貴瑶いずみきようだ!」


 その人物はいかにも洒落者しゃれものといった華美な装いの男だった。が、登場した瞬間強烈なにおいが辺り一面に充満し、全員ウッとうめいて急いで鼻をおおった。


「どうだい、素晴らしい演出だっただろう!そうそう、今日は諸君しょくんとの初めての出会いだからね。いつもより香も特別なものを焚いてきたんだ。良い香りだろう。香は私の趣味でね。私のことはぜひとも“かおるの君”と呼んでくれたまえ」


 いつの間にかいた小柄な青年が貴瑶に紙吹雪をかけると、貴瑶は完全に決まったという顔で受験生たちを見た。


 二人の右手の甲には水仙の花紋が刻まれており連花であることが分かった。


「ゲェ、薫の字使うなんてサイアク。私たちと被ってんじゃん。“薫の君”なんてどんな冗談?」


におうを通り越して“クサいの君”だな」


 意外と海たちの近くにいた菊薫子と菊薫哉が思いっきり顔をゆがめてボソリと悪態をついた。ちなみに真更木まさき土円どうえん火緒里ひおりたちも近くにいたが一様に鼻を袖で隠して黙り込んでいた。


 海はというと田舎育ちで“香”というものに不慣れだったため鼻を覆っていても臭いを強烈に感じてしまい気分が悪くなってきていた。


 しかしそんなことなど知る由もない貴瑶は芝居がかったしぐさで話を続けてゆく。


「いよいよ第二課題、受験生の諸君は己の実力を試したくてうずうずしているだろう。私もかつてはそうだった。しかしすぐにがっかりした。そう、、ね。


 そこで!今回は諸君ががっかりしないよう、私自ら従来の試験とは異なる特別なものを用意した!!」


 貴瑶が高らかに声を張り上げると受験生たちに動揺が走った。


「やはりか……」


 セイも思わず渋い声で呟いた。


「かつて初代帝はこの登龍の瀧を登り天龍に認められ言祝師となった。


 ならば、ここにいる諸君もこの瀧を登って言祝師となるべきだと思わないか?」


 そう言うと貴瑶は仰々しく背後の崖を指し示した。


「第二課題は“鯉の瀧登り”だ」


 その瞬間大きなざわめきが上がった。


「それはあまりにも危険なのではないですか?!もし登っている途中で落ちたら」


 受験生の誰かがたまらず貴瑶に質問した。頂上まではかなりの高さがある。登り切れずに落ちてしまったら命の保証はない。


「心配無用だ。


 けまくもかしこき天龍に貴遥がかしこかしこもうす。すべてを映す鏡を与え給え。“水鏡すいきょう”」


 貴瑶が詠唱するとゴゴゴゴゴゴと音を立てて恵水湖から大量の水が持ち上がり水の塊ができた。塊は徐々に平たくなり、遂には海たち受験生をくっきりと映す巨大な鏡となった。


「なんて凄まじい術だ……」


 真更木が思わずといったようにうめいた。


「この鏡を通して君たちを見ているから、落ちても私の守刃の湖太郎こたろうが回収するよ。


 ちなみにこの鏡は内裏にも作ってあるからね。今回の試験は東宮とうぐう太政大臣だじょうだいじん、そして筆頭大師ひっとうだいしもご覧になっている」


 そう貴瑶が言うと今度は上等で雅やかな衣装を身に纏った人々が巨大な水鏡に映り受験生の間に緊張が走った。


「そう硬くならなくてもいい。


 さぁ、ここに一本の線香がある。この線香も今日のために私が丹精込めて数多あまたの香の調合を行って作ったものだ!この線香が燃え尽きるまで約二刻(約一時間)。それまでに守刃と協力して瀧の上、成龍せいりゅうまで登りきるように。試験内容はそれだけだ。単純だろう?」


 貴瑶はそこまで言い切ってから、受験生たちを見渡してふとある場所で眼を止めた。


「おや?」


 貴瑶はスタスタと受験生たちの方へと歩み寄った。すると当然臭いも濃くなってくるため受験生たちはズサササッと避けてまるで花道のようになった。しかし貴瑶は気にせずある受験生の前で立ち止まった。


「キミ、具合が悪そうだ。大丈夫かい?」


 その時海はいよいよ臭いで気持ちが悪くて半分意識が飛んでいた。そのため当初自分が話しかけられていると分からなかった。しかし隣にいたセイに小突かれて意識を持ち直して仰天した。


「だ、大丈夫です!」


「しかし顔色があまり良くない」


 貴瑶は心配そうに覗き込んでくるが、より臭いがして海は涙が滲んできた。


「本当に!大丈夫!元気です!」


 海は必至で顔を背けながら鼻を覆っていない方の手を振った。


 しかしその時悲劇が起こった。海の手が貴瑶の持っていた線香に当たり、ポキンと真っ二つに折れてしまった。


「あ」


 その瞬間、空気が凍り付いた。


 シンと静まり返った会場に誰かのゴクリという生唾を飲み込む音が響いた。


「……なるほど。確かに元気が有り余っているようだ。なら、線香も半分になったことだし、この半分の線香が燃え尽きるまでの時間、つまり一刻(約三十分)でよさそうだな。


 しかし一刻かぁ。それは私でも登り切るのは骨が折れるなあ」


 貴瑶の言葉に周りから悲鳴が上がる。


「え、いやあのっそうじゃなくって!違うんです!ごめんなさい!」


 海はなんとか弁明をしようとしたが貴瑶はサッサと元の位置に戻ってしまった。


「湖太郎」


「はい、薫の君。準備はできております」


 湖太郎と呼ばれた先程紙吹雪をかけていた青年は既に机と香炉、火の準備をして貴瑶を待っていた。

 

「では諸君、死に物狂いで頑張ってくれたまえ。はじめ!」


 貴瑶は蟀谷こめかみに青筋を浮かべながらにっこり笑うと半分に折られてしまった線香に火を付けたのであった。







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