第20話 硝煙の香り~9×21mm弾を込めて~②

「エレーナ! 待って!」


 連隊長の車まで駆けだしたエレーナをレイラが制止した。どうやら本部の前でエレーナを待っていたようだ。


「レイラ! どうしたんだ!?」

「アンジェラとエミリヤが居ないの! アンジェラのバイクもエミリヤの車も無くなってるわ!」

「......何だって?」

「キーラとソフィアは部屋で待機させているのだけれど、落ち着きがなくて直ぐにでも飛び出しそうな勢いよ! エレーナはいつ戻ってこれるの!?」

「......すまない、今は戻れそうにない。これから私が単独でニーナを探しに行く」

「......え? それってどういう事!?」

「上からの指示が間に合わない。だから私が探しに行く。すまないが、次席指揮官としてレイラが部隊の指揮を執ってくれ」

「......何よそれ......待って! 私達も行くわ!」

「駄目だ! 軍人が手を出していい案件じゃない!!」

「はぁ!? あなたも軍人じゃない!? 何を言っているの?」

「......私は今軍人を辞めてきた......時間が無いんだ、もう行くぞ!」

「軍人を辞めた......? ちょっと待って......あなた......階級章はどうしたの......?」

「......すまない、後でゆっくり話す! 隊の皆を頼む!」


 そういうとエレーナは走り去り、車まで向かっていった。レイラは本部の前に一人取り残され、呆然と立ち尽くしている。


「......エレーナが......軍人を......辞めた......?」


 レイラは膝から崩れ落ち、呆然とした顔の頬を大きな涙がつうっと伝った。


 ……


 …………


 ………………


「マスター! 居るか!?」

「......おお! 隊長さん! テミルベックから連絡があって待っていたよ」

「連隊長から......?」


 基地を出たエレーナは真っ先にマスターの元へと一直線に向かった。バーの位置は基地から南、検問へと続くM39道路と基地方面から来る道路の交差点角に店を構えている。


「あの黒髪の大人しい子が攫われたんだろう? そのバンを私は見ていた。店の前を掃除していたら凄いスピードで交差点に突っ込んできたよ。もっとも、検問で引き返す車が渋滞していて、そこからは歩道を歩く人をかき分けながらゆっくり走り去っていったよ」

「そうか! なら間に合うかもしれない......奴はどっちに向かったんだ!?」

「その車はM39道路を東へと向かった」

「東......検問は西だ......南に行くには一度東に行く必要がある......やはり南に抜けるルートを取ったか......!?」

「......検問? 隊長さんは何を言っているのかね?」

「ニーナは恐らく情報を聞き出されるために攫われた......奴らはカザフスタンの国境を越え逃げる算段なのだろう......」

「......隊長さん、恐らくそれは違う。あのバンはキルギス人が乗っていた。それにあのバンには見覚えがある。横に小さく文字が書いてあっただろう?」

「......何だと......?」

「バンの横には"パンフィロフスキー茶園"と書いてあった。間違いなくパンフィロフスキー・ライオンにある茶園の車だ」

「......は?」

「そこの親父は私のお客さんだ。そして前に酒を飲みながらこんな事を言っていてな。『私の息子にも嫁ができそうだ』と」

「......何を言っているんだ? マスター?」

「隊長さんは知らなかったかね? キルギスにはとある慣習があるのだよ」

「......知らない。それは一体何だ? ニーナの誘拐とどう関係している......?」

「それはだな......」


 ……


 …………


 ………………


「......う~ん......ここは......」


 薄暗い倉庫の中でニーナは目を覚ました。建付けの悪いドアから光が微かに差し込んでいる。床は無く直接地面の上に藁が引いてあり、その上で寝ていたようだ。隣には薪ストーブがあり、火をくべられているようで暖かい。


「......ここはどこ......私は本を読んでいたはず......」


 朦朧とする意識の中、現状の把握に努めるが頭が酷く痛い。何か薬物を使われ気絶したようだ。腕も自由が利かない。どうやら後ろ手で縛られているらしい。


「......記憶が曖昧......もしかして......誘拐?......」


 そう考えていると誰かの足音が聞こえる。倉庫に誰か近づいて来ている。すると倉庫のカギが開けられ、ギギギ......と軋みを上げながら扉が開かれた。


「おお、目が覚めたか! 気分はどうだい?」

「......」


 見覚えのない若い男性が入ってきた。黒髪でアジア系の顔立ちをしており、恐らくキルギス人だろう。背後からは年寄りのお婆さんが着いて来ていた。手には手籠を持ち、やかんのようなものを持っている。倉庫に入ると徐に置いてあった薪ストーブの上にやかんを置いた。


「おや? 無口そうだとは思っていたが口を利けない訳ではないだろう?」

「......」


 まだ得体のしれない彼らを警戒し、何も言わないニーナ。現状が分からない場合、いかなる情報も口にしてはいけないとエレーナから教えられていたのでそれをひたすら守っていたが、現状把握の為に少しずつ情報を聞き出そうと口を開いた。


「......まぁいいや。いずれにしろこれから長い付き合いになるんだ。仲良くしようじゃないか。君は兵隊さんなのだろう? 警戒して当然だ」

「......私を......どうする気?」

「うん? 君もキルギスに住んでいるなら知っているだろう? その前に名前を聞かせてくれないか?」

「......知らない......」

「自分の名前も知らないと? 変わった子だね。まぁそこも可愛いんだけどね」

「......あなたは誰?」

「ああ、これは失礼。名乗ってなかったね。俺の名前はアルトゥンベック。将来君の旦那になる男だ」

「......え?」

「君は俺の嫁になるのだ。二人で幸せな家庭を築くんだよ」

「......何を......言っているの......?」

「? 何もこうも"アラカチュー"だよ。......まさか知らないのか? キルギスに住んでいるのに?」

「......知らない。初めて聞いた......」

「これはこれは、呆れたもんだ......この国では常識だぞ? お前さてはこの国に最近来た者だな? だったら教えてやるよ。この国ではな、嫁は"奪うもの"なんだ」

「......奪う......もの......?」

「そうだ。古代キルギスから代々受け伝えられていた慣習で他の部族から嫁を攫ってきて説得するんだ。そして女性の殆どはそれを受け入れ二人はめでたく結ばれる。それが"アラカチュー"だよ」

「......っ!」

「私も旦那に攫われた身でね、私は一日抵抗したけど最後には諦めて受け入れたのさ。何、最初は戸惑うかもしれないけど、すぐに幸せになれるさね」


 後ろから付いてきたお婆さんは止めるどころか自分もそうだから我慢しろ、と言わんばかりに説得に参加してくる。どうやらここではそれが普通らしい。


「嫌......私はロシア人......キルギス人じゃない......」

「キルギスにいる以上人種は関係ない。それに君はとても可愛い。俺はそんな君に一目惚れをしてしまったんだ。何時も池の畔で本を読む君を見ていたよ......」

「......最低......」

「......流石にそれは傷つくなぁ。でも悪くない話だとは思うぞ? こう言っては何だが俺の家は昔から有名な茶園の息子だ。生活に困ることはないぞ?」

「......いらない」

「......うん?」

「......仲間達が居ない生活なんて......いらない......」

「何を勘違いしている? 別に軍隊を辞めろとは言っていない。だがそれは君が従順な場合だ。結婚を受け入れれば軍に仕えるのを許してやろう。このままあがき続けるのであれば、ここに幽閉して説得し続けるだけの事だ」

「......そんなの......許されない......いずれ貴方は捕まる......」

「捕まらないさ。ここはそういう国なんだ。警察も軍隊も裁判所でさえ黙認しているのだよ。捕まった奴らは誘拐してきた女を刺し殺したり薬漬けにした奴らだ。俺はそんなことはしないさ」

「......嘘......そんな事あるはずがない......」

「あるんだよ。この国ではな! なんなら力づくでお前の初めてを奪ってやってもいいんだぞ? 一度処女を失った女性は生涯をその男性に尽くさなくてはならない。離婚は一生涯の恥だ」

「......それはイスラム教の教え......私はロシア正教徒......」

「ふむ、それは困ったな......ではまずは改宗から始めなくてはな」

「......私はあなたの言いなりに何かならない......私の人生は私が決める......」


 すると顎を掴まれ強制的に目線を合わせられる。その目は冷酷な眼差しでニーナの事を見つめ脅してくる。


「強情な奴だ。これは落とし涯がありそうだ。屈服する時の顔が楽しみだよ。だが今はまだ待ってやる。幸せに結ばれなくては気持ちよくないからな」

「......っ!! 絶対に私は認めない......!」

「今はそう言ってるがいい。一日もすれば考えが変わるさ......」


 そう言いながら男は倉庫から出て行った。残されたニーナとお婆さんだけが倉庫に取り残される。やかんにはお湯が沸き、シュワシュワと音を立てている。お婆さんは手籠から茶器を取り出し、お茶を淹れ始めたようだ。


「......どうして......こんな事をするの......?」

「ん? それは昔からの伝統だからさ」

「おかしいとは......思わないの......?」

「......初めはそう思ったさ。でもね、すぐに気づいたのさ。同僚の依頼で警官が家に来ても見て見ぬふりをしたのさ。"何だ、アラカチューか"と言ってね......私を助けてくれる人は居なかったよ。両親でさえ、懐かしいだの、伝統を守りなさいだのと言っている有様だったんだ。選択肢なんてないのさね」

「......酷い......」

「そうかい? それでも私は幸せになれたよ......そりゃ恋愛婚できた奴らが羨ましいと思う事はあるさ。でもね、これが私の運命だったのさね......」

「......逃げようとは......思わないの?」

「逃げてどうなるって言うんだい? 私はもう受け入れちまったのさ......イスラム教では離婚は許されないのさね......」

「......でも私は違う......私はこんなの嫌......皆のところに戻りたい......」

「最初は誰でもそう言うさ......さ、お茶が入ったよ。飲みぃ......」


 そう言ってコップが差し出されたがニーナは首を横に振って拒絶した。それを見て寂しそうな顔をしたお婆さんはそっとそのコップをニーナの横にあるテーブルへと置いた。


(こんなの......絶対に認めない......誰か助けて......隊長......アンジェラ......!)



―――硝煙の香り~9×21mm弾を込めて~③へと続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る