第9話 ミルクティーの香り~各々の想いを添えて~②
「ヴぁー......隊長......」
「ん? 何だソフィア」
無事ソフィアの説得に成功し、心を許したソフィアがエレーナの肩に体を預け、まるで母親に甘えるようにエレーナの右腕に抱かれていた。
他の隊員は、ひとしきり喜んだ後、「ごゆっくり」だの「風邪ひくなよ」とか言いながら病院の中に帰って行っていた。
「皆はさ、隊長に自分のこと知ってほしいって言ってたじゃないですか」
「ん? ああ、そうだな」
二人は目をつぶりながら、ゆっくりと話していた。この時間を満喫するように、お互いの存在を、噛みしめるように。
「あたしは、言いたくは無いんだ......でも......迷ってて......」
「......無理に言うことはないぞ?」
「でも......」
「......」
「ほら、あたしって脱ぎ癖あるじゃないですか?」
「......ああ、そうだったな」
エレーナはソフィアの裸を見てしまった時の事を思い出し、あの時の肌は綺麗だったなぁ......と思い出していると、ソフィアがゆっくりと手を伸ばし、エレーナの手を触る。不意に手に触れられピクッとエレーナが驚くが、直ぐに受け入れ、ソフィアがゆっくりとエレーナの手をなぞる。
「肌が弱いのって、うちの家系ではあたしだけだったんだ」
「......そうか」
「子供の頃よく馬鹿にされてさ。真っ白だった私の肌は、血管が透き通って見えてさ、『気持ち悪い』とか『病気が移る』とか言われてさぁ。あたし悔しかったんだ。だからわざと日焼けしてさ。男っぽく振舞ってさ。舐められないよう必死だった」
「......」
「......あたしの実家がどこにあるか前に言ったことありましたよね?」
「......あぁ。ウラル地方だろう?」
すると急にソフィアの手がエレーナの手の中にするりと入り込む。そして指を絡めるようにして握り、エレーナもそれを受け入れ握り返した。
「知っての通り、ウラル地方は広大です。そこには色んな都市があります。そしてあたしが生まれた場所の名前は、『チェリャビンスク40』と呼ばれていました」
「......え?」
エレーナはその言葉に覚えがあった。チェリャビンスクは地名だ。だが驚いたのは、都市名の後ろに付けられた数字。それは、決して知られてはいけない存在に付けられる数字。
「そう、私が生まれたのは秘密都市でした」
「......」
「どんな所かは、隊長も知らないでしょう?」
「......知らない......」
「そこは、地図にも載らず、存在すら知られず、地名すら与えられなかった町。それがチェリャビンスク40......」
「......秘密都市出身の者と出会ったのは初めてだ......」
「当然です。その存在を口にすれば、誰一人として祖国では生き残る事ができなかったのだから」
「......そうか」
手を握る力が強くなる。ランタンの光を見つめるソフィアの目は、赤く揺らめきその心境を瞳に移しているようだ。
「秘密都市......それは、核施設の存在する都市。自国民ですら知らない、汚染された都市......」
「やはり......そうなのか」
エレーナは確信をする。その存在は噂程度にしか聞いたことがなかったが、その存在が噂される場所の近くで放射線レベルが上昇したり、陸軍が派遣されたりする事があった。そこには「何か」があった。だがそれを知るものは居なかった。
祖国でそういう事がある場合は、大体が核か、人体実験か、粛清関係か。いずれにしろ公にはできない事なのは容易に想像できた。
「あたしの生まれた都市には、原子炉がありました。親父はあたしが12歳になった頃、全てを話してくれました。親父は、原子炉に隣接する工場でプルトニウムを作っていたんです」
「............」
「親父は、あたしに近づこうとはしませんでした。そしてあたしを家から出さず、川にも近づけず、決して原子炉のある方へは連れていきませんでした」
「......そう、だったのか」
「......そしてあたしは母親が居ないのだと思ってたんです。子供の頃、家政婦は居ましたが、母親の事を見た事は無かった......」
そう言うとソフィアは再び目をつむり、エレーナの肩に頭を預けた。
「でも母親は生きていた。その存在を知ったのは12歳、父親が全てを語ったあの日......あたしの母親が、父親も知らないどこかで生きている事を知りました。でも結局会えなかった......」
「......そうか」
「......私の母親は、人質になっていたのです。放射線技師を拘束するための、人質」
「......」
「......あたしの街では、身の回りの物は汚染されていました。目に映る物全てが放射線を放っていました。車、バス、食べ物、川の水、そして友達も。そして何より汚染されていたのは........お父様でした......」
その時、ソフィアの頬を涙が伝い、エレーナの肩を濡らした。
震える声で、続きを語りだす。
「あたしは、お父様が持ってきた簡易線量計でそれを知りました。そして絶望を知りました。安全な場所等、もうあたしの街には存在しないと。私の大切な人は、見えない毒に侵され、そう長くはないと......」
「......そう、か」
「あたしの同世代の子は、病気になる者が多かった。皆鼻血を垂らし、殆どの子供が何かしらのアレルギーを持ち、そして死ぬ者も居た。でもそれが普通だった。小鳥の死体が道に落ちていても、何も疑問に思わなかった」
「......」
「街中の汚染源は、プルトニウム工場で働く男たちでした。ろくな防護服を与えられず一次冷却水を浴び、ビニール手袋でプルトニウムの容器を扱い、洗い流した廃液が乾燥して出来たプルトニウム粉末が大気を舞い、汚染された装置を素手で扱った男たちは皆、汚染され、その体も放射能化していた。......あたしの街では、女性専用車両がたくさんあったんです。ですがそれは痴漢防止などではなく、放射線を放つ男性から女性を守る為の物でした」
「......」
「あたしの街は、狂っていたんです......」
「そう、だったのか......」
あまりの衝撃の事実に、エレーナの頬に冷たい汗が流れた。祖国は狂っている。その事実を改めて実感する。
「街に住む一般人は、その事実を知るものは居ませんでした。あたしは放射線に関する知識をお父様から教えられていたので、その事実に気が付きました。でも、周りには言えなかった。町中には、不自然に居座る人や、道行く人を鋭い眼光で睨みつける人で溢れていました。あたしたちは、監視されながら生きていたのです」
「......秘密警察か......」
「......そうです。私達には、自由なんて無かった......」
「だから、誰も真実を言えなかったのか......」
「......でも、お父様は真実を私に教えてくれた......この世界の仕組み、生きていくのに必要な知識、そして核の恐ろしさ。放射線の怖さを......」
「......」
「だけど......私が15歳になった頃、その状況が一変しました」
「......何が、あったんだ?」
「突然、私の家に軍人達が押し寄せ、私を連れ去りました。その時、私は絶望から全てを諦め、言われるがまま車に乗り込みました」
「......」
「私は殺される物だと思いました。私は知り過ぎたのだと......その軍人達は私を町の外に連れ出すと、別の人物に引き渡しました。その人は私をトラックに幽閉し、そのまま私は運ばれました。そして扉が開くと、そこはキルギス共和国でした」
「......え?」
「軍人達は、兵士ではありませんでした。彼らは金で雇われた運び屋だったのです」
「......」
「依頼主は告げられませんでしたが、私はお父様だと考えています。そうとしか考えられませんでした。そうやって納得していたのです......」
「そうだったのか......」
「キルギス共和国に連れてこられた私は、軍事基地にそのまま連行され、根掘り葉掘り聞きだされました。でも私は真実を語らなかった。まだ、お父様に危険が及ぶかもしれないと思っていて、言えなかった......」
「そうか......」
「その時も、私は死を覚悟しました。拷問され、ひどい扱いを受け、そのまま息絶えるのだと......でも違いました。彼らは、私を軍の宿舎に泊め、かくまったのです」
「......だからソフィアには家がないのか......」
「はい......その後、私は軍人となる道を選んだのです。私は士官学校に志願し、そのまま軍人として育ちました。お父様に言われた通り、そこで私は死に物狂いで勉強し、生きるための"力"を身に着けました。そして卒業し、SAM連隊へと配属され、皆と出会った。それがあたしです......」
「......ソフィア......」
エレーナは再び優しくソフィアを抱きしめた。彼女は少し震えていて、とても熱かった。その体は小さいが、力強く生きているのを感じる。
「......あたしはどこにも帰るところがありません。だから、ここが家だと言ってもらえて、嬉しかった......」
「......あぁ。ここはソフィアの家だ。何時でも帰ってきて良いんだぞ......」
「......ありがとう。隊長......」
「......エレーナだ」
「......え?」
「二人きりの時は呼び捨てで構わん。寂しい時は、私に甘えるといい......」
「......うん......エレーナ......」
二人はしばらく、泣きながらお互いの事を抱きしめあっていた。
――――――――――――――Σ>三二二二>
よくわかるSAM解説! 特別編①「秘密都市」
「皆さんこんばんわ。ニーナです......隊長に泣きながら頼まれて解説に来ました......よろしくお願いします」
「SAM解説ではないのだけれど......今日はソ連時代の秘密都市について解説します」
「秘密都市とは、要は軍事用途の原子炉施設や、核兵器工場、ウラン鉱山、軍事的要地やレーダー基地で構成される都市です」
「チェリャビンスク40は実在し、作中と同じような状況でした......」
「その存在は完全に隠され、全てが街の中で完結していました。その為、外に出ることは困難を極めます」
「世間に知られるようになったのはソ連が崩壊してからの事で、徐々にその実態がメディアによって暴かれていきました」
「しかし、現在も稼働する施設のほとんどは2001年以降再び隠され、現在は現地民でも近づくことはできません」
「有名な核兵器を扱う施設がある場所は、クラスノヤルスク26やチェリャビンスク40等です。これらの施設は映像に収められ、今でも探せば動画が見つかります......」
「ソフィアは、そんな有名なプルトニウム生産施設がある、チェリャビンスク40で生まれ、育ちました」
「秘密都市の多くは1940年代終盤からヨシフ叔父さんの指示によって作られ、その存在をひたすら隠し続けました......」
「その都市へは立ち入りが制限され、自国民ですら滞在するのに当局の審査が必要でした。住民は外部へ情報を漏らすことを許されず、KGBによって厳しく監視されていました」
「これらの都市は、原子炉や燃料の冷却の為、川沿いや池の近くに建てられ、ずさんな管理により度々環境を汚染しています......」
「しかし住民には知らされておらず、何も知らない市民は汚染された川で遊び、魚を釣り、汚染された土で育てられた作物を食べて暮らしていました」
「健康被害が出た例は数え切れず、多くの住民が犠牲になりました」
「高濃度で汚染された場所も多く、放射性廃棄物が堆積した池は、今でも人を寄せ付けません」
「放射性廃棄物を処理せずそのまま流された川も多く......その汚染水は北極海にまで到達しています......」
「また、これらの施設は度々事故を起こし、周辺住民はその事故で施設の存在を知る、と言った事も珍しくありませんでした」
「しかし、住民達の多くはそこから離れようとはしませんでした」
「何故ならば、高額な収入と、優先的に食料や物資が供給されていたからです」
「生きるために、身を危険に晒してでも、その場所に留まることを選んだのです」
「彼らに選択肢など存在しませんでした......」
「こうした秘密都市は閉鎖都市と呼ばれ、世界各地に存在しています」
「そう、ソ連だけではないのです......」
「戦時下の日本にも存在し、瀬戸内海に浮かぶ大久野島は戦時中、その姿を地図上から消していました......」
「現在は日本には無いでしょうが、外国では未だにこういった閉鎖都市が存在し、ロシアとアメリカだけで30ヵ所は存在すると言われています......」
「その内容を知る術は我々にはありません......」
「さて、時間なので解説はこの辺りで終わります......気になった人は"秘密都市"で検索してみてください」
「次回はエレーナ隊長が戻ってきますので安心してください」
「それでは、私はこれで失礼します......」
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