第19話 硝煙の香り~9×21mm弾を込めて~①

「とにかく作戦会議室に向かって! 今連隊長が各中隊の招集を掛けているわ!」

「了解だ! ニーナが攫われた時の状況は!?」

「ニーナは昼食を食べた後、基地近くの池で本を読んでいたの。そしたら4時半位に白いバンが乗り付けてニーナを攫ったわ」


 階段を駆け下りながらレイラから情報を聞き出す。どうやら基地に隣接する農業用貯水池の畔で攫われてしまったようだ。あの池は周りをぐるっと道が囲んでいて、その気になれば畔まで車で行ける。


「誰が見ていた!?」

「基地入り口の守衛よ。バンは南側に走り去ったそうよ」

「チャルダバルの検問が近いな......開けた西側に抜けるより却って検問を抜けた方が安全だ! それが奴らの狙いか!」

「検問は封鎖されている筈よ。それに検問から南には壁があるわ。カザフスタンに渡るにはそのまま南下してグレニタゴスクまで行くしかないわ」

「ここからだと3~40分位か.....国境を越えられたら手も足も出なくなる!急ぐぞ!」

「ええ! 私は小隊のメンバーを集めるわ!」

「頼む! くそっ......情報を聞き出すためなら何だってやりかねないぞ......無事でいてくれ! ニーナ!!」


 焦りから廊下を全力疾走するエレーナ。宿舎を飛び出し基地司令部へと走る。建物に入るや否や、身分証も提示せず作戦会議室まで駆けて行った。


「はぁ......はぁ......遅くなりました! 状況は!?」


 作戦会議室の扉を開けるなりそう叫ぶと、そこには連隊長と中隊長、第1小隊長のルフィーナが居た。


「エレーナ、落ち着きなさい。今捜索の依頼を出しているわ。共和国軍参謀本部から指示が出るまで待機していなさい」


 そう答えたのはポルフィリエヴィチ・ライーサ・ニコラエヴナ。72中隊の中隊長であり、エレーナの上司だ。背が高く、スラっとした体が特徴だ。栗毛の長髪にはカールが掛かっており、戦闘服の上に覆いかぶさるように垂れている。

 腰には第二種戦闘具が身に付けられており、腹部側にけん銃、背後に予備弾倉二つと近接格闘用のコンバットナイフが装備してある。けん銃の弾倉には赤いテープが貼られていて、実弾の装填を意味していた。


「しかし......早ければ30分で奴らは国境を越えます! すぐに追跡隊を編成して追わなければ......!」

「待て、エレーナ中尉。我々は管轄外だ。国境には近づけん」


 そう返した男性は241連隊の連隊長であるイザコフ・ウル・テミルベックだ。肌黒で頭を丸め、日本人と良く似たその顔は、働き盛りと言った所で顔に皺ができ始めている。

 長机がグルっと囲むように置かれた部屋で、ホワイトボードを背負う形で一番真ん中に座っている。その横にライーサ中隊長が立ち、一歩引いてルフィーナが休めの体勢で待機している。


「では指をくわえて指令を待てと!?」


 エレーナは激昂した様子でテミルベックへと歩み寄っていく。それを手を出してライーサ中隊長が止める。ルフィーナは目を瞑り口をへの字にして突っ立っている。


「待ちなさいエレーナ。連隊長も苦しい立場にあるのよ?」

「ですが私の隊員が危機に瀕しているのです! それを助けなくて何が隊長ですか!!」

「......今の情勢は複雑なのだよ、中尉。もし戦闘になったらどうする? 国内でさえキルギス人とタジク人の間で小競り合いが起きているんだ。1991年のオスで起きた暴動を忘れたわけではあるまい? ......もしカザフスタンとの間に亀裂が走れば我々は東側と敵対する事になる。米軍が駐屯しているタジキスタンと緊張が走る今、東側の協力が得られなければ我々は忽ち瓦解するだろう」

「しかし、カザフスタンに抜けられてしまっては我々は何もできません! そうなってからでは遅いのです!! もしソ連式の拷問にあったり収容所送りにでもなってみろ!! 飢えた野郎共に慰めものにされボロ雑巾の用に捨て置かれるのが関の山だ! 私は祖国でそれを嫌と言うほど見てきたのだ! カザフスタンでも同じことが起きないと言い切れるんですか!? あそこは数年前までソ連だったのですよ!?」


 最早抑えが利かなくなったエレーナの怒号が会議室に響く。どうにも祖国で同期の仲間達が慰め物にされているのを思い出し、爆発してしまったようだ。エレーナとレイラは家が軍人の間では有名な家柄であった為、そういった"秘密の部屋"へ連れていかれる事は無かったのだが、やはり同期がそのような目にあっている事に怒りを覚えていた。


「落ち着きなさい! エレーナ! 連隊長にそれを言っても何も変らないわ!!」

「彼女一人助けられないで何が軍人だ!! 政治の為に一人が犠牲になっても良い等、社会主義そのものの発想ではないか!! これではあの頃から何も変わっていない!! キルギス共和国は何の為に独立を宣言したんだ!! 私は何の為に遥々キルギス共和国まで逃げてきたと言うのだ!!」

「......」


 連隊長はエレーナの怒りを、目を閉じながら黙って聞いている。ライーサ中隊長はひたすらエレーナを阻止しながら浮かない顔をし、ルフィーナは相変わらず何も言わずだんまりを決め込んでいた。


「......このままでは......ニーナが壊れてしまう......最後には殺されてしまうのだぞ......」


 ひとしきり怒鳴ったエレーナは、何とか冷静に戻ろうとギリギリと歯を食いしばり、握りこぶしを額に当て、必死になって怒りを堪えているようだ。怒鳴り声が途切れ、ようやく静かになった。壁に掛けられた時計の秒針の音が微かに聞こえる。


「ふ~ん。で?」


 声を上げたのはルフィーナだった。


「あなたの身勝手な願いでこの国を戦争に巻き込んでいいの? 戦争になれば何万、何十万と人が死ぬのよ? 彼女の為にそこまでする必要あるのかしら?」

「ルフィーナ、言い方に気をつけなさい......」

「......それは......」

「あなた、部下が死ぬ覚悟も出来ていなかったの? 呆れたものね。私はてっきりそれも承知の上であんなに親しくしていたのかと思っていたわ。あなたも意外と馬鹿なのね。"この隊長あってあの隊あり"って所かしら?」

「ルフィーナ!」

「......」

「......残念だわ。あなたは私の憧れだったのよ? あんまりがっかりさせないで頂戴......」

「ルフィーナ......」


 彼女の言っている事は正論だ。彼女達は軍人であり、人の命を守る為にある。しかし、同時に奪うものでもある。軽率な行動は戦争を招きかねない。それはエレーナも分かっていたつもりだった。しかし、大切な人を失う恐怖に怯え、冷静さを完全に失った彼女はその事をすっかり忘れてしまっていた。

 ルフィーナは"部下が居なくなるのが怖い"と言っていた。だがエレーナはその言葉の意味をはき違えていた。それは、"失って絶望するかしないか"の話ではなく、"失うのを許容した上で戦わないといけないのが怖い"という意味だった。そして今エレーナはそれに気が付いた。


「......しかし、それでも私は探しに行く! 私は約束したのだ......何があっても彼女達を守ると! だから私は行かなくてはならない!! 軍人だから命令が無いと何もできないだと? だったら私は今ここで軍人を辞める! 人っ子一人守れない軍人などこちらから願い下げだ!!」


 そういうとエレーナは階級章を引きちぎり机に叩きつけた。


「ちょっ!! 馬鹿じゃないの!? どの道その腕では無理よ!」

「......っ! こんなもの......!」

「あっ! 待ちなさい!!」


 先ほどから黙って聞いているライーサの腰からナイフを奪い、ギプスと腕の間にナイフを滑り込ませる。すると次の瞬間ライーサに羽交い絞めにされてしまった。振り切ろうともがくが流石に現役軍人の力は強く、容易には放してくれない。


「......待ちたまえ! エレーナ中尉!!」

「......くっ!!」


 右腕をライーサに取られ、机に押さえつけられたエレーナが連隊長の事を睨みつける。


「今ここでお前は辞めると言ったな。それは間違いないか?」

「間違いありません」

「ふむ......では戦闘服を脱ぎたまえ。君にはもうそれを着る資格は無い」

「連隊長!! 待ってください! エレーナは一時の気の迷いで......」

「発言を控えろライーサ少佐」

「......了解しました」

「エレーナ、今この時をもって全ての任を解き、除隊を命ずる」

「......」


 その言葉に少し動揺する。今まで戦う事でしか生きる術を知らない彼女にとって、その言葉は胸に重く突き刺さる。


「それで退職金なのだが......手持ちが無いのでこれをやろう」

「......え?」


 すると連隊長は自分の身に着けていたSR-1ギュルザー拳銃を机の上に置いた。


「どこかの将官が横流しにしたようでな、どうやら"うっかり"市民に渡ってしまったようだ」

「それって......」

「そう言えばエレーナの車はマニュアル車だったな。おおっと、"うっかり"私の愛車の鍵を落としてしまったようだ。誰かに車を持っていかれてしまうかもしれないな。あの白いセダンタイプのレガシーは気に入っているからな、持っていかれたら大変だ」


 今度は机の上にスバルマークの入った鍵を取り出した。ついでと言わんばかりに拳銃の予備弾倉を二つ置くと立ち上がり、窓の方に歩いていく。


「あーそう言えばバーのマスターが何か言っていたな......何やら猛スピードで走り去る白いバンを見たとかなんとか......」

「......連隊長......ありがとうございます......!」

「ん? 何だ? まだいたのかね? 着替えなんて後で良いから部外者は早く行きなさい。......そう言えば拳銃のホルスターを渡し忘れていたようだ。後で取りに戻るように」

「......っ! はい! 必ず戻ります!!」


 エレーナは連隊長にお礼を言いながら拳銃をズボンに突っ込み、弾倉と鍵を握りしめると、連隊長に最高の敬礼をして見せた。


「行ってまいります!」

「うむ、気を付けるのだぞ」

「行ってらっしゃいエレーナ。72中隊は何時までもあなたを待っているわ」

「ちゃんと戻ってきなさいよ!まだあなたから教えて貰う事は一杯あるんだから!」

「......皆......! ああ、行ってきます!!」


再会の約束をし、エレーナは部屋を飛び出した。手に握る弾倉をポケットにしまい、"拾った"鍵を握りしめ走り出す。


(この思い、決して無駄にはしない! 絶対に見つけ出して連れ戻す! 待っていろ、ニーナ!!)



―――硝煙の香り~9×21mm弾を込めて~②へと続く

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