第2話 禁忌の扉

 ――しばしの逡巡しゅんじゅんの後、清正きよまさ氷牙ひょうがへ頷いた。


「氷牙を信じる。扉を開けよう」


 清正は深呼吸をしてから扉に向かって両手をかざすように構えた。


けまくもかしこき天龍に清正がかしこかしこもうす。われに邪を祓いし太陽を与えたまえ。でよ“龍心環りゅうしんかん”」


 すると清正の手元に美しい円環えんかんが現れた。さながら日輪にちりんのようなそれは言祝ことほぎを行うための神器しんき龍心環りゅうしんかんである。


けまくもかしこき天龍に清正がかしこかしこもうす。扉を開きたまえ。“開永封門かいえいふうもん”」


 清正が術を唱えると龍心環が青く光り扉に施された様々な封印の術式が一気に浮かび上がった。そのどれもが緻密ちみつで複雑に絡み合いまるで一つの巨大な術式のていをなしている。それなりに名の知れた言祝師ですら全ての封印を解くのは不可能な代物しろものであると言えた。


 しかし清正はそれを凄まじい速さで次々と解いてゆく。


「清正頑張れ!あと少しだ!」


 絡まった糸を解くように一つひとつ術式を切り離しさらにその術式を解除するという繊細せんさいな作業に清正は次第に疲弊ひへいしていった。汗も止まらず限界が来ていたが歯を食いしばって耐えた。


 これで天龍がよみがえる。そうすればまた――。


「?!」


 全ての術式を解除した瞬間だった。


 内側から扉が開き中に閉じ込められていたに清正は吹き飛ばされていた。


 橋の床板に激突し一瞬意識が飛ぶ。何とか上体を起こした清正は扉を見て呆然とした。


 扉の中からは辺りが一気に黒くけぶるほどのおびただしい量の霧が勢いよく噴出ふきだしてきていた――。


「どうして扉の中から邪瘴じゃしょうが出てくるんだ…?」


「なるほどな。扉を開けただけじゃ“多少”邪瘴が出てくるくらいで完全復活にはならないわけだ。流石にそこまで甘くはないか。


 本体の封印を壊すとなるとやはりが必要、と……」


「氷牙?何を言ってるんだ?」


 清正はすぐ側の欄干らんかんの上に腰掛ける氷牙を見上げた。すると氷牙はこれまで見たことのない侮蔑ぶべつしきった表情で吐き捨てた。


「これだから世間知らずは」


「……嘘だったのか?」


「どうだと思う?」


「ッ!氷牙は天龍てんりゅうが眠っていると言った。なのに扉を開けたら邪瘴が出てきた。この中に天龍がいるはずがない!ここに封印されているとしたら……」


 導き出された恐ろしい答えに清正は声を震わせた。


邪龍じゃりゅうだ」


 それを聞いた途端氷牙は大口を開けて笑い出した。


「本当に馬鹿な奴。”唯一の大切な友達”にそそのかされてこんな扉開けちまってさ」


 氷牙は欄干から降りると立てないでいる清正の前にしゃがみこんだ。


「でもさ、俺も一応フリとは言えダチやってたわけだからさ、最後にお前のためにイイコトしてやるよ」


 そう言うと氷牙は清正の胸ぐらを掴み乱暴に欄干へ叩きつけた。そして痛みにうめく清正の胸に左手の平をグッと押しあてる。


「お前の言祝師ことほぎしとしての力、俺がもらってやる」


「あああああああああああああああ!」


 言祝師の力の源である龍力りゅうりょくは生命維持のためにも必須の力であり体内から尽きてしまうと死に至る。


 そのため清正は氷牙に龍力を奪われ凄まじい体の痛みと息苦しさに襲われた。


「ハハハハッ!良いザマだ!もっと苦しめ!」


 氷牙は高笑いするとなんとか逃れようともがく清正にさらに手を押し付けて抑え込み龍力を強奪し続けた。


「や、やめ……」


「オイオイ、本当に止めていいのか?


 お前、俺たちが初めて会った日に言ってたじゃないか。“こんな力欲しくなかった”って」


「聞いていたのか……」


「ハッ、自分がどれだけ恵まれているかも知らずによく言ったもんだよな!俺はずっとお前のことが憎くて心底嫌いだったんだよ!お前なんて死んでしまえ!!」


 氷牙の憎悪のこもった叫びに清正は血の気が引き体からどっと力が抜けてしまった。


 そうして茫然自失となった清正は氷牙にされるがまま龍力を奪われ続けとうとう息ができなくなってきた。


 段々と意識も遠のいてゆき、ついに自らの身の内でがして清正はゆっくりと瞳を閉じようとした、その時だった。



 目の前を水柱みずばしらが通り過ぎたかと思うとふと呼吸ができるようになった。


 前を見ると氷牙はおらず、側に誰かが立つ気配に見上げた清正は驚愕きょうがくした。


「父、上……」


「この愚か者どもが!」


 怒気どきはらんだ一喝いっかつに清正はビクリと体を震わせた。


「これはこれは帝様。待ってました。だけどもう少し遅く来てほしかったね」


 殿舎でんしゃの方まで吹き飛ばされた氷牙はゆらりと立ち上がると水で張り付いた前髪を左手で搔き上げた。破れた手甲てこうの間から黒鬼灯くろほおずきの禍々しいもんのぞいている。冷たく笑う氷牙からはこれまで清正が感じたことのなかった邪瘴の気配がしていた。


「邪瘴を身の内に飼っているのか。お前は何者だ?なぜこの扉のことを知っている」


「俺?俺は邪龍の復活を望む者、九頭龍くずりゅうの一人、氷牙だ。何で知ってるかって?それは秘密。


 俺はさ、アンタの持ってる心珠しんじゅが欲しいんだよね。とっとと譲ってくんねーかな」


「心、珠?」


 清正は何のことをいっているのかと困惑しながら呟いた。


「本当にお前は何も知らねぇんだな。天龍が初代帝に与えた莫大な力が込められた珠さ。そして代々帝に受け継がれているものだ。


 俺たちが邪龍を復活させるために必要なんだ」


「お前らには過ぎたるものだ」


「なら力ずくでいただくまで」


 そう言うと氷牙は左手を前に翳した。



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