第19話 鯉の瀧登り

「おやおや」


 成龍の地の内裏にある紫宸殿ししんでんにて空に浮かぶ巨大な水鏡を見ていた涼親はくくく、と笑った。


「笑い事ではありませぬぞ。なんというお粗末さ。だから私は今年も従来の試験官に試験方法で良いと言ったのです。筆頭よ。どう責任を取るおつもりですか」


 太政大臣だじょうだいじん水武洪業みぶひろなりは厳めしい顔を歪ませて憎々し気に涼親を糾弾きゅうだんした。


「まぁまぁ、毎年同じではつまらないでしょう。帝のこともあり即戦力となる言祝師が必要な今、こういった試験の方が実力が分かりやすというものです。


 東宮とうぐうもそう思われるでしょう?」


 すると言い合う二人に挟まれながらも我関せずで水鏡を見ていた東宮、瀧正たきまさはジロリと涼親を一瞥いちべつした。


「私を太政大臣からの攻撃の盾に使うとはいい度胸だな。


 だがこれまでの試験内容が生温かったのは確かだ。泉美はふざけた奴だが目の付け所は悪くない。せいぜい楽しませてもらおう」


「……」


 瀧正の後ろには、瀧正の守刃の水武滉影みぶあきかげが控えていた。滉影は洪業ひろなり養子ようしであったがどちらかと言えば涼親の肩を持った瀧正に対して養父ようふ援護えんごするでもなく知らぬふりで黙っていた。


 瀧正と滉影、二人の右手の甲には絢爛豪華けんらんごうか白牡丹しろぼたんが咲き誇っている。


「ええもちろんです。貴瑶きようは私の愛弟子まなでしの一人ですからね。必ずや東宮にご満足いただける試験にしてくれることでしょう」


 そう言って涼親は面白そうに笑った。


「ああほら、鯉たちがこちらへ向かって登り始めましたよ。……おやおや、中々変わったことをする者がいるようです。


 おしゃべりはこのくらいにして続きを楽しみましょう」






 場面は戻って恵水湖けいすいこの上、最も早く登り始めたのは火緒里ひおり燐々音りりねだった。二人が進むごとに赤い軌跡がまるで火花のように散っていた。


 続いて菊薫哉きかや菊薫子きかこ土円どうえん叡慧えいけい真更木まさきは一瞬海を心配そうに見てから奈由多なゆたと共に跳び上がった。


 どんどんと他の受験生たちも登り始める中、海とセイは登り始めることができずにいた。


「セイ、どうしよう、僕のせいで時間が半分になっちゃった。それにあんな遠くまで、どうしたら登りきれるんだろう」


 海はほとほと困ってセイに話しかけた。見上げても雲にはばまれ頂上が見えない。一方のセイはうつむき何かを考えているようだった。


 海はセイが何を考えているのか知りたかったが相変わらず頭の上から被った衣のせいで表情が分からない。


 やがて顔を上げたセイは一言だけ海に告げた。



「??おぶれ??」


「早くしろ、時間が無い」


「もしかしておぶれって、おんぶしろってこと??セイを背負せおうの??」


「そう言っている」


 セイは海の背にまわり肩に手を置くとパッと飛び乗ったので、海は慌ててセイを支えた。


 するとセイは海の背に手を当てた。


「以前お前が龍心環を顕現させ術を放つのをこうして補助したことがあっただろう。あれの応用をする。私がこのままお前の龍力を調整し続けるからひたすら上だけ目指して登るんだ」


「えっ、でもだからそれもズルなんじゃ…」


「試験監督は言祝師と守刃で協力しろと言っていた。守刃が言祝師の龍力に干渉してはいけないとは言っていなかっただろう。ならズルではない」


「そうなのかな……?」


「ごちゃごちゃ考えるな。いくぞ、走れ!」


「え、えええええ」


 セイが体内の龍力に干渉するのを感じた海はもうやるしかないと瀧に向かって走り出した。


「今だ、跳べ!」


「えい!」


 海はセイの掛け声に合わせて跳び上がった。するとセイが龍力を調整しているおかげで海は今までよりも足にスッと力が入るのを感じた。一跳びの距離も倍ほど違う。


「すごい、すごいよセイ!」


 海は嬉しくなり振り返ろうとしたところをセイにガシッと頭を掴まれた。


「前を見ろ!瀧に突っ込む気か?!早く跳び直しをしろ!」


「ええええええ?!跳び直し?!え、どうするの?!」


「真更木にコツを教えてもらったんじゃなかったのか?!」


 コツ、コツ、と海は必至で記憶を辿った。えっと、真更木は何て言ってたっけ――……。


星屑ほしくずの上をけるように』


「あっ」


「早くしろ!!」


「行くよ!!せぇの!」


 海は足裏に龍力を固めるとあたかもそこに星屑があるかのように踏み込み、跳んだ。


「やった!!」


 フー、と海とセイは揃って息をついた。二人とも今になって冷汗を大量にかいていたことに気付いた。


「何とかなって良かった。この調子で頂上まで、」


「危ない!」


 海の言葉を遮って、黒い“何か”が上から襲い掛かってきたのをセイは咄嗟に小刀で切り裂いた。すると“何か”は紙くずとなってから燃えて空中に消えていった。


「今のは何?!蛇みたいに見えたけど、もしかして邪蛇?」


 海が驚いて訊ねるとセイは「違う」と否定した。


紙術しじゅつだ」


「シジュツ?って何だっけ?」


「紙を用いた術のことで、簡単に言うと文鶴ふみづるの亜種だな。


 上をよく見ろ。どうやら試験監督は素直に登らせる気はないようだ」


 その言葉に改めて上空を確認した海は言葉を失った。邪蛇を模したのであろう黒い紙の大群が降ってきていた。


「紙術の対処は私がする。お前は天跳びに集中しろ」


 そう言ってセイが小刀を構えた次の瞬間、二人は蛇の大群に呑まれたのであった。




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